8話
天正十一年 四月 越中国 松倉城 佐々成政
総攻撃の号令に、法螺貝が一斉に鳴り響き、一万の軍勢が雄叫びを上げる。どうやら、半年に及ぶ膠着状態に苛立ちを覚えていたのは、俺だけでは無かったらしい。
あれから半年。作戦とはいえ、俺も良く我慢したものだ。だが……最早、手加減はいらない。
俺は、目の前に佇む松倉城を一瞬睨み付け、そして不敵に笑った。越中国有数の名城。天然の要塞である松倉城を正攻法で攻めれば、攻め手も多大な被害を受けよう。
だが、今の松倉城は脅威とは言えない!
俺は、おもむろに足を進める。兵士達の視線を一身に受けながら前に立つと、織田家の馬印を宙に掲げた。
「松倉城が、如何に堅城であろうとも、城を守る兵士が脆弱であれば、その機能を充分に発揮しない! 半年に及ぶ兵糧攻めにより、完全に物資の尽きた松倉城など恐るるに足らず! 今こそ、日ノ本最強足る織田軍の武勇を示す時だっ!!! 」
『おぉっ!!! 』
織田家の馬印が、兵士の圧で揺れる。
「眼前の敵を踏み潰せ! 我らの歩みを邪魔する者を、ことごとく蹂躙せよ!! 刃を持つ者は、例え女子供でも見逃すな! ただただ敵を討ち滅ぼす事だけを考えよっ!!! 」
『おぉおぉおっ!!! 』
更に、勢いは増していく。
「成り上がりたい者は、ひたすらに武功を求めよ!!! 織田家では、結果が全てだ! 敵兵を殺せ! 城を壊せ! 敵将の首を宙に掲げよ! 」
『おぅ!!! 』
槍を掲げれば、それに続くように皆も掲げる。
「金が欲しいか? 」
「女が欲しいか? 」
「名誉が欲しいか? 」
「ならば、己の全てを懸けて武功をあげよ! 織田家に、三法師様に忠誠を捧げよ!!! 己が胸の内に秘める野望のままに、愚かな敵を蹂躙せよ!!! さらば、与えられん!!! 」
『おぉおぉおぉおっ!!! 』
荒ぶる家臣達の咆哮が響き渡り、士気は最高潮へ到達。突如として吹き荒れた突風に、馬印が大きくはためいた。
「破城槌を持てっ! 城門を破壊し、本郭へ押し入るのだ!!! 己が野望の為に、敵を討ち滅ぼすのだっ! 進めえぇぇぇぇっ!!! 」
『おぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおっ!!! 』
松倉城二の郭に響き渡る咆哮。直後に、松倉城本郭城門へ凄まじい衝撃が走る。何度も何度も、破城槌がぶつかる度に軋む音が鈍く聞こえる。
織田軍の猛威が、今にも上杉軍を蹂躙しようとしていた。
***
一方その頃、松倉城本郭に籠る上杉軍も手をこまねいていた訳では無い。松倉城城主である須田満親は、身を震わせながら前線へと指示を出していた。
「決して、城門を破らせるな! 高低差を活かして、弓矢を降らせるのだ!!! 」
松倉城は、険しい山に建てられた物。当然の事ながら、本郭に陣取る上杉軍は高台を抑えている。高台から弓矢を降らせる事は、実に理にかなってると言えよう。
だが、現実はそうあまくは無い。
「し、しかし! 既に、矢は尽きています! 」
涙目で弱音を吐く家臣に、思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。その痛ましい身体を見て見ぬふりをする他無かった。
当初三千は居た兵士も、今では僅か五百。まともな食事は、ここ一ヶ月取っておらず、見るも無惨な風貌と化している。
最早、上杉軍の士気は地に落ちていた。
「……っ! ならば、槍でも石でも構わん。兎に角、織田軍の動きを阻害するのだ! ここが、この戦いの正念場だ! 死にたく無ければ、腹に力を込めんかぁっ!!! 」
