6話
天正十一年 七月 安土城
ゆっくりとこちらへ歩み寄る一人の男に、俺だけでは無く、居合わせた重臣達も驚きを隠せずにいた。
『あれは、まさか三介様では無いか!? 』
『先触れはあったのか! 』
『尾張守様が登城するなど、何年ぶりの事か』
『病だと聞いていたが……』
『いや、しかし……』
皆が皆、思い思いに推測を語る。大広間に、ざわざわと動揺が広がって行く中、掠れた声でその名を口にする。
「三介……叔父…………上? 」
織田三介信雄。爺さんの次男。親父の弟であり、俺の叔父にあたる。
そんな三介叔父さんは、親父の遺言により俺が元服するまで尾張国を治めているのだが、少々問題行為を繰り返す悩みの種だった。
***
その問題行為は多岐にわたる。
勝手に織田姓に改名したり、仮病を使って召集を拒否したり、農家の少女を無理矢理拐ったり、とにかく自分勝手な立ち振舞いが目立つ。それ故に、大老や重臣達からは評価が非常に低い。
その都度、使者を遣わせて注意をしたのだが、最近では病気を理由に追い返される始末だった。
正直、こんなことを身内に思いたく無いけど、次に問題行為を働いた場合は、即刻処罰する決心をしたんだ。
身内だからと贔屓して、取り返しのつかない事態になってしまってからじゃ遅いからね。
しかし、そんな身を切る思いで決心を固めたものの、あれから一度も三介叔父さんは不祥事を働かなかった。
一度は耳を疑った。お師匠の助言も加味して警戒を解かなかった。しかし、一ヶ月……二ヶ月……三ヶ月と不審な動きは見当たらず、強いて言うなら体調不良を理由に顔を見せないことくらい。
最近では、本当に体調が悪いのではと心配する気持ちの方が強まっていた。だってそうだろ? これで、三介叔父さんが大病を患っていたのなら、俺はとんだ薄情者だ。
***
様々な考えが脳裏を過り、段々頭が痛くなっていく。この状況を作り上げた張本人へ視線を向ければ、にっこりと微笑み返された。
(このタヌキ親父が! )
呪詛の念を送っていると、遂に三介叔父さんが目の前で立ち止まった。誰も彼もが固唾を呑んで見守る中、三介叔父さんはゆっくりと腰を降ろし、深々と平伏した。
「殿、御機嫌麗しゅう」
その一言は、予想だにしなかった。
『…………っ!!? 』
重臣達は己の耳を疑い、お互いの顔を見合せて聞き間違いかどうかを確かめ合う。中には、口を大きく開けて驚きを隠せない者もいた。
そんな中、俺は涙を堪えながら応えた。
「叔父上、身体の具合はもう宜しいのですか? 」
「はっ、ご心配をおかけしました」
即座に返答する三介叔父さんを後目に、目頭を押さえながら感傷に浸る。
「………………であるか」
なんとか言葉を絞り出して応える。周りを見渡してみれば、皆が笑顔を浮かべていた。心から安堵したかのように。
それもその筈。先程の一連の流れは、まさに臣下の礼。三介叔父さんが、俺を織田家当主と認めた証なのだから。
一族間の不和は、今まで積み上げてきたモノを、足場から一瞬で崩壊させる爆弾になり得る。織田一門衆序列上位である三介叔父さんが、俺を認めていない状況は、誰から見ても危ういモノだったのだ。
しかし、その三介叔父さんが、俺を主君と認めて平伏した。これで、無用な血が流れる事も無い。織田家は、遂に一つに固まったんだ。
その事を喜ぶ気持ちが全面に出ていたのか、家康が笑顔を浮かべながら、嬉しそうに口を開いた。
「やはり、親族は強い絆で結ばれるのが一番でございますなぁ。背中を預けられる者がいるのといないのでは、心の持ちようが違います。これで、近江守様も何の心残りも無く、天下泰平へ集中出来ましょう。……いやはや、半年ほど尾張守様の元へと足を運んだかいがありました」
腹を撫でながら祝いの言葉を述べる家康。何か裏が有りそうな気もするけれど、三介叔父さんが俺を認めてくれた喜びの方が勝り、素直に礼を述べる。
「徳川殿が尽力して下さったのですか……。誠に忝ない。織田家当主として、心より御礼申し上げる」
「いやいや、ワシも出過ぎたことを……」
俺が礼を述べると、家康は頭をかきながら幾度も頭を下げ続けた。そんな謙虚な姿に、警戒心が少しだけ晴れる。
確かに、他の家の事情に手を出す事は、あまり歓迎されない。しかし、家康のおかけで救われたのも事実。
(であれば、その恩を返さなくてはいけない)
そう思った俺は、かねてより打診が有った徳川家との婚姻の事を思い出した。
「確か……徳川殿は、織田家との縁談を望まれていましたな。既に世継ぎを決めているのであれば、此度の礼として縁談を整える事を約束いたそう」
すると、一瞬だが家康の瞳に怪しい色が灯る。しかし、直ぐに元の色へ戻ってしまった。
「世継ぎの件でございますな。本日は、その事も報告致そうと思っておりました。世継ぎは、近江守様と同い年である長丸に決めました。やはり、これからの新たな世を生きるのは、若い世代にございますからなぁ」
「うむ。長丸……か」
長丸……確か、浜松に行った時に聞いた名前だ。俺と同い年なら、許嫁って形になるかな? 年齢的には、初や江…………かな?
そんな事を考えていると、家康が申し訳なさそうに頭をかく。
「されど、此度の返礼で縁談を纏めては、家中に要らぬ不和を招きましょう」
「…………であるか」
家康の言い分は理解出来る。しかし、借りを作ったままってのは、織田家当主として認められない。
話の落としどころを考えていると、黙っていた三介叔父さんが一つの提案をした。
「であれば、徳川殿の娘を安土へ迎え入れては如何か。近頃は、奥州からも子息が安土に滞在して勉学に励んでおられる故、徳川殿の娘が安土にいても問題はございませぬ。嫁にするか否かは、近江守様の一任すれば宜しいかと」
「成る程! それは妙案じゃな! 」
「…………うむ」
喜ぶ家康を横目に三介叔父さんへ視線を向けるが、ただただ頭を下げるのみ。まぁ、前例がある以上問題は無い……かな。
「分かった。徳川殿の娘が安土に滞在する許可を出そう。今後も、徳川家と良い関係を築けることを願う」
『ははっ』
徳川家康。
もし、彼と争わずに済めば……そう願わずにいられなかった。
***
この決断が、あんな悲劇を生むなんて。
三法師は知るよしも無かった。




