15話
天正十一年 四月 越後国 春日山城 直江兼続
その一報は、春の別れと共に訪れた。
庭先にて、日課の素振りをしていた時の事。古くから我が家に仕える二郎が、血相変えて駆け寄って来たのだ。
「と、殿! いっ……一大事にございますっ! 」
「い、一体どうしたと言うのだ……? 」
無意識に声が震える。己が、みっともなく動揺している事が嫌でも伝わる。しかし、それは二郎とて同じである。
二郎は、戦場よりも内政向きな冷静沈着な男。些細な事では、彼の動揺を誘う事など出来ぬ。
だが……そんな二郎が、普段の姿とはあまりにもかけ離れた剣幕で駆け寄って来た。
そんな姿に、何故だか無性に胸騒ぎを感じる。
陽は昇り始めており、今日は比較的暖かく過ごし易い気温。だと言うのに、身体の芯から凍りつくように指先が震える。
次の言葉を聞く前から、腹の底から湧き上がってくる吐き気に口元を押さえる。視界の端が妙に揺れており、今まで感じた事の無い嫌な予感に鳥肌が立った。
――言うな。頼む。言わないでくれっ!
しかし、そんな言葉にならない悲鳴が届くわけも無く。無情にも、俺の裾に縋り付くように寄りかかった二郎の口から全てが語られた。
「先程……先程、早馬が参りました! 与七様が、与七様がぁ!!! 織田家の手に掛かり、討死なされましたぁあ!!! ぅ……ぅぅ…………ぅうっ! 」
「………………っ! 」
崩れ落ちる二郎に巻き込まれるように、地面へとへたり込む。騒ぎを聞き付けた家臣達が集まってくるのを、まるで他人事のように眺めていた。
ふと見上げた空は、透き通るような青空が広がっていた。
***
「……もう一度、申してみよ…………」
「はっ! 魚津城並びに、松倉城・天神山城が織田家に落とされました!!! 被害甚大! 御味方総崩れにございますっ!!! 」
泥まみれになりながらも、懸命に気力を振り絞って語られる報告。主な死傷者が書かれた文が、風に吹かれて揺れている。
数多くの名前が記されているソレには、『天神山城城主小国与七実頼死亡』と、確かに記されている。
覆しようもない現実に、溢れる涙が文を濡らす。
視界に映る世界が急速に色褪せていき、周囲の音が遠のいて行く。未だ若い身空で、何故死なねばならないのだ…………。
この世の不条理さを痛感し、血の涙が流れる。
最愛の弟は、俺の預かり知らぬところで死んだ。必ず守ると約束したのに、それを果たす事が出来なかった。
「俺は、口先ばかりの愚か者だ…………すまぬっ……すまぬ……与七っ!!! …………あぁ…………あぁあぁ…………うわぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあっ!!! 」
噛み締めた唇から、一筋の血が流れる。涙で濡れた文を胸元で握り締めながら、ただただ泣き叫ぶ他無かった……。
翌日、上杉家臣団へ登城する旨の命令が下った。
***
それから五日が経ち、広間は混沌と化していた。
「だから!!! 最早、討って出る他道は無いと何度も申しておりましょう!!! 」
若武者が荒々しく立ち上がり吠えたかと思えば、ソレを鼻で笑う声が出る。
「馬鹿か。どれ程の戦力差があると思うておる。馬鹿の一つ覚えのように野戦を挑んでも、犬死にするのが目に見えておるわぁ! 全く、天下無双の上杉軍も落ちたものよぉな? 」
そんな声を上げたのは、古くから上杉家に仕える古将。"最近の若者は〜"と、良く愚痴を零す悪癖持ちだ。
だが、確かに言葉は悪いが的を射ている。無闇矢鱈に野戦を仕掛けても、数の暴力で飲み込まれるのが目に見えておる。
「なっ! 何だとっ!? この老害がぁっ!!! 」
しかし、そのあまりの言い様に堪忍袋の緒が切れたのか、古将の顔面に若武者の膝蹴りが叩き込まれる。
「ぐぇっ!? 」
弾け飛ぶ古将。馬乗りになって殴り続ける若武者。このままでは、古将が気を失うまで若武者の乱心は収まらないだろう。
しかし、古将も黙ってはいない。若武者の顔を目掛けて唾を飛ばして怯ませると、腹に蹴りをくらわせて吹き飛ばす。
