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42話

 


 一方その頃、三法師の命を受けた白百合隊第五席椿は、密偵として豊後国に居た。

 天下泰平を掲げる三法師にとって、九州平定は決して避けられぬ難関。島津家は親織田派だが、成り上がり者である織田家を快く思わぬ大名家は多い。

 それ故に、九州の状況を調べる事は、三法師にとって最重要事項であった。椿が派遣されたのは、天正十年十二月頃。大友領を中心に、半年以上かけて調べる長期任務であった。



 さて、そんな大役を任された椿だが、当初は歓喜に震えながら三法師の期待に応える旨を宣言し、元気良く豊後国へ旅立って行った。

 それから半年以上が経過。現在の椿は、街道沿いにある岩に腰を落ち着かせて、和やかな表情を浮かべながら空を眺めていた。

 これは、無事に任務を遂行した者が浮かべる勝者の笑みか。椿は、竹筒を傾けて水分を補給すると、空を眺めながらポツリと一言。


「あの雲~殿の笑顔に似てるぅ~」


 ……これは、もう駄目かもしれない。

 普段は綺麗な澄んだ瞳をしていたのだが、今は瞳の中心からぐるぐる渦巻いて澱んでいる。半年前の元気な姿は、空の彼方へと消え去っており、完全なる三法師遮断症候群。

 やれやれ、彼女は一体どうしてしまったのか。顔が絶世の美女なだけに、無駄に残念感が凄い。実に愉か……嘆かわしいことである。

 このまま見ているのも一興ではあるが、ここら辺で助け舟を出すとしよう。やれやれ、実に世話のかかる女子だ。



 ***



 天正十一年 六月 豊後国 椿



「あら? あの雲は、殿が愛用している扇かしら? ふふっ…………うふふっ…………」

 乾いた声が澄んだ青空に溶けていく。あぁ、なんて軽やかな気分なのかしら。今なら、あの綺麗な青空の彼方へ飛び立てるかも…………。

 純白な羽を広げながら、自由気ままに青空を舞う己の姿を想像する。その腕の中には、両手を上げてはしゃぐ愛しき主君の御姿。あぁ、なんて素晴らしいのかしら。

「……ふふふっ…………ふふっ……………………あら? 」

 その時、不意に視界に黒いモノが映り込む。何物にも縛られず自由気ままに空を飛び、その特徴的な鳴き声は無意識に人を振り向かせる。

「あれは…………鴉かしら? 」

 そう呟いたのもつかの間、鴉の糞が凄まじい勢いで私の眉間に直撃した。

「みょぉわぁあああっ!!? 」

『びちょっ』と、生理的に無理な音と共に、全身に悪寒が走る。必死にソレを拭おうとするも、足が滑って鼻から地面へ落下した。

「ぬぅぅおおぉぉおおおっ!!? 」

 鼻を押さえながらのたうち回る。立て続けに襲った悲劇に、思わず涙が溢れる。

「こんな連続技を受けたのは初めてだよぉ……松様でも、もう少し手加減するのにぃ……」

 半べそをかきながら鼻を摩っていると、何故だか気分が晴れやかになっている事に気付く。今まで頭の中にかかっていた霧が、まるで嘘のように無くなっていたわ。



 そうよ……あと数日で水無月が終わる。文月になれば、殿から帰還命令が出るから、時間的に次の村が最後の調査対象。あと少しで、安土へ帰れるんだわ!!!

「よしっ! 頑張るわよぉ!!! 」

 握り拳を掲げながら、気合い一発声を上げる。久しぶりに湧き上がるやる気に、全身が活力に満ちていた。



 今ならば、千里だって駆け抜けられる!



 ――あほーあほーあほー



 そんな鴉の鳴き声を背に、私は全力で地を駆けた。






 尚、眉間に糞がついたままだったので、直ぐに立ち止まって水場を探し、半刻程かけて糞を拭う事になった。


 ……うん。これは墓場まで持っていくとしよう。






 ***



 翌日、気を取り直した私は、行商人を装いながら村へと侵入した。特に関所も無く、門番も見当たらない。これでは、野盗に入られてしまう危うい状況ではあるのだけど……その光景を見た私は、今までと同じ事を呟く。

