6話
時は、魚津城崩壊直前にまで遡る。
山本寺景長だったモノを、己が胸の中で抱き締めながら絶叫する中条景泰。その命が尽きる事は確定事項であり、どう足掻いても死ぬまでの時間が少しばかり稼げるのみ。
武士として死ぬ事すら出来ず、仲間と誓い合った約束も果たせず、友に最後の言葉を送ることすら許されない。
あまりにも残酷な結末。中条景泰の人生は、織田家の砲撃によって幕を閉じる筈だった。
そう……筈だったのだ。
中条景泰は、織田家に一矢報いる事は出来ずに死んでいく運命だった。もう、彼には砲撃から逃れる術も無く、生きる気力すら無かったのだから。
しかし、その運命は覆る事となる。
鳴り響く轟音。魚津城を囲う五つの支城が僅かに揺れる。三度目の正直とばかりに、魚津城を破壊せんと砲弾が迫る中、中条景泰の周りにあった瓦礫が突如として崩れ、十一の影が中条景泰の元へと集った。
その十一の影こそが、決起会に集っていた武将達。彼等は、最初の砲撃で致命傷を負いつつも、微かに息をしていたのだ。
二度目の砲撃により、意識を取り戻した彼等が見た光景は、真っ赤に染まった布切れを抱き締めながら絶叫する中条景泰の姿。
その傍らに落ちていた山本寺景長の名札を見た彼等は、全てを悟り行動に移したのだ。
――中条景泰だけでも救う。
その一心で、彼等はその身を盾にして中条景泰を守り抜いた。文字通り己の全てを懸けて。
……本来、彼等にはそこまでの余力は無かった。彼等もまた、倒壊する魚津城に押し潰されて絶命する運命だった。
しかし、彼等は抗った。
己が内に灯った命の焔を、その一瞬に燃やし尽くす事で奇跡を起こしたのだ。
その結果。中条景泰は、生き残った。一つに固まった彼等が壁となり、上から降り注ぐ瓦礫から守り通してみせた。
魚津城が平城だった事も幸いであった。もし、天守閣のある城であれば、足場が崩れ落下の衝撃で息絶えていただろう。
然して、中条景泰は死を免れた。
彼を守り抜くと言う人の想いが、運命を凌駕してみせたのだ。
何故、運命を覆せたのかは分からない。致命傷を負っていた彼等が、どうやって身体を動かしてみせたのかも定かでは無い。
だが……僅かな時間だけかも知れないが、確かに中条景泰の寿命は伸び、彼等の意志は受け継がれた。
それだけは、確かな事実である。
***
天正十一年 四月半ば 越中国 魚津城 中条景泰
意識を取り戻した俺は、静かに涙を流した。頭上に瓦礫が積まれているせいか、辺り一面真っ暗闇で何も見えないが、今の状況が全て分かっていた。
俺は…………竹俣殿達に助けられた。
この魚津城が崩壊する寸前、近くにあった瓦礫から飛び出す竹俣殿達の姿を、未だ鮮明に覚えている。
しかし、竹俣殿達の姿は、とてもでは無いが五体満足とは程遠い姿。血に濡れた身体。折れ曲がった四肢。腹を貫通した柱。まさに、満身創痍と言っも過言では無い。
だが、そんな瀕死の身ながらも、その瞳には確かな焔を宿していた。
俺は、そんな竹俣殿達を見て、涙を抑える事が出来なかった。死の間際に、今一度皆の姿を見る事が出来た事が嬉しくて堪らない。
「竹俣殿……吉江殿…………」
俺は、最後の言葉を紡ごうとするも、その言葉が形になる事は無かった。形にする前に、竹俣殿の力強い眼差しが俺を貫いた。そして、ゆっくりと口が開いていく。
――た・の・む。
次の瞬間、凄まじい衝撃と共に視界が暗転した。
目覚めた時には、全てが終わっていた。竹俣殿達は、俺を身を呈して守り死んでいった。
むせ返る血の匂いと、真っ暗闇の中で俺は竹俣殿の言葉を繰り返し唱えていた。
『頼む』
「…………何を頼むって? そんなもの分かりきっておるでは無いかっ」
懐刀を握り締めながら、決意を固める。
織田軍は、必ず魚津城へやってくる。俺達の生死を確かめに、わざわざあちらから近くまで来てくれるのだ。
願っても無い好機。竹俣殿達の死体を確認し、織田軍の勝利を確信したその時、奴等は必ず油断する。全てが終わったと、気を緩ませる。
その刹那に、全てを懸ける。
「皆……少しだけ待っていてくれ。必ずや、織田軍の大将を討ち取り、冥土の土産とする。お前達の死は、決して無駄にはしない。俺が……決して無駄死にとは言わせないっ! 」
――必ずや、一矢報いみせる!!!
