39話
天正十一年 六月 越後国 春日山城
北条家への論功行賞も無事に終わり、続いて織田家家中の論功行賞へ移る。主だった功績を残した者は残り五人。先ずは、織田家大老にして、長年上杉家と対峙してきた権六からだ。
俺は、小姓から渡された文を手に取り、そこに刻まれた名を呼ぶ。
「では、柴田勝家。前に出よ」
権六の名が出た途端、場に緊張が走る。当たり前だ。権六は、此度の上杉征伐の立役者。家中の中で、最初に呼ばれるのは彼しかいないのは、分かりきっている。
「ははっ」
短く返事をして、俺の前へと移動する。姿勢を正し、服の乱れを直した後に深々と平伏した。権六の準備が整った事を確認すると、文を開いて読み上げる。
「長きに渡り北陸平定に尽力。此度の上杉征伐において、大軍を率いて越中国平定に貢献。個人としても、策略を駆使して天神山城を攻略。更には、春日山城攻略を成し遂げた。この働きは、織田家大老の名に恥じぬモノ。最上位の評価をもって、この働きを称する」
そこで一旦区切りる。皆が皆、一言一句聞き逃すまいと耳をすませる中、俺は軽く微笑んだ。
「柴田勝家。そなたには、越後国と越中国を任せる。飛び地となる故、越前国は取り上げとなるが、これで二カ国合わせて約八十万石。官位も、越後守と左近衛権少将を賜れるように手配しよう。これより、越後少将として奥州の窓口になる事を期待する」
――以上である。大儀であった。
そう締めくくると、大広間には痛いほどの静けさが支配した。誰も彼もが周囲を見渡し、お互いに聞こえた言葉の意味を咀嚼する。
そして、聞き間違えでは無い事を理解すると、割れんばかりの歓声が沸き起こった。
その歓声の声量に、途中から目を見開いたまま固まっていた権六がようやく再起動し、勢い良く額を畳に打ち付けながら身体を震わせた。
「……っ! ……ぁ………は、ははっ!!! 有り難き幸せにございますっ。この権六、必ずや……必ずや、三法師様の御期待に沿える……働きを……っ」
途切れ途切れとなった言葉を涙が包む。鼻をすする音や、涙を堪えようとする嗚咽に遮られながらも、権六の想いが痛いほど伝わってくる。
それ故にだろう。家臣達の列から、二人の男達が飛び出して権六の身体を支えた。
『親父殿っ!!! 』
飛び出したは、又左と内蔵助。権六の与力として、数多の戦を、試練を、苦難を乗り越えた間柄。無礼と分かっていながらも、感激に震える権六を支えざるを得なかったのだろう。
しかし、今は論功行賞の真っ只中。主君の御前で勝手な行動をするのは、あまりにも無礼である。それ故に、ギョッとした表情を浮かべた藤が、慌てて立ち上がった。
「ば、馬鹿者。公の場だぞ……」
「良い」
慌てて止めようとする藤を、俺は右手で遮る。
「しかし……」
「余は構わぬ。二人の好きなようにさせよ」
「……ははっ」
俺が許可した事で、藤も後ろに引き下がる。その表情には、葛藤した様子が伺えたが、どちらかと言えば安堵した色が強く見える。
確か、藤と又左は親友の間柄。やはり、大老として止めねばならぬ気持ちもあったが、それ以上に二人を案ずる思いもあったのだろう。
そんな藤の思いを察しながら、涙を流し続ける二人へ視線を向ける。俺も、彼らの好きなようにさせたかった。苦楽を分かち合った男達の絆に、水を差す事はしたくなかったのだ。
「お、お前達……っ」
流れる涙と鼻水もそのままに、嗚咽を漏らしながら己に抱き着く又左と内蔵助の姿を見て、権六も驚きの声を上げる。
「やりましたね! 親父殿! 」
「お、親父殿が八十万石の大大名に……感無量にございますっ! 」
心から祝福する二人の様子に、次第に権六の瞳から涙が溢れる。
「あぁ……あぁ。そうだ。儂が、この儂が八十万石を支配する大名に……っ」
