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16話

 真田昌幸が投じた一石は、波紋となりて各地へ広がっていく。策を講じた者。暗躍する者。立ち向かう者。その全てが、否が応でも次の段階へ足を踏み入れねばならない。

 さて、それが吉と出るか凶と出るか。

 それは、神のみぞ知る。



 ***



 天正十一年 四月 越後国 春日山城 直江兼続



 織田軍襲来。


 その一報は、織田家の動きを悟れなかった彼等にとって、まさに青天の霹靂と言っても過言では無い出来事。

 そのあまりにも早すぎる展開に気が動転したのか、皆が皆、無様に喚き散らしている。

「馬鹿な! 早すぎる! 」

「何故、誰も気がつかなかったのだ!? 」

「クソっ! これだから国人衆は嫌いなのだ! 所詮、痩せこけた土地にしがみ付く蛆虫。誇りも忠義も無い穢れた輩よぉ! 」

 好き勝手にほざく同僚に、心底嫌気が差す。己の不始末を他人に擦り付け、己の責任から逃れようとする。それでは、一向に前へ進めないと言うのに。



 しかし、そんな彼等の姿を見ているうちに、客観的な己の立場を省みる事が出来た。曲がりなりにも、皆が皆己の意見を述べる中で、ソレを傍観する己の姿。

 その瞬間、強く握り締めた拳が袴に深い皺を作る。一気に冷静になった思考は、己自身の正当な評価を的確に下していた。



 ――無様なのは、俺も同じでは無いかっ。



 自嘲気味に呟いたソレは、誰に聞かれる事も無く宙へと溶けていく。皆が皆、俺の事など気にも留めずに怒鳴りあっていた。

 確かに、眼前で喚く輩は愚か極まりない。

 だが、その様子をただ黙って見ている己自身も、彼等と同等の愚か者だ。

 動かねばならない事態に直面した時、動かない者と動けない者は等しく罪人だが、その罪の重さは異なる。明らかに、前者の方が罪は重く。今の俺の姿は、間違いなく前者であった。



 噛み締めた唇から、一筋の血が流れる。

 あまりにも不甲斐ない己の有様に、様々な感情が胸の内を掻き乱す。

 俺は、一体何様だ?

 勝手に諦めて、高みの見物を決め込んで、嘆く同僚をあざけ笑って……。

 ならば、俺は一体何が出来たと言うのかっ。

 確かに、俺は織田軍の動きを察知出来た。

 だが、結局国人衆の反旗を未然に防ぐ事は出来ず、織田軍の猛追を許している。先手を取られた以上、俺達は後手に回る他無い。

 これでは、情報を仕入れた意味が無い。殿の右腕として、もっと策を練らねばならなかった。



 例え……最愛の弟が死のうとも――――












 …………否、これは全て言い訳だ。

 ふざけるな。そんな綺麗事で片付けて良いモノでは無い。瞳を閉じて顔を伏せると、周囲の音がだんだんと遠のいて行く。

 そして、真っ暗な暗闇の中。俺は、目を背けていた本当の気持ちを悟る。



 俺は、知らず知らずのうちに自身を取り巻く境遇を盾にし、手前勝手な主観に基づいた見当違いな感傷に浸っていたのだ。

 なんて、愚かなのだろう。なんて、身勝手極まりない言い草なのだろう。俺は、物語の主人公にでもなったつもりなのか! 悲劇的な思考に囚われて味方を見捨てる等、武士の風上にも置けぬ狼藉! この不埒者が!!!



 自問自答を繰り返した末に、辿り着いた答え。そのあまりにも身勝手極まりない真実に、心底嫌気が差す。



 ――俺は、己のせいで与七が死んだのだと、認めたく無かったのだ。



 ただ……それだけだった。

 己の見栄の為だけに、俺は与七の死を穢したのだ。与七が天神山城を出たのは、俺の文が原因なのだと最初から気付いていた。しかし、認めたら全てを失ってしまう気がして、ソレから目を背けた。怖かったのだ……。

 例え、大切な人を失った悲しみに囚われていたのだとしても、到底許される事では無い。



 ……………………すまぬ。与七。



 俯いていた顔を上げると、視界にこちらを見詰める殿の姿が映る。何を言うわけでもなく、ただただ黙って俺を見詰めている。

 ……否、待っていてくださっている。

 殿の恩情を察した俺は、小さく頭を下げると、己の右腕に視線を向ける。

 そして、爪が掌を切り裂く程に、固く固く握り締められた拳が、唸りを上げて己の頬に突き刺さった。



 ***



 ――ドゴォッ!!!



 肉が潰れる音が鈍く広間に響き渡り、先程までの騒動が嘘のような静寂が訪れる。

 舞う鮮血。頬に焼けるような痛みが走る。視界が暗転するように揺れ動き、拳が痙攣している。

 そんな状況の中、殿の低い声が耳に届いた。

「………………気は…………晴れたか」

「………………っ」

 ぶっきらぼうで言葉足らずなその一言に、思わず頬が緩む。この御方は、いつもこうだ。相手の気持ちを理解出来るくせに、それを言葉で伝える事が出来ない。語彙力が皆無なのだ。



 ……だが、そんな不器用な優しさが胸に染みた。

 殿は、子供の頃から、何一つとして変わっていない。どこまでも不器用で、言葉足らずで、表情筋が死んでいて、人の上に立つには致命的に何かが欠けている。



 ――だけど、そんな殿だから支えたいと思ったのだ。



 深く息を吐き呼吸を整えると、真っ直ぐに殿へ視線を向ける。そして、深々と平伏した。

「ははっ。御心配をおかけし、大変申し訳ございませぬ。己の浅ましさを痛感し、後悔と懺悔の念が胸の内を掻き乱しておりました。…………ですが、もう心配は御無用に存じます。心を入れ替え、今一度上杉家の為に尽力致す所存にございます」

「………………そうか。ならば、良い」

 殿は、小さく呟くと、その場を後にした。

 残された者達は、状況が理解出来ずに狼狽えるのみ。だが、俺にはその一言で全てが伝わった。



 赤紫色に腫れた頬を晒しながら、今一度この場に集まった重臣達と向き直す。その際にも、鋭い痛みが走る。だが、ソレを一切顔に出さず我慢する。

 この痛みは『戒め』なのだから。

 そんな戒めを抱えながら決意する。上杉家の為に、殿の為に、俺は持てる全ての力を使い尽力致す。

 それこそが、俺に出来るせめてもの償い。

「御一同、某の策に御力添え願いたい」

 唖然とする重臣達を後目に、深々と頭を下げて礼を尽くす。

『殿を決して死なせない』

 その使命を果たす為に。




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