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37話

 天正十一年六月四日正午、上杉景勝捕縛。

 六月三日早朝から始まった新潟の戦いは、数多の犠牲者を出しながらも、織田家家臣真田信幸の功績により幕を閉じた。

 上杉軍死者八百。

 新発田軍死者九百。

 蘆名軍死者千八百。

 計二千五百名が死亡。身元不明、生死不明を合わせれば、その数は更に増加するだろう。真っ赤に染まった大地は、戦いの壮絶さを物語っている。

 後年、この地は『鮮血原』と呼ばれる。



 そして、上杉景勝が敗れる数日前。春日山城では、織田軍四万の軍勢が城を取り囲んでいた。

 越中国方面から柴田軍三万、信濃国方面から滝川軍一万。それぞれ、上杉方の国人衆が次々と寝返った故に、ほぼ無傷の状態で決戦を迎えていた。

 対する上杉方は、留守を任された本庄繁長が率いる千五百の兵士のみ。兵力差は二十倍以上。まさに絶望的な兵士差であり、春日山城陥落は時間の問題かと思われた。



 しかし、一日が終わり二日目を迎えても尚、春日山城は落ちなかった。朝から晩まで物量に任せた力攻めを行う織田軍に対し、僅か千五百の上杉軍が一歩も引かずに渡り合ってみせたのだ。

 これぞ、名将本庄繁長の御業。圧倒的な兵力差を覆すその戦術に、百戦錬磨の強者柴田勝家が苦戦を強いられていた。

 本庄繁長が策を講じれば、柴田勝家がソレを食い破る。柴田勝家が攻め上がれば、本庄繁長が何重にも敷いた罠で食い止める。

 まさに、お互いに譲らぬ一進一退の攻防。そのいっそ芸術的なまでに鮮やかなせめぎ合いは、戦場に立つ兵士達にも影響を与える。日本史に刻まれるに値する名勝負であった。



 しかし、それは不意に終わりを告げる。上杉景勝が捕縛されたのだ。上杉家は敗北し、織田家は勝った。この場の決着はつかずとも、ソレは覆せぬ事実。

 本庄繁長は、主君である上杉景勝の捕縛を知ると潔く降伏。ここに、春日山城の戦いの幕が降りた。



 そして、時は流れ六月十五日。

 織田家当主三法師が、三千の織田軍を率いて春日山城へ到着。その中には、大老二人は勿論、明智光秀との戦いで名を馳せた森長可の姿もあった。

 更には、織田家傘下の大名家並びに、奥州・関東勢からも使者が春日山城へ遣わされた。

 これは、三法師の命令が下る前に各々準備を済ませていた為、比較的迅速に集まる事が出来た。皆が皆、理解していたのだ。名門上杉家が滅ぶ瞬間を。



 ***



 天正十一年 六月 越後国 春日山城



 春日山城。

 軍神上杉謙信の居城と知られ、上杉家最盛期を支えた難攻不落の名城。前世では、縁もゆかりも無い地であったが、今こうして目の前に立つと感慨深い何かを感じざるを得ない。



 しみじみと歴史の香りを感じていると、城門が開き、中から大柄の男性が駆け寄って来る。

 特徴的な髭は見る影も無く、正直あまり似合っていない正装で身を包んだその姿。織田家大老柴田勝家その人である。良く見れば、後方には佐々成政と前田利家の姿も見えた。

 権六は、慣性の法則を無視したかのような動きで俺の前で急停止すると、流れるように深々と平伏した。

「三法師様! この度は、遠路遥々お越しいただき、誠に忝のぅございます!!! 」

『忝のぅございます!!! 』

 権六に続くように、背後の家臣達も平伏しながら礼を述べる。皆が皆、身綺麗な正装に身を包んでおり、俺の到着を待ちわびていたのが伝わってくる。

 その忠誠心を労るように、権六の肩に手を置いた。

「久しぶりだね。権六。元気な姿を見ることが出来て、余も嬉しく思うよ」

「……っ! ははぁっ!!! 誠に有り難き御言葉、恐悦至極にございます!!! 」

 ぽんぽんと、肩を軽く叩きながら労うと、権六は地面に額が着かんばかりに頭を下げる。そんな大袈裟な態度に苦笑しながら、ゆっくりとした足取りで場内を目指す。勿論、他の家臣達一人一人を労いながらね。