「此処も同じ……ね」

 周囲を見渡しながら悪態をつく。村全体に活気が無く、村人の表情には覇気が無いわ。ただただ同じ動作を繰り返し、何もかも諦めた無表情を浮かべている。

 これは、豊後国で最も多い村の光景だったわ。



 私は、村に一軒だけ有った茶屋へと入る。

 年老いた老婆が一人で切り盛りしており、あまり流行っているようには見えない内装。

 この老婆もまた、覇気の感じ無い顔色を浮かべていた。

「……お嬢ちゃん。一人で、こんな場所まで商いをしに来たのかい? 」

 老婆は、湯呑みを渡しながら呟く。

「えぇ、少し足を伸ばそうと思って」

 薄く微笑みながら当たり障りの無い返事をする。初対面の対応は、無難にやり過ごすのが一番印象に残らないからね。

 すると、老婆は頭を横に振りながら呟く。

「悪いことは言わないよ。早くこの村から…………いや、この国から立ち去りなぁ……」

 顔を俯かせながら小さく呟く老婆。その姿は、誰かに聞かれる危険に怯えながらも、真摯に目の前の年若い女子を思う気遣いが感じられた。

 これまで会ってきた人達の中でも、一番収穫を見込める対応。私は、ここが勝負の時だと目を光らせた。



 私は、前方を通りかかった武士を指差す。

「でも……見たところ門番もいないし、ここら一帯は治安が良いんじゃないの? ……ほら、あそこに居るお武家様って大友様の「しっ! 指差すんじゃ無いよっ! 」

 暢気な面を浮かべながら武士を指差すと、老婆は小さくも鋭い口調で咎める。先程とは、打って変わって剣呑な態度を見せる老婆。その変わりように、思わず目を見開いてしまう。

「おばあちゃん…………? 」

 老婆は、武士を忌々しげに睨みつけていた。

「あいつ等は、あたし等を守る為に巡回しているんじゃあ無いんだよ。あいつ等は、監視をしているのさ! あたし等が、いえすを信仰しているかどうか……をね!! 」

「……いえす」

 確か、宣教師が広める救世主の名だ。宣教師は、我が殿に対して、無礼にも布教活動の保護を申し付けた輩だったわ! 私も、一度勧誘を受けたけれど、その腐りきった性根に金玉を蹴りあげてやったものよ!

 あの時の伴天連を思い出しながら怒りに震えていると、それを見て同士だと思ったのか、老婆も同調するように続けた。

「なんだい。お嬢ちゃんも、奴らに苦渋を舐めさせられた口かい? なら、あれを見れば分かるじゃろう。ここら辺は、既に伴天連に占領されたも同然じゃよ」

「………………」

 老婆の視線の先には、場違いな程に銀色に輝く十字架。それを見詰める老婆の顔には、どうしようも無いやるせなさに加え、決して忘れられぬ憎悪が見て取れた。

「あのお武家様はね。若い女子や子供を平気な顔で攫って、伴天連共に売り払うんじゃ。『いえす様を信仰しない異教徒は、生きているだけで罪』じゃ……とな。…………儂の娘も連れて行かれた。毎日毎日、指示通りにコレを磨いたのに……のぅ」

 十字架を見詰める老婆の瞳には、何が映っているのだろうか。私は、ただただ右手を強く握り締めるしか出来なかったわ。





 老婆は、それっきり十字架を握り締めたまま黙ってしまった。今回の件は、この老婆に限った話では無いわ。この国では、古来よりごく当たり前のように人攫いが跋扈しているもの。

 ただ、大友家の家紋を背負う武士が、我が物顔で人攫いをするなんて言語道断! 民を守るべきお上が、率先して奴隷商人のような事をするなんて人として許されないわ!



 煮えたぎる怒りを胸に秘め、悲しみに明け暮れる老婆の肩に手を置く。

「おばあちゃん。もう少しだけ、もう少しだけ耐えて! 必ず我が殿が、苦しむ民を救う為に動いてくれるわ! 」

「救うったって……そんな……」

 苦悶な表情を浮かべる老婆。

『諦めたくない………だけど、大大名である大友家に逆らえる所なんて……』

 そんな心の声が伝わってくる。この国を治める殿様を倒そうなんて、普通の村人なら想像だにしないわ。



 だけど――



「私は、織田家当主近江守様直臣。名を白百合椿。私の名にかけて、必ずや大友宗麟の悪行を止め、苦しむ民を救ってみせましょうっ!!! 」

「…………っ!? 」

 胸を張って力強く宣言すると、老婆は目を見開いて口元を両手で隠す。天下を統べる織田家の威光は、遥か西の国々にまで轟いているようね。

 さて、予想以上に豊後国の状況は悪いわね。民を思えば、一刻の猶予も無いわ。直ぐに、殿の元へこの状況を伝えねばっ!

「それじゃ、私は行くわね。また、会いましょう」

「あ、あぁ。ありがとうねぇ……お嬢ちゃん」

 老婆へ手短に別れを告げると、兵士に見つからないように村を後にする。その胸の内には、殿へ会える喜びと同等以上に大友家を許さない怒りで燃えていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 時代の最先端を行く売国奴ですからねえ。族滅待ったなし。
[一言] 人身売買を国外でもやっていた大友家、絶対許すまじ。大友家は族滅されても仕方無いでしょう。 此処でこそ、永楽帝の苛烈さを真似てもよろしいかと。最後通牒として、朝敵宣言が望ましいかと。 椿、隠密…
2021/07/18 15:37 退会済み
管理
[一言] 上杉もわざわざ他家の領土に人身売買の”商材”確保に略奪を繰り返してたけど、大友のやらかしてることは、それより悪質だからなぁ… それこそ族滅レベルの殲滅の憂き目に遭っても、自業自得としか思えな…
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