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26話

 天正十一年 六月 新潟城 新発田しばた 重家しげいえ



 重々しい空気が漂う中、重臣を引き連れて兵の集合場所へと向かう。兵糧の類いは既に準備が整っており、皆が皆、出陣の時を待ち望んでいた。

 そして、俺もまた、上杉家との戦いを待ち望んでいた者の一人。それ故に、胸の奥から込み上げて来た想いが、思わず溢れ落ちてしまった。

「…………兄上……安田殿っ」

 唇を噛み締め、強く握り締めた右手からは血が滴り落ちる。無念の中、死んでいった二人の顔が脳裏を過ぎる。

 楽しみも、悲しみも共に分かち合った。嬉しい時も、辛い時も共に支え合った優しい兄の死に際。上杉家による不当な評価に怒る俺と、一度決めた沙汰を覆したくない主家との板挟みになり、最終的に責任を負い自刃し果てた安田殿。

 あの時、俺は何も出来なかった。布団に横たわり、涙を流す兄をただ黙って見送る事しか出来なかった。

 安田殿の家臣から渡された遺言状を、俺は呆然と眺める事しか出来なかった。……今でも、その文を肌身離さずに懐へ入れている。

『新発田殿を仲間に引き入れたのは、他でも無い私。故に、新発田殿が不当に評価されてしまった責任を取らねばなりませぬ』

 そんな言葉を遺し、果てた安田殿。

 その無念を、その苦しみを、その嘆きを、その怒りを、決して忘れぬ為に!



 ――腑甲斐無い己への怒り。死んでいった二人への誓い。そして、上杉景勝への憎しみを原動力に、今まで血を吐く想いで足掻いて来たのだ!



 込み上げてくる怒りに視界が染まりかける中、不意に誰かに右肩を掴まれた。

「義兄上…………」

「……勘五郎」

 視線の先に居たのは、義弟である勘五郎であった。勘五郎もまた、上杉景勝に人生を狂わされた一人。俺が、上杉家へ反旗を翻した時、黙って着いてきてくれた信頼出来る戦友である。

 その勘五郎が、静かに首を横に振り、優しげな微笑みを浮かべながら口を開いた。

「義兄上の抱える思いは、我等も同様に胸に秘めしモノ。どうか、おひとりで抱え込まないで下さいませ。共に、復讐を果たそうと誓った同士なのですから」

「勘五郎っ……」

 そんな勘五郎の言葉に胸を打たれていると、周りの重臣達も続くように声を上げる。

「そうですぞ! 殿おひとりで、戦う訳ではございませぬ! 」

「左様。怨敵上杉景勝と矛を交えるこの機会を、殿おひとりに独占される訳にはいきませぬよ! 」

「我等、殿の盾となり、矛となりて、必ずや殿を上杉景勝の元まで送って見せまする! 」

『共に戦いましょう! 殿っ!!! 』

 次から次へと掛けられる言葉に、思わず目頭が熱くなり、天井へ顔を向ける。

「お…………お前たち……っ」

 滴る雫が頬を伝い、ゆっくりと床に染みを作る。

 俺は、本当に愚か者だ。込み上げる怒りに身を任せ、皆を率いる将でありながら私怨を優先しようとした。

 それは、将に相応しき姿にあらず。兄上に、いつも『将たる者、常に冷静であれ』と、教えられていたと言うのに。



 …………情けない!



 だが、俺は本当に恵まれている。

 兄上や勘五郎、安田殿や皆が俺を支えてくれている。情けない俺の背を押し、共に駆けてくれる。

 これを恵まれていると言わずに、なんと言うのか。



 俺は、目元を乱暴に拭うと、勘五郎達から背を向けて一歩踏み出す。

「共に駆けよう。あの日の誓いを果たす為に」

『…………っ! はいっ! 駆けましょう! あの日の誓いを果たす為にっ!!! 』

 背後から聞こえる声が、また一歩俺の足を進めてくれる。これからは、怒りを力に変えるのでは無く、皆の想いを、願いを、そして己に誓った決意を原動力に進む。

 誇り高き新発田家の頭領として、上杉家に戦いを挑む。この因縁に、俺が終止符を打つのだ!

 真田様は、既に動いている。

 後は、それに続くのみ!

