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1話

 天正十一年 七月 安土城 小早川隆景



 天正十一年七月十日。安土へ到着した我らを迎え入れたのは、宿敵とも言える人物であった。

「これはこれは小早川殿。遠路遥々ようこそお越しいただきました。織田家を代表して、心より歓迎致します」

 大きく両手を広げ、朗らかな笑みを浮かべながら歓迎を表す小柄な男。織田家の西方軍団長を務め、幾万の同胞を血の海に沈めた張本人。現織田家四大老の一角。羽柴筑前守秀吉その人であった。

「……お招きいただき感謝致します。羽柴殿」

 軽く頭を下げながら社交辞令で返す。確かに、先触れは出されていた。『毛利家一行を出迎えるに値する者を寄越す』……と。織田家の当主が認めた客人である我らを害する者はいないと信じたいが、よもや羽柴秀吉を遣わせるとは……。

 予想だにしない人選に、無意識に顔が強ばる。そんな我らの様子を見て、羽柴秀吉は身体を半身にして先を促した。

「どうやら長旅でお疲れのようで。これは失敬、気が回りませんでしたな。直ぐに、小早川殿一行がお使いになられる屋敷へご案内致します。……どうぞ、こちらへ――」

 片手で頭をかきながら些か大袈裟に己を恥じると、またも朗らかな笑みを浮かべる。その表情に、思わず鳥肌が立つ。

 瞳が、瞳だけが笑っていないのだ。絶対強者の如き威圧感。幽鬼の如き青白い炎が灯る瞳。本能が、己の身体に危険を知らせ続ける。

 一年前とは、まるで中身だけ変わったかのように掛け離れた姿に、思わず喉を震わす。



 ――これは、本当にヒトなのか……。



 否が応でも膝が笑ってしまうのを必死に堪える。

 その一切笑っていない瞳に恐怖を覚えたが、此処で突っ立っていても状況は変わらぬ。腹をくくるしかあるまい。

「…………忝ない」

 短く礼を言うと、先導する羽柴秀吉の後を追う。そんな儂の横に、恵瓊が不安そうに駆け寄った。

「小早川様っ! あの男は「……案ずるな」

 恵瓊の言葉に被せるように制する。こんな大通りでは、何処に耳があるか分からぬ。

 そう強く思いながら見詰めると、儂の真意を悟ったのか黙って下がった。

 その姿に安堵しながら、前方へ身体を向け直す。先導する羽柴秀吉の奥に見える巨大な城。戦の為では無く、天下を統べる為に建てられた城。

「これが、天下にその名が轟く安土城か」

 あそこに、織田家当主近江守がいる。その事実に、右手を強く握り締めた。



 ***



 それから暫く歩き、城下町を抜けて武家屋敷へと突入した時、羽柴秀吉は立ち止まって手前の屋敷へ手を伸ばした。

「ささ小早川殿。こちらが、本日お使いになっていただく屋敷にございます」

「なんと……」

 我らに用意された屋敷は、とてもでは無いが客人に扱わせる類いの物では無かった。質が低いのでは無い。あまりにも質が良すぎるのだ。

 まるで、この日の為に建てられたかのように。

 背筋を冷たい汗が流れる。動揺を悟られぬように、笑みを浮かべる羽柴秀吉へ問いかける。

「……斯様な素晴らしい屋敷を使わせていただけるとは、誠に有り難きこと。感謝致します。ところで、織田家では客人用に斯様な質の良い屋敷を建てるのでしょうか? 」

「えぇ、どのような客人であれど、最高の持て成しをするのが、殿のご意向にございます」

 そこで一旦区切ると、羽柴秀吉の口元がゆっくりと歪んだ笑みへと変化していく。

「余談ではございますが、この屋敷は毛利家一行の為に半年前から建築されました。殿が、必ず必要になるから……と。いやはや、無駄にならずに済んで一安心致しました。はっはっはっ」

「……左様……でした……か」

 振り絞るように呟くと、足早に屋敷へと入る。背後から、『何か入用でしたら、いつでもお声がけ下さいませ』と聞こえ、改めて頭を下げて礼を言う。

 もう、これ以上は耐えられない。



 何とか屋敷の最奥にまで辿り着き人払いを済ませると、途端に身体が震え始めた。

「半年前……だと? その日は、毛利家が正式に安土訪問を決定した時だぞ!? 」

 両腕で身体を掻き抱く。しかし、胸の動悸は一向に収まらず、血の気の引いた青白い顔が姿見に映っていた。

 何処で情報が漏れていたのか。誰が裏切っていたのか。この姿も、見られているのでは無いか。

 そんな恐ろしい想像が脳裏を過ぎり、周囲が気になって仕方がない。謁見は明日。こんな状況で夜を明かすなんて出来る訳が無い。



 ――周到過ぎる贈り物が恐怖を作る。



 全身に走る悪寒。

「勝てぬ……政治力、軍事力、経済力、諜報力。その全てが、毛利家を遥かに上回っておるっ! やはり、安土訪問を強行して良かったのだ」

 その悪寒を耐えながら強く頷く。

 確かに、織田家の力の片鱗を知り恐怖を覚えた。だが、それ以上に此度の訪問が毛利家存続への最後の機会である事も悟った。

 短くも細い紐のような道筋だが、僅かな希望へと望みを繋いだ事に安堵する思いであった。

 もし、あのまま手をこまねいていれば、毛利家は滅びていただろう。

「やるしかない。儂にしか出来ないのだ。必ずや、この命に変えても若君の命と毛利家の未来を守ってみせる」

 何度も何度も己に言い聞かせるように繰り返す。明日、その場の雰囲気に呑まれぬように。こちらの思惑が読まれていても、直ぐに対応出来るように。

 全ては、毛利家の為に。

 そう――



 ――兄上を軟禁してまで安土に来たのだから。



「織田家は、儂の醜態を知っている筈。本来であれば、相手に醜態を晒すなど末代までの恥。しかし、それを利用すれば評価は一変する」

 深く息を吐き姿見を見る。

 そこには、覚悟を決めた男の顔が映っていた。



 ***



 翌日、織田家当主近江守を中心に、一騎当千の重臣達が軒を連ねる中、毛利家重臣小早川隆景が大広間へと足を踏み入れた。

 その姿に、一同唖然とする。

 豪華絢爛な正装に身を包み、一つ一つの仕草は見る者を魅了させる。この時代において、最高峰の教育を受けた者だけが身に付けられる品格。

 流石は、西の大大名毛利家の名代。

 これが、謀神の血筋。

 皆が皆、その佇まいに息を呑む。



 そして、小早川隆景は深々と平伏すると、静かに口を開いた。

「毛利家を、織田家の傘下に加えていただきたい」



 その日、歴史は動いた。




お待たせ致しました。

これより、第五章開幕となります。

東を抑えた織田家。次の相手は果たして――



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― 新着の感想 ―
[一言] 受け入れるのはよいとしても内部分裂されてそこを家康あたりに付け入られるのは嫌ですねえ。
[一言] 毛利が事前降伏かぁ… しかし毛利って執念深いから、ここで下手に領国大幅削減とかしたら、絶対恨みそう それこそ、260年前の恨み持ち出した史実のように ※なお、自分たちの恨みは260年後まで正…
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