『は、ははっ! 』
策を練ろうにも、それが実行出来ない。力を振り絞ろうにも、身体の奥から力が湧いてこない。そんな歯がゆい状況に、須田満親は悪態をつく。
まるで、己の行動を全て読み切られているかのような感覚に陥っていた。
***
籠城とは、諸刃の剣である。兵力の差から野戦を避け、城に籠る事は立派な戦法である。だが、佐々成政が述べた通り、援軍の無い籠城は自らの手で己の首を絞める事に他ならない。
直接的な戦闘が殆ど無く、戦っている実感が湧かない。それ故に危機感が薄れがちだが、人が生活する以上食料を消費する。攻撃を受ければ、当然の事ながら、死者や怪我人も出る。槍や弓矢も、消費すれば耐久性は脆くなり、いずれ壊れる。
約半年に及ぶ籠城は、確かに上杉軍を苦しめていたのだ。
***
須田満親は、雑念を振り払うような仕草をしながら、必死に策を練る。このままでは、織田軍に蹂躙される事が分かりきっているからだ。
「…………何か無いか…………何か…………」
頭を抱えながら、独り言を零していると、突然力任せに襖が開かれた。視線の先には、肩で息をする若者の姿。
「はぁっ………はぁっ……はぁっ……報告! 東手より、百姓が反乱を起こしております! その数、およそ三十! 死者数名、怪我人多数! 百姓共は、武器庫へと足を進めております!!! 」
「なんだとっ!? 」
目を見開いて驚きを隠せない須田満親。告げられた一報は、頭を抱えたくなる程に最悪であった。
"何故、この状況で……"
そんな思いが脳裏を渦巻く。しかし、時は無情にも流れていく。この状況で思考を停止する事は最悪手。決断を迫られていた。
「殿! 御決断を! 」
指示を乞う家臣。流れる汗。強く握り締めた拳は、裾に深い皺を寄せる。
「~~っ! 二郎! 五十人の兵を率いて、速やかに鎮圧して来い!!! 」
「御意っ! 」
須田満親の指示を受け、弾かれるように飛び出す二郎。廊下に響く切羽詰まった声が、事の深刻さを表していた。
***
伝令を伝えた若者に導かれ、二郎率いる五十人の兵士達が現場へ急行する。
「百姓共は、今何処におる!? 」
「あちらでございます! 」
間髪入れずに告げられた答え。その指先に視線を向ければ、道中に荒らされた形跡の目立つ武器庫一帯。周囲に飛び散っている血潮が、報告の信憑性を高める。
「……っ! 行くぞぉお!!! 」
『ぉお! 』
刀を握り締めながら、勢い良く食料庫へと足を踏み入れる。
「そこまでだ! この百姓風情……がぁっ!? 」
しかし、その言葉は最後まで続く事は無かった。
二郎の胸を貫く一振りの刀。普段であれば、白く美しく輝く刀身は鮮血で濡れている。
「がはぁっ! ……な、何故…………貴様…………」
血反吐か口元を汚し、視界が暗転する。最後に見た光景は、薄笑いを浮かべる若者の顔。
先程、百姓の反乱を伝えた顔だった。
「さぁて、祭りの始まりだぁ! 」
血に濡れた愛刀を舐めながら、甲高い笑い声を上げる。狂気に染まる表情、正気とは思えぬ佇まいは、その場を支配するに充分な効力を発揮した。
『うっ! うわぁあぁあぁあぁぁあっ!!? 』
必死な形相で逃げ回る兵士達。その背中を、若者は満面の笑みで貫いていく。
「あは! あはは! あはははっ! 逃げろ逃げろ! もっと、もっと僕に楽しませろぉ!? 」
突如として始まった狂乱。その同時刻に、城門が織田軍によって破壊される。絶望が、松倉城を覆わんとしていた。