 道中、利家と成政がどちらが先に挨拶するか喧嘩していたが、まぁ些細なことだろう。喧嘩する程仲が良いってやつだ。多分。



 ふと空を見上げると、先日までの豪雨も過ぎ去り、今日は雲一つない青空が広がっている。此処に来るまでは、正直かなり苦労させられたが、何とか予定日に到着出来た。

 少数だったのも良かったのだろう。これが大軍だったら、かなり足止めを食らっていた筈だ。我ながら、素晴らしい英断だったと思う。五郎左は、かなり渋ってたけど。

 まぁ、織田家の威信を考えれば大軍を動かしたい気持ちは分かるけどね。今回は、織田家傘下の大名家以外にも、奥州や関東の大名家からも使者が来ている。織田家の軍事力をアピールする絶好のチャンスだろう。

 だけど、それは必要無いと判断した。何故なら、この後にソレを誇示する手筈は整っているのだから。

「これ以上は、過剰だよね」

 空を飛ぶ一羽の鳥を眺めながら、そう呟いた。



 ***



 そして、翌朝。

 一同は、春日山城の中庭へ集まっていた。中央には、大掛かりな処刑場が用意されており、中に入れぬ一般兵達も柵の向こうからこちらを見詰めている。

 そんな中、俺は権六が用意した玉座に座っている。他よりも一段高く設置されたソレは、処刑場の全てが見渡せた。皆が皆、正装に身を包んでおり、真剣な表情を浮かべている。

 そんな重々しい空気を感じながら、俺も瞳を閉じてその時を待った。上杉景勝が処刑されるその時を。



 暫くそのままでいると、不意に松が背後へ座り、耳元へと口を寄せて囁く。

「殿、準備が整いました」

「……分かった」

 ゆっくりと立ち上がると、それに続くように一同平伏する。その様子を見ながら右手を上げると、完全武装した兵士が上杉景勝を連れて処刑場の中央まで上がる。

 兵士は、一度俺に対して平伏すると、景勝の背後へ周り刀を抜いた。

「何か、言い残すことはあるか? 」

 兵士が景勝に問いかけると、景勝は俯いていた顔を上げて前を見る。その瞳は、真っ直ぐに俺へと向けられていた。

 そして、ゆっくりと口を開く。

「……あの背中に憧れた。誰よりも、正しきその姿に憧れた。…………我は、間違っていたのか。あの背中を、追いかけてはいけなかったのか……」

 小さく呟かれた言葉は、静まり返った処刑場に染み渡るように響き、俺の元へと辿り着いた。名門上杉家当主の姿とは思えぬ弱りきったその姿に、ちらほらと失笑が漏れる。



 しかし、俺はその姿を笑えなかった。まるで、迷子の幼子のようなその姿が、あまりにも哀れだった。

 彼もまた、父親と予期せぬ別れを経験した者の一人。偉大な父を追いかけ、周りから押し寄せる期待に応えんと足掻いた者の一人。その最期の言葉を無下に出来無かった。

 俺は、景勝へ哀れみの眼差しを向けながら、少しだけ微笑んだ。

「その感情は、誰しもが胸に抱く尊きもの。憧れとは、人を強くし、行動する活力を与える。貴殿の想いは、間違っていない」



 ――されど、貴殿は上杉謙信では無く、上杉景勝にならねばならなかった。



 そう締めくくると、景勝は、憑き物が取れたような微笑みを浮かべて呟いた。

「あぁ………………そうか。そうだったのか……」

 その満足気な姿を見届けた後に、右手を振り下ろした。銀の煌めきが空を駆ける。



『ありがとう』



 最後に聞こえたその言葉は、きっと幻聴では無かったと思う。だって、あんなにも晴れやかな表情を浮かべていたのだから。



 ***



 上杉景勝死亡。

 長らく続いた織田家と上杉家の戦いは、織田家の勝利で幕を閉じた。





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― 新着の感想 ―
[一言] 景勝、謙信になろうとしたことが全てを狂わせましたか。 死の直前にそれを気づくとは、報われませんでしたね。 上杉征伐の後は、どう動くか。極上に太った鴨の正体を明かしていないので、推測として東北…
2021/07/03 19:18 退会済み
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