13話
天正十一年 四月 安土城
手元にある文を読みながら、幾度も頷く。
そこには、権六らしい豪快な筆跡で皆の奮闘ぶりが書かれていた。俺が予想していた以上の結果に、安堵の溜め息をつく。
この結果は、俺が予想していた中でも最高の結果だろう。死者は無し。多少怪我人はいるが、死に至る怪我では無く、しっかり療養していれば日常生活に支障は無いみたいだ。
であれば、後は当主である俺の仕事。負傷者の手当は、全て織田家が管理しよう。それが、民からの支持に繋がり、家臣達の忠義となるのだ。
瞳を閉じてこれからの方針を固めていると、不意に左右から視線を感じた。不思議に思って視線を向けると、心配そうに見詰める二人の顔。
どうやら、黙り込んだ俺を見て、"悪い内容だったのか"と、心配になっていたようだ。
その事に気付いた俺は、心配いらないと微笑みを浮かべながら、伝令の内容を二人に伝えた。
「魚津城を又左が、松倉城を内蔵助が、天神山城を権六が攻略に成功したみたいだね。兵の損害も僅か。御味方大勝利だね」
『おぉ! 』
伝令の内容に、嬉しそうに膝を叩く二人。上杉征伐が順調に進んでいる事が、彼等からしても嬉しい事なのだろう。
それも、数日で三つの城を落とす大成果。もしかしたら、未来で語り継がれる戦いになったかもしれないな!
一気に場の空気が良くなり、一同笑顔を浮かべる。そんな中、五郎左が懐から一枚の紙を取り出して広げた。そこには、大まかな北陸地方の地図が描かれている。
そして、三つの黒い碁石を越中国に並べた。
「魚津城・松倉城・天神山城を攻略したならば、越中国は支配下に置いたも同然。冬の間に行った調略により、加賀・能登国の国人衆に背後を突かれる心配もございません。であれば――」
五郎左の右手が碁石を摘み、流れるように海岸線沿いを通って印が書かれた場所へ止まった。
「春日山城への道が出来ました。道中には、差程城も無く、有っても小規模な山城ばかり……間違い無く、上杉家を滅ぼす好機と言えましょう」
「…………であるか」
俺の呟きが、虚しく宙へと溶ける。上杉征伐を発令した時点で分かっていた事だが、今になって実感する『上杉家を滅ぼす』と言う事実に、思わず瞳を閉じた。
ここで、俺が下す決断が、この上杉征伐の結末を左右する。そんな事は、とうの昔に分かっていた。
***
「上杉征伐の方針を変えるつもりは無いよ。上杉家は、景勝の代で滅びる。上杉家の存在自体が、東の不和を招くのならば、織田家一門衆を養子縁組させる事も出来ないからね。一刻も早く天下泰平の世を築く為に、上杉家を滅ぼす。それは、決定事項だよ」
しっかりと断言すると、藤と五郎左が安心したように肩の力を抜く。その姿に、己の不甲斐なさを感じて申し訳無く思う。
この土壇場で方針を変える可能性を、彼等は危惧していたのだ。それ即ち、俺がまだまだ未熟だと言うこと。
その事を自覚して、思わず指先に力が入る。袴に刻まれた皺が、嫌でも瞳に映った。
それでも、何とか笑顔を取り繕うと、気を取り直して、話の続きを始める。
「朝顔。権六は、今後の方針について何か言っていなかったかい? 」
すると、俺から話を振られた事が嬉しかったのか。朝顔は、瞳を輝かせながら返事をする。
「はっ! 柴田修理亮様は、旧魚津城付近に建てられた支城の一角にて、軍を編成し直して機を待つとの事! 」
「…………であるかぁ」
頷きながら視線を横に向けると、藤も五郎左も頷いて返す。権六の方針について、特に問題は無いのだろう。
"他にやれる事は無いか"と、視線を地図に向ける。権六に任せた兵は、約三万人。更に、左近と北条軍を合わせれば五万近く。これだけ集めれば、大概の戦には勝てるだろう。
だが、此度の戦ではそうとは言いきれない。
眉間に寄った皺を摘んで解す。お茶で喉を潤し、ホッとひと息。
『一見、織田家優勢に見えるが……粗を探せば、いたるところに見つかる危うい状態』
それが、客観的に見た現状の評価である。
まだまだ問題点も多く、その場頼りが多いのが現状。何か一つ想定外な事が起きたら、形勢がひっくり返ってもおかしくは無い。
…………もっと煮詰める必要があるな。
そんな思いを込めながら、藤と五郎左へ視線を向けた。
「一先ず、権六達はそのままで良いと思う。こちらから細かく指示するよりも、左近と北条軍次第で、臨機応変に対応してもらった方が良いだろうからね」
そう言うと、二人も口々に賛同を示す。
「然り然り」
「左様ですな」
頷く二人。それに続くように、五郎左へと視線を向けると、姿勢を正してこちらを見詰める。
「しかし、未だ不安材料も多い。五郎左。上杉家は、どれ程の兵を集めると思う? 」
「………………」
俺の質問に、五郎左は顎に手を当てて考えにふける。暫しの静寂。そして、考えがまとまったのか。今一度、俺の方へ向き直った。
「上杉謙信が、織田家討伐軍を編成した折には、五万以上の兵が集まったと聞き及んでおります。ですが、それは補給隊等の後方部隊を加味した数字。であれば、実質的な戦闘兵は二万程かと思われます」
「…………であるか」
五郎左の言葉に相槌を打ちながら、藤へと視線を向ける。すると、藤は五郎左の考えに待ったをかけた。
「それは、遠征の場合であり、防衛戦となればそれ以上の兵が、戦場に出る可能性を考えねばならないでしょう。最悪の場合、全ての国人衆を味方につけた上杉軍は、総勢三万……否、四万を超える大軍になるやも知れん! 」
藤の発言に、思わず嫌な汗が流れる。
現状、上杉家が、どれ程の兵を揃えてくるか分からないが、もしかしたら藤の言う通り三万以上を用意する可能性もある。
何故ならば、上杉家には後が無いからだ。御家存亡の危機となれば、死にものぐるいで総力を上げてくるだろう。
対してこちらは、未だに多くの敵を抱えており、とてもでは無いが全軍出撃は不可能。保険として、予備兵力を控えておかねばならない。
しかも、此度の戦は遠征だ。上杉謙信が織田家討伐軍を編成したように、軍の中には、当然物資補給部隊もいる。実質的に、兵数の三割程度は戦力に数えられん。
であれば、兵数は同格となってしまう。
そして、地の利が上杉家にある以上、此度の戦は必ず勝てるとは言えないのが現状である。
――ならば、敵を切り崩せば…………。
そんな考えが、脳裏を過ぎった。




