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11話

 天正十一年 四月 越中国 天神山城 小国実頼



 ソレに気付いた時には、全てが手遅れだった。



 ***



 足を進める度に強くなっていく雨足。ぬかるんだ斜面に足を取られないように、指先にまで力を込めて歩みを進める。

 拭いても拭いても顔が濡れ、視界は一寸先すらぼやけて見える。強く叩き付ける雨音は、傍に控える家臣の声も遮っていた。

 ただ、周囲から漂う重い空気に、兵士達の状況を肌で感じる事が出来た。

「…………一旦、足を止めて兵を休ませた方が効率は良い……か」

 そんな事を呟くも、直ぐに頭を振って否定する。

「…………否、このような状況下では休めるものも休めん。やはり、このまま下山を優先した方が良い。開けた場所の方が、兵士達も休めるだろう」

 己の中で方針を固めると、兵士達を激励するように声を上げる。

「そろそろ地上が見えてくる頃合だ! 一同気を抜かずに足を動かせぇっ!!! 」

『………………ぉお…………』

 微かに聞こえた返答。ほとんど聞き取れなかったのは、この雨のせいなのか……それとも……。



 何故か胸の内が騒めく。

 言葉では言い表せない嫌な予感がして、咄嗟に周囲を見渡す。益々勢いが強くなる雨足で、視界は全く見えずにいる。

 だが、そんな状況下であっても、戦場で身に付けた直感は、この身に迫る確かな脅威を主人に伝えんと警報を鳴らしていた。

「…………前方…………何だ? ……何が…………」

 上手く言葉に出来ないもどかしさに、苛立ちを覚える。喉元まで答えが出ているのだ。なのに、それが中々出てこない。



 ふと視線を降ろすと、ようやく違和感の正体に気付いた。大地が、僅かに揺れているのだ。まるで、大軍がこちらへ向かって来ているように。

「敵しゅ…………っ! 」

 慌てて声を上げる瞬間、まるで時の流れが緩やかになったような感覚に陥る。

 雫一つ一つすら認識出来る世界。音を置き去りにしたような世界の中、こちらへ迫るおびただしい数の軍勢が視界に入る。

 その殆どは、怯えたように逃げ回る自軍の兵士達。誰も彼もが、我先にと天神山城を目指して駆け上がる。

「おい! 貴様等、何をして……っ! 」

 制止の声が聞こえ無いのか、兵士達は次々と俺を追い越していく。慌てて一人の兵士の肩へと手を伸ばすも、弾かれたように右手が宙を舞う。

 そして、体勢が崩れたところを追撃するかのように、後続がぶつかった。



 反転する視界。叩き付けられる衝撃。苦い土の味が、口いっぱいに広がる。鈍く肉が潰れる音。力無く倒れ伏す俺の身体を、次々と踏み潰していく。



 そして、意識を失った。



 ****



 ……どれ程の間、気を失っていたのだろうか。

 周囲には、既に人の気配が無く、降りしきる雨の音しか聞こえない。

 不意に、視界に入った指先を動かそうとするも、一向に動く気配が無い。指先だけでは無く、身体全体に力が入らず、ただただ雨に濡れるのみ。



 そんな泥にまみれた無様な姿を晒しながら、一人静かに涙を流す。降りしきる雨がこの涙を隠してくれる事が、せめてもの救いだった。

 今までの行動を思い返し、後悔の念が胸の内を激しく掻き乱す。……俺は、間違っていた。こんなやり方では、人を使いこなす事なんて出来ない。俺は、兄上とは違うんだ…………。

 そんな簡単な事に気付くのが、あまりにも遅すぎた。どんなに悔いても、過去に戻る事は出来ない。覆せない事実と知りながら、"やり直したい"と何度も何度も嘆く。



 なんとまぁ……愚かで、滑稽な話だ。



 ぼんやりと空を眺める。息を吐く度に、身体から力が抜けていくのが分かる。もう……俺に残された時間は僅かだろう。



 だが、もし叶うのであれば――



「もう一度……兄上に……会いたかった……」



 ***



 小国実頼死亡。享年二十二歳。

 その死は、誰に知られる事も無く、一人虚しくその短い生涯に幕を閉じた。

 彼の遺体は、後日坂道を下ったところにある木の根元より発見された。当初、あまりにも遺体の損傷が激しく身元不明として処理されたが、その胸元から直江家の家紋である三盛亀甲花菱をあしらった短刀が発見され、小国実頼と断定された。



 彼の死後、柴田勝家率いる織田軍は、勢いそのまま天神山城へ駆け登る。小国実頼が率いていた四千五百の兵士達は、背後を突かれことごとく討ち取られていった。

 しかし、彼等の死因の多くは直接的な戦闘が原因では無く、味方に踏み潰され、斜面に突き落とされた事などが最も多かった。

 それ故に、柴田勝家の軍勢は無傷のまま天神山城へと到着する。その様子を見た小国重頼は、敗北を悟り降伏。城内の者達の命と引き換えに、切腹を申し出る。

 翌日、柴田勝家はその申し出を承諾。雲一つない空の下、小国重頼はその生涯に幕を閉じた。



 小国重頼の切腹後、残された五百の兵士達は、織田軍に連れられ天神山を下山。誰も居なくなった天神山城は、柴田勝家によって焼かれる事となる。

 結果として、小国実頼の判断は、越中国が誇る堅城が僅か一日で堕ちる事に繋がった。その失態の影響はあまりにも大きく、松倉城にて奮闘する須田満親の心を折る最大の要因となった。



 四月十八日。

 須田満親降伏。本郭まで攻め込まれた上杉軍は、そのまま形勢を覆す事が出来ずに、織田軍の前に敗北を喫した。

 ここに、織田家越中国完全支配が成立。上杉家の居城春日山城まで後僅かとなる。



 そして、その一報は安土城に居る三法師と、春日山城に居る上杉景勝の元へと迅速に届けられた。両家の総大将が、いま決断の時を迫られる。




時間軸。


四月十五日。

魚津城陥落。


四月十六日。

佐々成政が、松倉城二の郭を攻略。


四月十七日。

明朝、小国実頼が天神山城を出発。

昼頃、小国実頼死亡。

夕方、小国重頼降伏。天神山城陥落。


四月十八日。

朝方、小国重頼切腹。天神山城焼失。

昼頃、織田軍が松倉城本郭城門突破。

夕方、須田満親降伏。


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