決意を胸に、瞳を閉じて息を潜ませる。その時を、待ち焦がれながら。
***
そして、遂にその時が来た。
「死ぃいぃいぃいぃねぇぇぇえええええっ!!! 」
竹俣殿達を通して光が差し込み、視界に一人の男が映り込む。梅の花びらの家紋。類稀な長身。傍に控える小姓が持つ深紅の長槍。
目の前にいる男こそが、織田家重臣前田利家だと気付く。その刹那、残された全ての力を使い、一足飛びに前田利家へ刃を突きつけた。
「あぁあぁあぁああぁあぁああぁっ!!! 」
言葉にならない絶叫。狙うは心臓。仲間の血で濡れた刃が、陽の光で赤く輝く。宙を舞う最中にも、激痛が身体を突き抜け血反吐が口元を汚す。
されど、俺は決して止まらない。俺がやるべき事はただ一つ。前田利家の心臓目掛けて、この刃を振るうことだ!!!
しかし……。
「あまい」
瞬時に身を返した前田利家の太刀が、目にも留まらぬ速さで宙を切り裂く。宙を舞う鮮血。激痛と共に、気が狂いたくなる程の熱さを感じる。
俺の右腕は、肘から切り落とされていた。
「身を隠そうとも、貴様が纏う殺気まで隠せておらぬ。未熟也」
短く笑う。まだ、終わっていない。宙を舞う右腕を蹴り飛ばし、前田利家の視界を奪う。
「ぬっ! 」
短く呻いたその意識の隙を縫うように、左手を振るう。鋭利に磨かれた石が、凄まじい勢いで前田利家の瞳を狙う。
鞭のように腕をしならせ、投げる瞬間を悟らせない。薄く平たく伸びた石は、殺傷力は低いが相手を怯ませるには充分。
まさに、会心の一撃だった。
だが、それすら前田利家は防ぐ。
「狙いが明確。故に、防ぐ事は容易い」
僅かに頭を動かし、最低限の動きで攻撃を避ける。凄まじい体幹。その恵まれた巨躯を地面に滑らせながら、低い軌道で太刀が煌めく。
「がぁっ!? 」
右足が落とされ重心が狂う。頭から地面に落下。脳が揺れて視界が歪む。唇を噛み締めながら、再度突撃……する直前で、左腕を切り落とされる。
「……右腕、左腕、右足。最早、貴様は立ち上がることすら出来ぬ。無駄な足掻き止めて、潔く死を受け入れよ」
冷徹な宣告と共に、凄まじい覇気が吹き荒れる。若輩者の己では、到底辿り着けない極地。この前田利家は、紛れも無く当代無双の強者であった。
力無く頭を地面へと擦り付けると、頭上にて太刀を構える気配がした。力及ばず、死を受け入れたと判断したのだろう。
最早、太刀が振り落とされるまで幾ばくも無く、数瞬後には首が飛んでいよう。誰がどう見ても打つ手無しと判断するこの場面。
――この瞬間を、待っていたのだっ!!!
「終わってたまるかぁあぁあぁあっ!!! 」
頭を地面に固定させ、残された左足で一気に飛び上がる。俺の思わぬ反撃に、前田利家の顔が驚愕の色に染まる。
右腕は無い。左腕も無い。武器はとうに尽きた。では、もう攻撃手段は無いのか?
否、断じて否である!!!
