9話
天正十一年 四月 越中国 松倉城 佐々成政
鈍く重い音が辺り一帯に静かに響く。
そして、静寂が訪れた直後に、男達の怒号が響き渡った。絶え間無く聞こえる交戦の音。怒号と悲鳴が入り交じった音。
ここからでは良く見えないが、何が起きたか直ぐに悟る事が出来た。
――遂に、城門が破られたのだ。
それを理解すると、腹の底から熱いモノが込み上げてきて、自然と腕を振り下ろしていた。
「進めぇえぇえっ!!! 」
『ぅぅぅぅぉおぉおぉおぉおっ!!! 』
俺の指示に従い五千の兵士が、一気に松倉城へ雪崩込む。一応、第一陣から第五陣まで分けられているのだが、見る限りではあまり守られていない。誰も彼もが、我先にと身体を強引に前へ進めている。
そして、その先の光景は更に酷い。
松倉城本郭へと足を踏み入れた者の瞳には、既に敵しか見えていない。その者の顔には、狂気の色が浮かんでおり、握り締めた武器を一瞬で血に染めた。
現在、城門付近では交戦する者と、前へと進む者で入り乱れている。最早、地面に転がっている者が、味方なのか敵なのかも分かっていないだろう。
……この様子では、踏み潰されて死ぬ者が多発しそうだな。だが、最早奴らは止まらない。所詮は、補充の効く百姓や浪人共だ。問題無かろう。
瞬時に彼等を切り捨てる判断を下すと、視線を後方に控える家臣達へと向けた。
「お主等は、後詰めとして待機。無いとは思うが、逃走する敵を見付けたら直ぐに捕らえよ」
『はっ! 』
此奴は、替えのきかない武士。ここまで鍛えた労力を考えれば、決してこのようなくだらない戦いで潰して良い人材では無い。後方待機が無難だろう。
それに、万が一だが、敵将が逃げ出した時に捕らえる者も必要だからな。荒木村重のような武士の風上にもおけぬ輩もいるからな。
"あのような失態は出来ない"と考えるも、そんな事は起こらないだろうと思う。この松倉城の構造上、ろくに身を隠せない坂から逃げ出すような馬鹿がいるとは考えられないからだ。
それに、この坂はかなり急な斜面だ。一歩足を踏み外したら、下へと真っ逆さま。命知らずにも程がある。
しかし、"常に最悪の場合を想定して動け"と、親父殿から教わった心得がある。備えておく事に無駄は無いだろう。
そこまで考えると、踵を返して奥へと下がる。もう此処に居ても仕事は無い。大将足るもの敵の射程圏内に居るのは論外だからな。
それに、松倉城に居る敵兵は精々五百。対して、こちらは五千の兵が松倉城本郭へと足を踏み入れた。更に、後詰めの五千も居る。城門を突破した時点で、既に勝敗はついている。
「俺は、本陣へと下がる。指揮は、彦三に預ける。これもまた経験だ。励めよ」
「承知仕りました」
深々と頭を下げる彦三。まだまだ若輩者だが、その瞳には油断の色は無い。その様子に、もう心配はしなくても良いと判断した。
「うむ。任せたぞ。…………あぁ、それと死体を埋める穴を掘れるだけ掘っておけ。死体を放置すれば、仏罰が下るからな。これから上杉家との決戦があるのだ。余計な事をして、勝機を失う事はしたくない」
「ははっ! 直ぐに手配致します」
立ち去る前に、一つ頼み事をする。三法師様は、特にこのような些細な事を高く評価される御方。何処に監視の目があるかも分からぬが、やっていて損は無いだろう。
……俺は、この程度では終わらぬ。越中国を完全に支配した暁には、その功績を足掛けに、更に上へと成り上がってみせる!!!
後数年で、戦乱の世は終わる。最早、武功を挙げる機会はそう多くない。この上杉征伐で更に功績を挙げ、いつか大老へと登りつめてみせる!!!