そして、どちらからともなく刀に手を添えると、一息に鞘から抜き去り刀身を見せる。
そこで初めて、呆気にとられていた周りの男達が二人を止めに入った。
「お、おい! 馬鹿か貴様等!? 」
「殿の御前で抜刀する奴がおるかっ!? 」
『うるさい! 野郎ぶっ殺してやる!!! 』
数人の男達が、暴れる二人を羽交い締めして外へ連れ出す。ようやく訪れた静寂に、誰も彼もが溜め息をついた。
***
騒動が収まった後、織田家対策会議が開かれた。左右に分けられた家臣達の間には、越後国とその周囲の地図が描かれている。
「やはり、籠城しか無いか……」
「だが、救援がいないのだぞ? 」
「降伏するならば、早いほうか良かろう。未だに、織田家は不安定な状態。こちらから和睦を提案すれば、無下にはされんだろう」
『なるほど』
皆が皆、今後の方針に関する意見を述べる中、俺はソレを覇気の無い顔で皆を眺めるだけ。
もう、何もかもがどうでも良かった。
殿は、いつのもように能面の様な顔付きで上座に佇むだけだし、残った家臣達は無意味な討論を繰り返すのみ。
即ち、時間の無駄である。
そんな考えが顔に出ていたのか、隣りに座る男から声をかけられた。
「直江殿。貴殿は、如何様に御考えか御聞かせ願いたい。生涯の忠誠を誓った主家の一大事に、ただ黙って何もしない愚か者では無いだろう」
「………………ちっ」
言葉の節々に隠れる嫌味に、思わず舌打ちをする。隠すならば、もう少し上手く隠せ。
苛立ちを覚えながら相手の顔を見ると、普段から俺の事を"口だけ野郎"と、陰口を叩いていた脳筋であった。
正直、言い返すのも馬鹿馬鹿しく思えたが、このあほ面に煽られている方が、腹立たしい事この上ない。
どうせ話す内容など決まっているが、未だに出てきていないからな。
「織田家の狙いは、春日山城の包囲。越中国の戦に目を奪われていては、全てが手遅れになるだろうな」
『なっ!? 』
皆の驚く顔を後目に、地図上の信濃国と上野国・武蔵国へ碁石を置く。
「ここ半年の物の流れから、滝川一益と北条氏政が動いている事は明白。そして、上野国も騒がしい。大方、上野国に残った丹羽長秀の子息が、父の名代として動いているのだろう。昨年、"十二の若さで元服していた"との情報がある故に、まず間違いないだろうな」
『……………………』
言い終わると、その場に静寂が訪れる。皆が皆、唖然とした表情を浮かべて俺を見詰めていた。
敵国の情報を常に仕入れ、その時の物の流れから敵軍の動きを察する事は、至極当然の事だと言うのに、それを全く理解していない。
無能ばかりで嫌になる。
そして、俺が織田方ならば――
その時、慌ただしい足音と共に、襖が勢いよく開かれ一人の男が入ってくる。
男は、俺達の様子から軍議中だったと察したのだろう。己の非礼を詫びると、懐から一枚の文を取り出した。
「失礼致します! 織田軍が、信濃国より挙兵。その数一万以上! 芋川親正が寝返り、田切城が落とされました! それに続くように、上野国から織田軍が進軍を開始! 国境付近の国人衆が次々と寝返っております! 更には、新発田 重家が兵を率いて南下! 織田軍の動きに呼応したと思われますっ!!! 」
『な、何だとっ!? 』
――既に、国人衆を引き込み、包囲網を完成させている。
***
一方その頃、丹羽・北条連合軍の陣営にて、一人の男が文を読んでいた。
「国人衆の引き込み……のぅ。やれやれ、三法師様はまだまだ若いですなぁ。打つ手は良いが、それでは一手遅い」
くつくつと、忍び笑いを浮かべる男。その瞳は、数年ぶりの戦場に血が滾った戦闘狂の色が浮かび上がる。
稀代の名将。
老獪。
天下四大軍師の一角。
表裏比興の者。
梟雄。
対徳川決戦兵器。
後世において、数多の異名を轟かせた戦国最凶の軍師。その名は――
「さて、羽柴殿。早くしなければ、儂が先に食ってしまいますぞ? 貴方が様々な暗躍の末に仕立てあげた。この……極上に太らせた鴨をなぁっ!!! くっくっく……くははははははっ!!! 」
――真田昌幸と言う。