「いざ出陣っ!!! 」

『おぉぉぉおおぉぉおぉぉぉっ!!! 』



 ***



 天正十一年 六月 新潟 上杉景勝



 湿った空気が漂う中、我等上杉軍は新発田重家討伐を掲げながら新潟城を目指していた。二年前に奪われた新潟津。そこは、先代が越後国発展の重要拠点と示した場所。それ故に、我は先代の正統継承者として奪い返さねばならなかった。



 ……だが、軍の士気は著しく無かった。

「殿。新潟城まで、およそ三里。敵影は、発見しておりませぬ」

「……………………」

 放った物見が陣に帰還し、報告を上げる。彼は、我の言葉を賜りたそうにしていたが、それを遮るように甘粕景持が口を開いた。

「うむ。警戒は、怠るなよ。直ぐに、持ち場へ戻りたまえ。……殿、宜しいですね? 」

「…………うむ」

 景持の視線に、小さく頷く。

「……では、某は持ち場へ戻ります故。これにて、失礼致しまする」

 重臣が主君の言葉を遮る。そんな横暴な態度を咎めもせぬ我の姿を見て、物見の青年は不承不承ながら奥へと下がった。



 その後、新発田との決戦を控えた我が軍は、この場に陣を敷き、軍議を重ねる事が正式に決まった。今も、我の目の前で景持がその場を仕切って意見を纏めている。

 我は、それをただ黙って見ているだけだ。

 そして、気が付くと軍議が終わっていた。

「殿っ! 明日、陽が昇ると同時に、新潟城へ向けて進軍するものと決定致しました。それで、宜しいですね? 」

 こちらを見詰める景持の顔が、有無を言わせぬ迫力を秘めており、特に反論する内容でも無いので、頷いて肯定を示した。

「…………任せる」

「ははっ! 承知致しました!!! 」

 深々と平伏する景持を後目に、陣を抜け出し空を仰ぐ。そこには、快晴には程遠い、雨が今にも降り出しそうな曇天が広がっていた。



 いつから、こうなってしまったのだろう。

 愛する妻を失い、唯一無二の友を失った。

 妻は殺され、友は何も言わずに旅立った。



 何故、妻が殺されねばならなかった。我は、例え菊に恨まれようとも、武田家に帰すつもりだった。



 何故、友は何も言ってくれなかったんだ。我は、武田家に情報を流した事を責めるつもりは無かった。例え重臣達に止められようとも、武士として、上杉家当主として、武田家に正式に謝罪するつもりだった。

 与六が、責任を負い自害する必要は無かったのに。



 二人の死は、我の心を砕くには充分過ぎた。景持が提案した新発田征伐によって、包囲網を破る策を却下する気にもならなかった。



 もう……全てが…………どうでも良い。


 

 湿った風が頬を濡らし、空へと駆ける。

 この湿気が、季節故なのか、はたまた我の心を写しているのか、それは誰にも分からない。



 ***



 天正十一年六月二日。遂に、新潟城を射程圏内に捉えた上杉軍は、進軍を開始する。決戦は、六月三日。新発田軍との兵力差は五倍以上。上杉軍の勝ちは、揺るぎないものと思われた。



 しかし、彼等は知らなかった。上杉軍が新発田征伐へ向かった数日後に、春日山城からほど近い二本木に陣を敷いて、滝川一益軍の進軍を食い止めていた上条景春が裏切り、滝川軍と合流して春日山城へ進軍を開始していた事を。

 そして、越中国より柴田軍が海岸線沿いを通り、越後国へ突入。蘆名家と伊達家が、三千を率いて進軍を開始した。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 新発田と書いてこれで「しばた」と読むのか!勉強になりました。 そして織田の柴田権六も動く。
[一言] 景勝は、生きる気力を喪失しましたか。だからと言って、何もかもどうでも良いとは、責任放棄に等しい。しかも、重臣の裏切りで春日山城を落城される可能性が出てくるとは、亡き謙信公が草葉の陰で哀れんで…
2021/06/10 12:44 退会済み
管理
[一言] 織田家をはじめとする連合軍に本城がいつ攻撃されてもおかしくないのに景勝が新発田に手をだす余裕ってあるんだろうか? いったい何を考えた動きなんだろう
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