14話
天正十一年 四月 安土城
国人衆の切り崩し。
咄嗟に閃いた案だが、それ自体は昔からある正攻法の一つ。敵を倒す為に兵力を使うより、味方に引き入れて兵力を増す方が何倍も得だ。
更には、地域に根強い国人衆を引き込めれば、地の利を得るだけでは無く、今後の統治にも良い影響を与えるだろう。
……とりあえず二人に相談した方が良いか。
チラリと視線を向けると、地図を指差しながら口を開く。
「左近が約一万を率いて、信濃国から春日山城を目指す。そして、北条軍と上野衆の連合軍一万が春日山城を目指す……と」
碁石を動かしながら、今後の動きを想定する。そして、白い碁石のある場所で止まった。
「信濃国・上野国と越後国を分ける国境線。その付近にある国人衆を、味方に引き入れる事は出来ないかな? 本領安堵を前提とし、上杉征伐の働き次第では褒美を用意したいと思う」
扇をぺちぺちしながら問いかけると、二人は揃って悩ましい表情を浮かべた。
"何か、問題でもあるのだろうか? "
そんな考えが顔に出ていたのか、五郎左が歯切れが悪そうに話を切り出す。
「……確かに、国人衆は先祖代々受け継いできた自領に対して、異常なまでに執着しております。客観的に見て、現状は越中国を支配した織田家優勢と言えましょう。であれば、本領安堵を条件にした寝返り工作は、充分可能かと思われます。…………ですが――」
「甘いですな」
五郎左の言葉を遮るように、冷たい声音が評定の間に響く。俺も、五郎左も口を閉ざして声の主へと視線を向ける。
そこには、険しい表情を浮かべた藤の姿があった。その厳しい眼差しに、思わず視線を逸らしそうになるも、藤の眼差しがそれを許さない。
暫しの静寂。そして、藤は重々しく口を開いた。
「…………三法師様。裏切りを誘発させること自体は、実に理にかなっております。儂も、戦場では良く使っております故…………ですが、仲間を裏切った者達を易々と許してはなりませぬ」
氷のような眼差しが、俺を貫く。藤の言葉には、有無を言わせない迫力があった。藤は、吐き捨てるように続きを話す。
「一度でも裏切りの味を覚えた者は、もう二度と正道には戻れませぬ。その背徳的な甘い蜜を、いつまでも求め続ける。己の利の為なら、喜んで主人の背中を刺す外道と化すでしょう」
「藤吉郎……」
五郎左の気遣うような呟きは、一瞬だが藤の言葉を遮り戸惑わせた。だが、ほんの少しだけ藤の顔が五郎左の方へ向くと、五郎左は息を飲んで口を閉ざした。
その時、藤の顔はこちらから見えなかったが、その一瞬零れた佇まいが、何とも虚しく悲しい香りとなって伝わってきた。
そして、再び藤の顔がこちらへ向く。
「それを逃れたいのであれば、方法はただ一つ…………見せしめにございます。五人の国人衆を引き込むならば、その内の一人に無理難題を押し付けて拒絶させましょう。そして、反発したところを全軍で叩き、一族郎党晒し首にするのです」
「……っ! 」
藤の語る光景が目に浮かび、思わず口元を押さえる。あまりにも残酷な手法。されど、確実に結果を残せるモノだと悟る。
だが、ソレを受け入れられる程、俺の心は強くなかった。
「三法師様。重要なのは、慈悲の与え方でございます。こちらが、譲歩してはなりませぬ。あちらが、頭を垂れたところで与えるのです。それが、国人衆を縛る鎖となり、裏切りを阻止する楔となるのです。…………五郎左殿も、その事は理解しておりましょう」
「……っ! 」
藤の言わんとすることが理解出来てしまい。咄嗟に、五郎左の方へと顔を向ける。そして、力無く首を横に振る五郎左の姿を見て、己の迂闊さを恥じた。
藤が、心を鬼にして忠言してくれていなければ、俺は取り返しのつかない失態をしてしまうところだった。
それが、凄く辛かった…………。
長い長い沈黙の後、ようやく顔を上げると、藤へ視線を向ける。
「いつも、藤に辛い役割を押し付けてしまってごめんね」
「……いえ、儂も少々言葉が過ぎました。お許しくださいませ」
深々と頭を下げる藤に、首を振ってソレを否定する。主君の間違いを諌める事は、誰にでも出来る事では無い。
「藤は、間違っていない。間違っていたのは、余の方だ。余は、織田家当主。優先すべきは、織田家の者達を守ること」
己に言い聞かせるように、何度も呟く。
そして――
「…………藤の案を採用しよう。調略をもって国人衆の切り崩し、上杉家の連携を分断。その隙を突いて、一気に包囲網を完成させよう」
『ははっ! 』
俺の決断に、一同平伏して賛同を示す。次に、今まで静かに控えていた朝顔へ視線を向ける。
「朝顔」
「はっ! 」
「直ぐに右筆に文を書かせる。明日にでも越中国へ向かってほしい」
我ながら酷い事を言っているが、朝顔は何一つ不満な色を見せずに平伏する。
「ははっ! 承知致しました! 」
朝顔の元気な声が、無性に胸を騒がせる。まだまだ十代前半の少女が、何の不満も見せずに嬉々として戦場へ赴く。
俺は、安全な場所でのうのうと過ごしながら……。
そんな罪悪感が胸を切り裂き、思わず立ち上がって朝顔の元へと歩み寄り、その小さな手を握り締めていた。
豆だらけで、土汚れが染み付いていて、数えきれない程に傷付いている。とても子供とは思えぬ修練の痕だ。
お世辞にも綺麗とは言えぬ手だが、俺にはとても輝いて見えた。
「と、殿っ!? 」
「此度の戦は、三方面からの包囲網が肝。それ故に、一箇所でも先走れば隙を作る事になりかねない。軍と軍を結ぶ連携こそが、織田家の勝利を招くと確信している。…………白百合の皆には、とても苦労をかけるけどお願い出来るかな? 」
俺が、申し訳なさそうに眉を下げる。その姿を見た朝顔は、手を振り解き慌てて頭を下げた。
勢いよく額を打ち付けた故か、鈍い音が微かに部屋に響く。明らかに痛い筈だが、朝顔は気にする事も無く口を開いた。
「殿は、私共にとって命の恩人にございます! 殿が手を差し伸べて下さったからこそ、今日の白百合家があるのです! であれば、命を懸けて殿に仕える事は、至極当然の事にございますっ!!! 現在、二百名の者達が、越中国・信濃国・上野国にて配置についております。必ずや、殿の御期待に応える働きをお見せ致しましょう! 」
何一つ偽りの無い真っ直ぐな善意が、俺に向けられる。俺は、それを黙って受け入れる他無かった。彼女達は、俺が喜ぶと思って動いてくれているのだ。
であれば、それを受け取らねばあまりにも報われない。
「…………ありがとう」
俺は、いつの日にか、彼女達が年相応に過ごせる日々を作りたい。そう願って止まないのだ。
***
そして、同時刻。
春日山城では、軍議が開かれていた。




