36話
天正十一年 六月 新潟 真田信幸
大地を照らす太陽が、私達に敵の居場所を告げる。位置は、こちらが風上。この緩やかな斜面を下れば、一気に加速した突撃が可能。まさに、絶好の機会が訪れていた。
新潟城の前で固まっている上杉軍が、何かを掲げているようにも見えるが、此処からでは遠過ぎて具体的に何をしているのかは分からん。決起集会をしているのか……はたまた、捕らえた敵兵を処刑しているのか……。
だが、私達には関係の無いこと。この隙を見逃す道理は無い!
一度手綱を強く引き、馬が驚いたように足を振り上げる。それに合わせるように、高々と槍を掲げた。
「私達先鋒隊の役目は、敵勢力の下見に非ず! 丹羽様と北条様の手を煩わす前に、この手で戦いの終止符を打つのだ! 」
『おぉっ!!! 』
皆の雄叫びが全身を駆け巡り、脈が急速に速まっていく。身体が熱くなるほどの高揚感は、次第に力へと変換され、槍の持ち手を握り潰さんとする。
そして、部隊の士気が最高潮に達した瞬間、手綱を緩めて馬の前脚が地面に着く。私達の勢いに押されたように、馬が一気に坂を下り始めた。
「行くぞぉぉおぉおぉおぉっ!!! 」
『おぉおぉおぉおぉおぉおぉっ!!! 』
掲げた槍が、陽に照らされて紅く燃ゆる。私の号令に続くように、背後から大地を揺らす程の雄叫びが響き渡る。
狙うは、ただ一つ。
上杉景勝の首だ!!!
***
天正十一年 六月 新潟 上杉景勝
小姓からの報せに、急いで新潟城を出る。その内容自体は予想通りであったが、何よりもこの目で策が成功した証を実感したかったのだ。
急遽執り行われた首対面。
我は勿論、重臣達も完全武装でその時を待つ。
暫くすると、一人の小姓が檜の大きな首台を抱えながら、ゆっくりと陣へと入って来た。小姓は、一度深々と平伏すると、ソレを我の元へと運ぶ。周りからは、安堵の溜め息が漏れた。
我も、ソレを横目に確認すると、彼等に同意するように瞳を閉じた。泥や血は拭われ、髪をとかし、白粉を使った化粧を施されたソレは、間違いなく新発田家当主新発田重家その人であった。
「…………勝鬨を上げよ。…………この首こそ、新発田重家である」
『おぉおぉぉおおおぉおぉおぉっ!!! 』
陣を中心にして、水紋のように勝鬨が響き渡っていく。その勢い押されたのか、桑の木で作られた首札が風に揺られて小さく舞う。
その光景が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
***
誰も彼もが、この内乱の終焉に全身で喜んでいる中で、我だけは虚空を眺めていた。未だ、織田家との決戦が控えているのもあるが、この内乱を終わらせる為に失われた命の多さに愕然としていたのだ。
景虎と矛を交える事になってしまった跡目争いから、もう五年間もの歳月が経った。妻を失い、友を失い、家臣を失った末に残されたのは、荒れた大地と疲弊した民。
戦に勝った。景虎を殺し、新発田を殺した。これで、越後国全土をこの手に治める事が出来た。
だが、あまりにも犠牲が多過ぎた。
呆然としながら、昨日戦っていた戦場へと視線を移す。血に染った大地。鼻を貫く刺激臭。憎悪を瞳に宿した骸。その全てを、鮮明に覚えていた。
『こうするしか無かった』
『仕方ないことだ』
『切り捨てるべき命だったのだ』
そんな言葉が、胸の奥を縦横無尽に駆け巡り、鎖のように身体を縛る。当主として、家を守る事は、何よりも優先しなくてはならないモノ。我は、間違っていない筈だ。
しかし、我を見る骸の視線が、針のように肌を貫く。
『お前は、王に相応しくない』
『謙信様の血を継がぬ偽物』
『臆病者』
『卑怯者』
「……黙れ」
声から逃れるように、瞳を閉じて耳を塞ぐ。されど、耳を塞いでも脳裏に直接響いてくる。
『何が必要な犠牲だ』
『最初から、見捨てる予定だったくせに』
『責任から逃げたいだけだ』
「……黙れっ」
悔しげに唇を噛み締める。
自らの過ちを理解しながらも、自らの手で止まることの出来ない不甲斐なさを恥じる。
されど、最早進むしか道は無かったのだ。間違っていたとしても、ここで進まねば死ぬだけだと分かっていた。
だから、あの時、撤退を止めて新発田の背後を突いたのだ。ここで結果を残せば、この呪縛から逃れられると信じて。
あの時の事を、未だに鮮明に覚えている。
戦場で狂ったように暴れ回る蘆名軍を利用し、上杉軍は着実に新発田兵を殺していった。
兵数で勝る我等にとって、疲労困憊な弱兵を殺すなど容易い事であった。
そして、半数程仕留めた後に、新潟城を攻め落とした。もし、あの戦場から生き延びた者がいるならば、必ずこの新潟城へ来ると分かっていたからだ。
結果、二十八名の新発田兵を討ち取り、その中には敵軍大将新発田重家の姿もある。誰にも、文句は言わせない大成果だ。
しかし、その勝利は、我の心を満たさなかった。まるで、底に穴が空いているかのように。ただただ、虚しさだけが広がる世界。我は、この戦いの意味を見失っていた。
***
これからの指針を立てねばならぬのに、一向に手足に力が入らないのだ。
「どうすれば良いのだ…………」
項垂れながら呟くと、不意に視界の小石が動く。普段ならば気にしない些細な変化。されど、その小石から目が離せ無かった。
「……揺れる……振動……砂ぼこり……」
段々と揺れ動く幅が広まっていく。様々な要因が、頭の中で一つの線で結ばれていく。
「…………まさかっ! 」
最悪の場合を想像し、勢い良く顔を上げる。
『……………………ぉぉぉぉぉぉ! 』
その直後に響く地鳴りのような雄叫び。土煙が、竜巻のように渦を巻いてこちらへ押し寄せる。
誰も彼もが右往左往する中、我は椅子に座り込んだ。最期を悟ってしまった。
視線を下ろせば、震える両手が見える。どうにも止める事の出来ない震えもそのままに、両手で顔を覆う。誰にも見られないように。
我の心にあるのは、深い懺悔だけだった。
謙信様が築いた上杉家の威光に泥を塗り、背中を預ける仲間を討ち、あまつさえ守るべき民を傷付け国を荒らした。
――こんな愚かな姿の何処に『義』があるのか。
謙信様ならば、斯様な結末を招く事は無かった。
謙信様ならば、国人衆の心が離れる事は無かった。
「謙信様ならば……謙信様ならば………………」
うわ言のように呟きながら、初めて我の本当の願いを悟った。上杉家当主としてでは無く、上杉景勝としての願い。
「我は、ただただ謙信様のような人になりたかった。それだけ……だったのだ」
視線の先には、陣を切り裂いて突っ込んで来た一人の若武者。そんな状況で、頭に浮かんだのは大切な友人の顔。
与六。
我は、一体何処で間違えてしまったのだろうか。謙信様のようになりたくて、太陽に焦がれるように手を伸ばした末に、我は何も手に入れることが出来なかった。
妻を亡くし、友を失い、義兄弟を殺し、義とは程遠い外道に堕ちた。我の願いは、正しかった筈なのに。何処で、道を踏み外してしまったのか。
我は、どうすれば良かったのだ。
教えてくれ。与六。




