京都観光
天正九年三月 京
あの悪夢から数日が過ぎた。
俺の意思など、知ったことかと強行された第二回京都馬揃。強制された女装。風に靡く優雅な羽衣と爺さん譲りの美形が合わさり、民衆からは歓声を、公家からは粘着質な視線を何時間にも渡り浴び続けた。
その結果、心に致命傷を負った俺は自室に引きこもり、限られた人以外面会謝絶とした。
爺さんや親父も、今回の件で色々動き回っているらしく、忙しいのか顔も見せない。それが、余計に癪に障る。今は、もう小姓すら入室を許可していない。松と新五郎のみ。まさに、天岩戸である。
「あの……殿? そろそろ、外へ出てみませんか? 皆、心配しておりますよ? 」
「やっ! 」
「と、殿〜」
困った顔でオロオロする松を見ていると、何だか無性に罪悪感が湧いてくる。だが、俺だって必死なのだ。仮にだ。仮に外へ出たとして、もしも「あれ? あの時のガキじゃね? 」「こっち向いてよ天女様(笑)」などと民衆から言われてみろ。もう、二度と外へ出られなくなる。
それに、今の状態では例え何も言われなくても、視線を感じるだけで勝手に脳内変換されてしまうだろう。自意識過剰だの被害妄想だの言う奴は、一度でいいから俺と同じ目に遭ってみろ! 本当に、虫唾が走るような視線だったんだ!
(評判など知ったことか! 俺の羞恥を肴に酒飲みしやがって! ふざけんな! )
……あぁ、そうだ。だからこそ、そんな俺を救わなかった大人達に怒りを覚えたんだ。
怒りと悲しみに身を震わせていると、不意に襖が開かれ部屋に光が射し込む。ドタドタと、荒い足音が聞こえてきたかと思えば、有無を言わさず勢いよく布団を剥ぎ取られた。
「失礼致しまする。……若様っ! いつまで、斯様な情けないお姿を晒すおつもりですか! いい加減になさいませ! 」
「……新五郎」
「二日程度でしたら、某とて致し方ないと思いまするが! ですが、五日は長過ぎまするぞ! 」
「で、でも……」
零れる弱音。そんな俺に対し、新五郎は膝をついて視線を合わせると、真剣な眼差しで口を開いた。
「本来であれば、若様のような幼子にこのような話は致しませぬ。理解出来ぬからです。ですが、若様は幼子とは思えぬ程にご聡明な御方。故に、心を鬼にして言わせていただきまする。……ご当主様の嫡男が、幼くして床に伏せっている。そんな噂が広まればどうなるか。若様なら、分かりますよね? 」
「――っ! 」
瞳が震える。軟禁。廃嫡。病死。最悪な未来が脳裏を過ぎる。勢いに任せて引きこもってしまったけど、それが如何に己の立場を危うくする愚行だったのか思い知らされた。
(……最悪だ。これじゃあ、親父を救うどころじゃないじゃん。本っ当に、俺ってヤツは――)
絶望のあまり、視界が黒く染まる。そんなどうしようもない俺の背を、新五郎は優しく撫でてくれた。
「……ごめん、新五郎」
「分かって下されたのならば良いのです。幸い、そのような噂は広まっておりません。私共に元気なお姿をお見せくだされば、それだけで皆の不安も無くなりましょう」
「そうかの? 」
「えぇ、勿論ですとも。……それでも、若様のお心が傷付かれたことも事実。ここは、少し遠出して気分転換をされてはいかがでしょうか? ちょうど、村井様と京を回る約束をしておられましたし、若様が望むのでしたら直ぐに手配致しますよ? 」
「京……村井……」
あぁ、そういえば、そんな約束していたな。
「……でも、急にそんなことを頼んでも大丈夫なのだろうか? 村井も、忙しいのであろう? 」
「問題ございませんよ。本日は、村井様のご予定はございませんし、護衛に関しては先の一件で上様からいただいた者達がおります。折角の機会、此度は彼らの中から護衛を選んではいかがでしょうか? 」
「……あぁ、あの」
新五郎から言われて、俺は彼らの存在を思い出した。
あの悪夢で、唯一得られたモノ。それは、五百の私兵だ。彼らは、俺の部隊として馬揃を行った兵士達。その多くは、畿内に点在する武家の若者達であり、新五郎や親父の審査を突破した精鋭。スパイも紛れておらず、ゆくゆくは俺の郎党にするつもりらしい。彼らも、出世の道が開けたと喜んでいたのを思い出した。
そうだ。遂に、念願の私兵を手に入れたんだ。ここで、クヨクヨ悩んでいる暇はないだろう。折角、新五郎がこんな機会を用意してくれたんだ。部屋の外へ行き、皆に元気な姿を見せよう。それが、一番だ。
「……分かったよ、新五郎。京の町を見てみたい。村井に連絡してくれるかな? 」
「ははっ、承知致しました」
「……あと、あり……がとう。新五郎」
「――っ、……それが、某の務めですから」
不意に、背を撫でられる。その優しげな声音が、傷付いた心を癒した。あの日、唯一俺の精神的負担を考えて反対してくれた新五郎だからこそ、その言葉を信じることが出来た。救われた。
