父と母と子
天正九年 五月 岐阜城
安土城と京。何年も滞在していたかのような激動の日々を乗り越え、遂に俺達一行は岐阜城へと帰還した。
ゆっくりと移動していた輿が止まり、簾越しに新五郎から声がかけられる。
「失礼致します、三法師様。只今、岐阜城へ到着致しました。……お加減は如何でしょうか? 」
簾が上がり、心配そうにこちらを見詰める新五郎の顔が視界に入る。やはり、行きで体調を崩したことを気にしていたようだ。この時代、旅は文字通り命懸けという訳だ。
だが、その心配は杞憂だ。どうやら、この身体は思ったより丈夫なようで、普通に慣れてしまったのか途中から眠りこける余裕すらあった。
「うん、大丈夫だよ。問題ない」
「……左様にございますか。では、若様。お手を」
「ん」
安堵の溜め息を吐く新五郎に手を引かれ、俺は輿から地面へと降り立つ。仰々しく跪きながら出迎える家臣一同。先陣を切って進む親父。背後の城下町から湧き上がる歓声。この時、俺は故郷に帰って来たことを強く実感した。
***
その後、自室に戻った俺は、いつものように上座に座ると深々と溜め息を吐いた。
「…………はぁ〜」
「ハハハッ。だいぶ溜めましたなぁ、殿。随分と、お疲れのようにございますな」
「ん。まぁ、ね……」
勝蔵の言葉に、適当に返しながら肘置きに体重を乗せる。実際、立場が無ければ「やっと帰って来たぞー! 」とでも叫んでいただろう。それ程までに、安土城や京で過ごした日々は濃かったという訳だな。
織田家家臣団や一門衆との交友や、今井宗久や公卿達との出会い。地獄の馬揃え。嫌なこともあったが、収穫もあった。特に、直臣として勝蔵と慶次を迎えることが出来たのと、私兵団五百人を手に入れたのは非常に大きい。これで、やれる事が格段に増えた。本能寺の変まで時間がないんだ。この戦力を、どう使えるかが運命を左右するだろう。
……まぁ、その前に。
「勝蔵、喉が渇いた。白湯を頼む」
「はっ」
とりあえず、一服するとしよう。
さて、休憩も終わり。そろそろ、部屋の模様替えをしよう。今回の旅行で私物が色々増えたから、一度整理しなくてはならないのだ。
「殿、この花瓶はどちらに? 」
「ん〜あの掛け軸の前、かな」
「はっ」
しかし、勝蔵達に手伝ってもらっているのだが、これが中々終わらない。そろそろ夕方だぞ? どんだけ貰ってんだよ俺。
溜め息を吐きながら茶器を手に取る。それもこれも、俺達が岐阜に帰るって噂が流れてから、商人やら公卿達からどっさり貢ぎ物が送られてきたことが原因だ。一応中身を確認しなきゃいけないからって、それだけで一週間はかかったんだから相当の量である。
正直、壺とか茶器とかいらないものばかり。爺さんは喜びそうだが、俺はあまり興味が湧かない。やっぱり、一番嬉しかったのは光秀から貰った脇差かな。日本刀を直で見たのは初めてだったから、抜き身の刀身に波打つ波紋が凄く綺麗で感動したなぁ。博物館で、ケース越しに見るのとは違うよ。
なんでも、これは御守り代わりに戦場へ持ち込んでいたやつみたいで、ご利益がありますように譲ってくれた。効果は、長生きしている自分が証人だと笑いながら。
さて、ここまで述べて分かるように貰い物は和一色である。時代が時代だし、当たり前と思うかもしれない。だが、例外は身近に存在した。爺さんだ。
「……殿、これらは」
「……あぁ、うん、ソウダネー」
勝蔵が指差す一角を見て、思わず遠い目になる。まぁ、地球儀は約束してくれた物だから分かる。主張が激しいが、ワンポイントとして上座の横に置けば良いだろう。
……だが、問題はそれ以外。裏地にも刺繍が縫われたマントや、鮮やかな孔雀の尾羽根があしらわれた大きな帽子に、穂先が十字の赤い槍、豪華絢爛な椅子と預かり知らぬ物が大量に置かれており、極めつけは俺専用に作られた甲冑だ。
いや、いらねぇし着れねぇしでわざわざ作るなそんなもん。和と洋、ごちゃ混ぜになっているじゃねぇか。方向性が違い過ぎて、どう合わせたら良いのか皆目見当もつかない。これが、何時まで経っても片付けが終わらない原因だ。
この残状には、勝蔵も堪らず弱音を吐く。
「……いっその事、蔵に仕舞われては? 」
「それは、最終手段だ」
爺さんからの貰い物を粗末に扱う訳にはいかない。それは、言われずとも察していたのか、勝蔵は無言で天井を見上げた。
それから、二人であーでもないこーでもないと話し合っていると、不意に慶次が顔を出す。
「ンだァ? ま〜だ、やってんのかお前ら? 」
カチン。これは、戦争ですわ。
「なら、慶次も手伝え! 」
怒りに任せて扇子を投げ付けると、慶次はいとも簡単に扇子を掴んで俺の頭を撫でくり回す。
「あうあうあうあう……っ」
「……うむうむ。まぁ、ちょいと俺に任せてみな。勝蔵、手伝え」
「……え、あ、はい! 」
最後にぽんぽんと頭を叩くと、軽い足取りで例の一角へ向かう。その背を見ながらやたら自信満々だなぁと思っていたら、なんと慶次はたった三十分くらいで部屋の模様替えを済ませてしまった。
「おう、終わったぞ」
「」
あぁ、なんということでしょう。これが、才能の差なのでしょうか。先程まで、全くと言っていい程まとまりがなかった部屋が、和風をベースに所々に洋風を取り入れた斬新さが光る素晴らしい一室へ変わってしまいました。これには、一同唖然とするしかありません。
「ふふん! どんなもんだい! 俺にかかれば、こんなもの朝飯前ってなぁ! カッカッカッ! 」
……今度、安土城の爺さんの部屋もやらせてみよっかな。とりあえず、お礼は言っておこう。散々、使いっ走りにされた勝蔵にも。
***
さて、やっとこさ模様替えも終わり、自室でくつろいでいると親父から呼び出しを受けた。小姓に案内された場所は親父の私室。大広間じゃないって事は、私的な用事かな?
