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35話

 天正十一年 六月 新潟 真田信幸



 三千五百の騎馬隊が、一陣の風となりて大地を颯爽と駆け抜ける。その顔触れは、まさに精鋭集団と言っても過言では無い歴戦の勇士達。誰も彼もが、自信に満ち溢れた顔付きで大将の後を追う。



 そんな精鋭を率いながら、私は先頭を駆け抜けていた。軽やかな手綱捌きで、愛馬が一気に加速する。その横に、矢沢三十郎が満面の笑みを浮かべながら寄って来た。

「若様! 遂に、この時が参りましたな!」

「…………そうだな」

 三十郎の言葉に、短く頷いて答える。三十郎は、「流石、若様! 冷静ですな! 」と、手を叩きながら高らかに笑った。

 三十郎は、従叔父にあたる一族衆であり、幼き頃から、私の事を何かと気にかけてくる叔父さんだった。こんな冴えない凡人を、決して一人にさせないように振る舞う優しい人。

 まぁ、常日頃から言動が斜め上だが。

 正直、一体何がおかしいのか分からないが、三十郎的には最高の回答だったのだろう。とりあえず、何も言わずに受け流しておく。

 今の私には、三十郎の相手をする余裕が無いのだ。正直、そっとしておいて欲しい。



 しくしくと痛む胃を押さえながら、そっと後ろを振り返ってみる。そこには、相も変わらず三千を超える騎馬隊が軒を連ねていた。

 騎馬隊の割合いは、北条家が半数以上を占めている。真田家の武士は、せいぜい全体の一割程度だ。

 そんな烏合の衆とも言われかねない集団が、一糸乱れぬ動きで戦場を駆ける。弛まぬ鍛錬によって鍛え抜かれた一人一人の練度が、敵兵を打ち砕かんと唸りを上げる。

 皆が皆、こんな実績も覇気も無い若大将の後を、文句も言わずに付き従っている。そんな異常事態に、私の精神は極限まで削ぎ落とされ、心は悲痛な叫びを上げていた。



(父上ぇえええっ!!! 一体全体どう言う事ですか、父上ぇぇぇぇええええっ!!? )



 誰にも悟られないように、心の中で絶叫を上げる。ふと見上げた空には、悪どい笑みを浮かべた父上の顔が浮かぶ。その表情に、悪びれる様子は一切感じられない。



 吐きそう。



 吐き気を懸命に堪えながら隣りを見れば、嬉々として手綱を操る一族衆が脇を固めている。まるで、私を逃がさないようにと、父上が仕組んだ牢屋のようだ。



 帰りたい。



 滝のように流れる涙は、どうやら幻想のようだ。三十郎の瞳に映る私の顔は、感情を削ぎ落とされた能面のような表情をしている。

 あれ? この瞳、何処かで見たことあるな……? あぁ、死んだ魚の目だ。どうやら、人間は極限まで追い込まれると、命より先に感情が死ぬらしい。あぁ、そんな豆知識知りたくなかった。



 心の中で悪態をつきながら、小さな私が心底嫌そうな表情で頭を抱える。

 そもそも、何故、重要な先鋒役が私なのだ……。普通に考えれば、丹羽様の家臣か北条様の家臣が務める大役だろうに。織田家の末席にも引っ掛からぬ私には、あまりにも力不足だ。推薦した奴の気が知れない。

 そう、そんな気狂いなど一人しかおらぬ。



 丹羽・北条連合軍参謀真田昌幸。

 私の父だ。



 あの時、少しでも尊敬した事を後悔する。近江守様と言う仕えるに値する主君を得て、少しは大人しくなると思っていた私が馬鹿だった。

 父上は、戦場で産湯に浸かったのではと、本気で疑いたくなる程の戦闘狂。それも、死と直結したような危険と隣り合わせの賭けが、三度の飯より好きな気狂いだ。あの悪癖に、どれ程の者達が振り回されてきた事か! 最早、戦闘凶だ!

(よりによって、自分の子供を賭け賃にする奴がいるかぁあぁあぁああぁあぁっ!!! )

 込み上げる怒りに、身体が自然と震え出す。それを見て、「武者震いですな! 」と、三十郎が呑気に笑う。軽く殺意を抱いた。まぁ、勝てないけど。



 そりゃあ、父上の気持ちは分かる。

 織田家にとって新参者であり、元々敵対していた武田家の重臣であった真田家の今後の安泰を勝ち取るには、周囲の者達が文句を言えない程の成果を勝ち取るしか無いことも。あくまで、此度の参謀職は近江守様の温情である事も、父上から念を押されて教えられた。決して、今の状況に満足してはならぬのだ……と。



 しかし! しかしだ!

 よりによって、蘆名家を狙いに行きますか!?

 そりゃあ、私とて近隣諸国の状況は頭に入れてます。蘆名家が、気が滅入るくらいに混乱しているのも分かってます。

 だけど、よりによってこんな大事な状況で、乱心するとは誰が思いますか!? 物見が、『戦場は、上杉家・新発田家・蘆名家が入り乱れる乱戦中』だと言っていて、それを聞いていた丹羽様も頭を抱えてましたよ! 普通、そうなりますよ!

 えぇ、そうですね。父上は、悪どい笑みを浮かべていましたね! これも想定内ですか! 何手先まで読んでるんですか!? 父上は、本当に人間ですか!!?

 正直、全て父上が仕組んだ罠だったのではと疑っております。武将として信頼は出来ますが、人として尊敬は出来ませんから!

 それに何ですか!? 『羽柴様も、奥州切り崩しの前段階として蘆名家を狙っている』とは!? このまま真田家が、羽柴様より先に蘆名家を潰してしまったら、獲物を横取りされた羽柴様のひんしゅくを買う事になりませんかね!?

 これから、織田家で頑張っていこうって時に、織田家の大老に喧嘩を売ってどうするんですか! 馬鹿なんですか貴方はっ!

 常日頃、父上から受ける無茶ぶりを思い出し、無意識に瞳に殺意が宿る。それを見た三十郎は、「滾っておりますな! 若様! 」と、嬉しそうに笑う。ごめん。本当に黙って。お願いだから。



 ***



 そうこうしてるうちに、いつの間にか陽が高く昇り始め、目的地である新潟城まであと僅かな場所まで辿り着いていた。

 物見から、『昨晩、上杉軍が新潟城へ入った』との情報も得た。そして、現在は城門付近で騒いでいる事も。

 そんな報告を受けているうちに、段々と手綱を握る手に力を込める。最早、私が悪態をついたところで状況は変わらない。このまま狼狽えたまま死ぬくらいなら、大将首を討ち取ってやろうじゃ無いか!



 私が覚悟を決めると、それに合わせるように軍の速度が上がっていく。大地を、凄まじい土煙を上げながら軍勢が駆けていく。その姿は、まさに星々の煌めきの如く。

 そして、遂に瞳の先に敵兵が映った瞬間、今までに無い全能感が全身を駆け巡る。

「突撃ぃぃぃいいいいいっ!!! 」

『おぉおぉおぉおぉおぉおぉっ!!! 』

 私の号令と共に、三千五百の騎馬隊が上杉軍に襲いかかった。



 ***



 真田信幸。

 窮地に立たされる事で、今まで眠っていた実力が発揮される男である。彼もまた、真田家の血を継ぐ者である。



 上杉征伐。終焉の時が迫る。



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