天下を治める織田家の大老だ。その権力があれば、もう二度と俺を下に見る奴はいない! どんな事でも俺の思うがままだ!!!
誰にも邪魔させない。誰にも譲らない。その席は、この俺のモノだ。
それが、俺の野望っ!!!
"俺の邪魔をする奴は、如何なる者でも容赦しない"。理想の未来を夢見て頬が緩む。そんな暗い笑みを浮かべたまま。俺は、本陣へと下がっていった。
***
本陣へと下がり、図面を開きながら今後の予定を立てていると、不意に背後から気配を察知した。一瞬で現れた気配に冷や汗を流すと、冷静さを取り繕いながら声をかける。
「…………竹殿でしょうか? 」
「……………………正解」
小さな返事が聞こえると、小さく安堵の息を吐く。視線を向ければ、全く表情の変わらない華奢な女子の姿があった。
三法師様直属隠密部隊白百合。その頂点に位置する三日月が一角。先程の気配は、俺に悟らせる為にわざと放ったのだろう。俺の背後を容易に取るとは、その技量に偽り無し……か。
相手は、卑しい間者の身なれど、その身分は三法師直々に認められている。侮り見下すのは、愚の骨頂。
何より、此度の戦いの為に竹殿を借りたのは俺だ。であれば、対等に扱うのが筋と言うもの。
腰に下げた竹筒から水分を取ると、竹殿へ視線を向ける。俺の準備が整ったと判断したのか。竹殿は、ゆっくりと口を開く。
「…………指示通り…………本郭で騒動を…………起こした。…………上杉軍は…………混乱中…………彼岸花は…………良くやってくれた…………」
「そうかっ! 」
竹殿の報告は、まさに吉報であった。城門での戦いに、内部からの騒動。一つでも選択を誤れば、命取りになりかねないこの場面。須田満親の困り顔が目に浮かぶようだ!
俺は、緩む頬を隠そうともせずに、上機嫌に竹殿へ礼を言う。
「それは、最高の仕事だ。礼を言うぞ竹殿! はっはっは! これで、我が軍の勝利にまた一歩近付いたな! しかし、たった一人忍び込ませただけで、ここまでの戦果を挙げるとはな! 予想以上の成果だ! 誠に大したものだ! 」
「…………彼岸花の成果…………あの子は特別…………」
「うむ。そうか! 」
白百合隊十傑第四席彼岸花……か。中性的な見た目をしていたが、それ以外はいたって普通な子供に見えた。
しかし、それこそが忍びとしての才覚なのだろう。決して侮れぬ存在。風の噂で、織田家の膿を人知れず掃除していると聞いたが、どうやら嘘では無かったらしい。
…………恐ろしいものだ。
無意識に左腕を握ると、僅かに鳥肌が立っていた。その事実に驚き。数回深呼吸をして、息を整える。
彼女達は、味方だ。三法師様に歯向かわない限り、その刃が俺に向かう事は無い。寧ろ、三法師様へ直接俺の功績が届く絶好の機会だと考えるのだ!
自己暗示のように、何度も何度も心の中で唱えていると、不意に竹殿から声をかけられた。
「…………それと…………予定通りに…………事は進んでいる。…………ここからでも…………見える…………」
「……っ! 」
その言葉に、弾かれたように視線を向ける。すると、遥か先の山から煙が昇っていく様子が伺えた。その方角には、天神山城がある。
「来たか! 親父殿っ!!! 」
これで、全ての札が出揃った。我が軍の勝利は、決まったも同然!!!
「くっくっく…………はっはっは! …………あっはっはっはっはっはっは!!! 」
***
佐々成政が笑い声を上げた同時刻。松倉城より、須田満親も同じ景色を眺めていた。
「ま、まさか……落ちたのか?! あの天神山城が!? こ、これでは、もう俺に手は…………」
絶望に染まる表情。震える身体は、恐怖故か、それとも織田軍の猛攻に揺れる城のせいか。
既に、その首には死神の鎌が添えられていた。