必死に嗚咽を堪える権六。きっと、権六の瞳には今まで経験して来た苦労の日々が写っているのだろう。
ここ数年、権六は一向一揆との激戦の日々を送っていたそうだ。俺も詳しくは知らないが、旧朝倉領である越前国が、仲間割れから始まり、いつの間にか一向一揆に乗っ取られたらしい。
それを、権六は見事に平定してみせた。爺さんの無茶ぶりに応えたのだ。しかし、爺さんの無茶ぶりは、ここからが本番だった。
そりゃあ、もう大変だっただろう。
しかし、権六は奮起し続けた。手痛い敗北も経験した。民は、全然言う事を聞かなかった。それでも、織田家への忠義の為に戦い続けたんだ。
そして、遂に加賀国・能登国・越中国を数多の戦の果てに勝ち取った。
権六がいなければ、そもそも上杉征伐の話は無かったと言っても過言では無い。この評価は、決して過剰では無いだろう。
お市お姉様も、権六の活躍を評価していたし、もしかしたら……そんな考えが脳裏を過ぎった。
***
未だに泣き続ける三人へ声をかける。
「前田利家、佐々成政」
『……っ! は、ははっ! 』
短く二人の名を呼ぶと、二人ともハッとした表情を浮かべながら慌てて平伏した。ようやく理性が帰って来たのだろう。
そんな二人の様子に、ついつい苦笑してしまった。別に、俺は怒る気は無い。そろそろ先へ進みたかったのもあるが、それ以上に二人が前に来てくれて丁度良かったのだ。
彼らは、共に功績を残した者だからね。
「前田利家、そなたに越前国を任せる。柴田からの引き継ぎとなる故、国に入る前に柴田から政について良く聞いておくように」
「は、ははっ! 」
一瞬呆けていたが、ハッと我に返ったのか勢い良く頭を畳に打ち付ける。鈍い音が響き渡り、思いのほか痛かったのか、堪らず又左が悶絶する。
そんな又左を睨みつけるように見る内蔵助。無礼を批難しているのか、はたまた己を出し抜いた事に嫉妬したのか……。
そんな内蔵助の様子に、少しだけ言葉を変えて沙汰を告げる。
「そして、佐々成政には加賀国を任せる。加賀国は、平定して間も無い。長年一向一揆が支配していた故に、未だに不安定な領域であろう。そなたの武力ならば、民の手綱も握れると確信している。期待しておるぞ」
「ははっ! この成政めにお任せ下さいませ! 必ずや、殿の御期待に応えてみせまする! 」
俺の沙汰に、内蔵助は瞳を輝かせながら、自慢げに又左へ視線を向ける。その視線を敏感に感じ取った又左の瞳に、負けん気の色が強く出てきた。
この二人は、切磋琢磨して登っていくタイプ。しかし、そのライバル意識が仇にならなければ良いんだが……。
そんな不安も感じられるやり取りだった。
***
そして、次に五人目の番だ。
「長 連龍。前に出よ」
「は、ははぁ……」
まさか自分の名前が呼ばれるとは思っていなかったのか、連龍はしどろもどろな返事をしながら前に出てくる。
連龍は、皆からの視線を一身に受け、居心地悪そうに巨体を揺らしながらも、何とか平伏してみせた。
その様子に苦笑しながら、俺は文を取り出して連龍へ渡す。
「魚津城攻略の功績は、余も高く評価しておる。これより、能登国を任せる。畠山氏は衰退し、最早能登国を治める資格は長家のみ。民も、そなたの帰還を心待ちにしていよう。その期待。決して裏切るでないぞ」
連龍は、俺の沙汰に目を見開くと、震える手で文を受け取った。ゆっくりとした動作で文を開き、そこに記された沙汰を見るや否や、大粒の涙を流しながら巨体を震わせた。
「誠に……誠に……有り難き……御言葉……ぅぅ……うぅ……」
堪らず泣き崩れる連龍を、又左が支えながら列へと誘導する。その様子に、つられて涙を流す者の姿も見えた。
家族を失い、国を失った男。
あの涙には、彼の全てが詰まっていた。
***
連龍の沙汰も終わり、遂に最後の一人となった。
「では、最後に――――」