俺には、未だこの牙がある!!!
限界まで開かれた口から覗く鋭利な牙。人が、古来より備え待つ原始的な武器が、前田利家の喉元目掛けて解き放たれた。
決まった……そう思った瞬間、前田利家は凄まじい反射神経で身体を動かす。
「な……める……なぁあぁあぁあぁあっ!!! 」
空気を切り裂く轟音。右腕を無理やり動かし、牙が喉元を食い破る軌道に篭手を滑り込ませた。
『ぅぅぅぅぉおぉおぉおぉおぉおっ!!! 』
激しい金属音。舞う鮮血。轟く男達の絶叫。どちらが制するかと思われた瞬間、前田利家の蹴りが腹部を貫いた。
「……ぐぅ……が…………ごふっ!? 」
蹴り飛ばされた俺は、勢い良く壁へと衝突し、力無く崩れ落ちた。その身体目掛けて朱槍が空を切り裂き、轟音と共に俺の身体を壁に縫い付ける。
「……………………っ! 」
声にならない悲鳴を上げ、顔を俯かせる。最早、今の俺では槍を引き抜く事すら出来ない。血反吐が宙を舞い大地を汚した。
そこまでして、ようやく息を荒らげた前田利家が俺の目の前へとやって来た。
「はぁ……はぁ……はぁ……貴様……何ぜぇ……っ! 」
息を整えながら話しかけてくる隙を突き、口に含ませた金属片を瞳目掛けて吹き出す。
しかし、間一髪のところで避けられ、目元を切り裂く事しか出来なかった。だが、ようやく流れた前田利家の血を見て、思わず笑みを浮かべる。
万策尽きた。最早、先程噛み砕いた篭手の破片も無く、身体を動かす事も出来ない。
――だが、一矢報いてみせた。
その事に満足していると、首元に太刀を添えられる。視線を向ければ、顔を歪ませる前田利家の姿が見えた。
「何故、そこまで抗う。何故、貴様の心は折れない。我らの砲撃で悟った筈だ。最早、槍や刀は無用の長物。これからは、銃と火薬の時代が来るのだ。…………武士の時代は終わる。だと言うのに、何故貴様は絶望していない! 」
僅かに揺れる太刀を見て、不意に笑いが溢れる。化け物かと思った男が、そんな些細なモノに怯えているのだ。実に、人間らしいでは無いか。
「くくくっ…………随分、つまらぬ事を言うな」
「笑うな!!! 」
怒号と共に太刀が僅かに肌を切り裂き、血が首を伝う。だが、そんな事を一切気にせずに笑い飛ばしてみせた。
「槍や刀を置けば、武士の時代は終わるって? 馬鹿言ってんじゃねぇよ。武士ってぇのはなぁ、持つ武器一つで変わるもんじゃねぇ! その心のあり方を武士ってんだよぉっ!!! 覚えときな前田利家! 武士は、決して滅ばんっ!!! 」
口元を歪めながら言い放つと、前田利家は憑き物が取れたような良い面構えになった。
「…………左様か。あぁ……そうだな。確かに、つまらぬ事を聞いてしまった」
――お主は、確かに武士だ。
その言葉を最期に、俺の首は宙を舞った。
***
中条景泰死亡。享年二十五歳。
織田軍に最後まで抗った上杉家の忠臣が、その短い生涯に幕を閉じた。
彼の死により、魚津城の戦いは終結。上杉方の武将が全滅する結末となった。
この戦いにおいて、猛威を振るった大砲。未だ、欠点だらけで野戦には活用出来ず、攻城戦でも設置に手間がかかり過ぎる。故に、まだまだ歩兵の重要性は変わらないだろう。
しかし、武器の歴史の針は、間違いなく急激に進み続ける。改良を重ねた新兵器は、今度こそ従来の戦術が通用しない化け物と化すだろう。
だが、武士の魂が受け継がれていく限り、彼等の精神は決して滅びる事は無い。
中条景泰の散り際は、死してなお伝承として残り続け、魚津の地より日ノ本全土へ語り継がれる事になる。