「三法師様、こちらへ」
「うむ。……父上、失礼致します」
小姓に促され部屋に入ると、そこには親父と母さんがいた。思わず、心臓がキュッと引き締まる。親父は俺に気づくと頬を緩ませたが、母さんは俺を見ようともしない。……相変わらずみたいだな。
「来たか。さぁ、ここに座りなさい」
「……失礼します」
「うむ、こうして家族揃うのは久しぶりじゃな。お松は息災であったか? 三法師は、京でそれはもう大活躍だったのだぞ」
「……えぇ、聞き及んでおります」
「……」
なんとか親父は場を盛り上げようとするが、正直空気は悪い。母さんは、別に興味ないって感じだ。いや、正確には俺に興味がないだけかな。ここまで一方的な悪意を向けられると、俺からは何も出来ないよ。多分、干渉しないのが一番だろうな。そう思ってきたから、俺は母と関わらないようにしてきた。
……いや、違う。本当は、怖かったんだ。母さんが、俺を憎む理由に一つだけ心当たりがあったから。それが、事実だと思いたくなかったから、今までずっと逃げてきた。
【俺は、本当に転生したのだろうか。憑依した可能性はないか。三法師は実在した人物だ。なら、本当の三法師の魂は何処にある。……俺が、憑依したことで彼を殺してしまったのではないか? 】
「――っ」
咄嗟に、右手を口元に当てて吐き気を堪える。考えないようにしていた可能性。もし、その仮説が正しいのであれば。もし、母親の直感がソレを見抜いていたのであれば。母さんが、俺を恨む理由には十分過ぎる。
「……お松、未だに三法師が怖いか? 」
「……はい。どうしても、私にはこの子を我が子とは思えないのです」
「三法師は、確かにお主が腹を痛めて産んだ子じゃ。それは、お主が一番分かっておるじゃろうに」
「ではっ! 何故、この子は教えてもいない事を理解できるのですか! この子の眼を見ていると、なんでも見透かされているように思えて……。私は、恐ろしゅうてたまらんのです! 」
化け物を見る目。俺は、何も言えない。望んで得た結果でもないのに、込み上げる罪悪感で死んでしまいたくなる。
そんな俺の身体を、親父は優しく抱き抱えた。
「お松。三法師は、確かに幼子とは思えぬ優れた叡智をもっている。だがな、それでも我が子なのじゃ。我らが望み、天から与えられた宝物なのじゃ。親が、子を守ってやらなくてどうするのじゃ」
「しかし……」
「それに、この子は武田と織田を結ぶ微かな希望。お松も、このままではいけないのだと、本当は分かっておるじゃろう? 」
「………………」
図星だったのか、母さんは黙り込んでしまった。嫡男と実母の争い。……もし、俺に弟が出来たら間違いなく御家騒動になるし、織田家に嫁いだ身としては避けなければならないものだろう。
きっと、母さんも頭では分かっているのだ。だけど、感情がそれを許さない。それは、母さんの視線と口調から察することは出来た。
ただ、それでも――
「父上も、実の母に虐げられ幾度も命を狙われたと言う。わしは、お主達がそのような悲劇を繰り返して欲しくないのじゃ。少しずつでも良い。こうして、語り合いお互いを理解していこう」
「……殿が望まれるのでしたら、そのように。ですが、最後に一つ聞かねばならぬことがございます」
母さんの視線が向けられる。
「お前は、殿と私の子か? 」
「……はい。私は、父上と母上の子です。……いや、そうだと信じたいのです。私は、……母上と本当の家族に、なりたいです――っ」
声が震える。取り繕った言い方はしない。これが、俺の本心だから。
その想いが、ほんの僅かでも届いたのかもしれない。
「…………そうか。今まで、済まなかったな。……三法師」
「――っ、は、はい! 」
未だ、視線は一度も合ってはいない。ただ、それでも……今までより、ずっと近くに感じられた。
こうして、親子の語らいは幕を閉じた。まだまだ、歩幅は不揃いながらも、今日の事でお互いに合わせようと思えた事はきっといつか実を結ぶだろう。
しかし、それはまだ先の話である。今の俺達は、どこか不格好で何か起きたら儚く砕け散ってしまう。……そんな危ういものであった。