***
その後、一時間程で準備は完了。松と勝蔵も同行することになり、護衛に三十人の武士が付いてくれることになった。
そして、村井吉兵衛。
「いやはや、若様がお元気になられたようでなりより。某、一安心致しました」
「……すまぬな。迷惑をかける」
「いえいえ、お気になさらず。元より、京を案内すると約束致しましたから。某のことよりも、若様の体調の方が重要にございます。若様は、未だ二つの幼子なのですから、無理は禁物でございます。……本当に、このまま京を回ってもよろしいのですか? 病み上がりなのですし、某は後日でも構いませぬよ? 」
「う、うむ。問題ない。すっかり、元気になったよ」
「おぉっ、左様でございますか! 」
途端、嬉しそうに微笑む吉兵衛。吉兵衛は、急な呼び寄せにも関わらず三十分程で駆け付け、京の案内人を嫌な顔ひとつせず快く引き受けてくれた。寧ろ、先程のように引きこもっていた俺の体調を心配する程で……。
本当に、出来た人だ。より一層、俺の行動の幼稚さが際立ち、本当に申し訳なく思ってしまう。
それでも、折角皆がこうして集まってくれたのだ。落ち込むのは、もう終わり。ここは、気持ちを切り替えてめいいっぱい楽しむとしよう! 京都観光なんて、中学の時の修学旅行以来だしね。
「吉兵衛、今日は宜しく頼むよ」
「はっ、お任せ下さいませ! 遠慮なく、若様が行かれたい場所を申し付け下さいませ。何処へでも、某が案内致しましょう! 」
おぉ、頼もしい台詞。では、早速だけど京都最大の目玉観光スポットから行かせて貰おうかな!
「では、金閣寺に行きたいかな」
「……はて? きんかくじ……ですか? う〜む、申し訳ございませんが、聞いたことがありませぬな」
「ぇ、ええ!? き、金色の建物じゃぞ! 壁も屋根も金ピカで……確か、金箔を大量に使った豪華絢爛な建物だと聞いた! ……吉兵衛、本当に知らぬのか? 」
「金箔、大量の。……あぁ、もしや鹿苑寺ですかな。これは、失礼致しました。ご案内致しましょう」
そういうと、吉兵衛は先頭に立って案内を始める。少し、不憫な子を見るような視線が気になったが……まぁ、気の所為だろう。
……その視線の意味を、直ぐにでも思い知らされることになるとは、この時の俺は考えもしなかった。
***
それから、一行は暫く街中を歩き、無事に金閣寺付近へ辿り着いた。三十人程度とはいえ、完全武装した兵を連れているおかげか、やたら視線を感じるくらいでトラブルは特に起こらなかった。
(それにしても、金閣寺が鹿苑寺だったなんて知らなかったよ。これは、銀閣寺も違う名前なんじゃ? )
金閣寺とは対となるもう一つの寺のことを考えていると、吉兵衛が立ち止まり右手を前方へ向けた。
「若様、ここが鹿苑寺でございます。少々危のぅございますので、我等から離れぬようお願い致しまする」
「……ん? 分かった」
危ない? 吉兵衛は一体何を言ってるんだ? そんな疑問は、金閣寺を見た瞬間に解決してしまった。
「これが、きん……かくじ」
絶句。閑古鳥が鳴く、草臥れて荒れた寺内。所々倒壊し、古びた建物には何一つとして金箔が貼られていない。
え? 何言ってるのか分からないって? ……それは、こっちの台詞だ! 俺の方が、よく分からんわ! 金箔なんざ、上の方にちょろっと見える程度で、間違ってもコレを金閣寺とは言わないだろうさ。
「…………吉兵衛。何故、金箔が無いのだ? 」
「それはもう、盗られたからでしょうな」
「盗られたのか!? 」
「えぇ、民は貧しいですからな」
何気なく語る吉兵衛に、思わずツッコミを入れてしまった。
本当に、当たり前のように盗られたと言うのだもの。びっくりするに決まってる。なんか、乱世っていうか世紀末だなぁって思ってしまった。
少し、荒れ果てた金閣寺を見て思う。確か、これは足利幕府全盛期に建てられた物だ。新五郎に、先日習ったからな。流石に、覚えている。足利義満。南北朝を統一した偉大な英雄が建てたのだと。
だからこそ、疑問に思うのだ。何故、この現状に足利は何も言わないのかと。だって、これ足利幕府の権威の象徴なんだろ? もし、安土城を焼かれたら爺さんブチ切れて一族郎党皆殺しだぞ。
「……こんなことをされて、足利は怒らんのか? 」
「応仁の乱以降、足利の権威は地に落ちておりますし。何より、盗った者の中には足利の者達もおります故」
「で、である……か」
えぇ……、自分達の権威の象徴じゃ無いのかよ。権威で飯は食えないって訳なのかな? 世知辛い世の中だ。
そこで、ふと思い出した。
「……そういえば、金閣寺と対となる寺があると聞いた。それは、大丈夫なのか? 」
「あぁ、足利義政様が建てられた慈照寺の事ですね。あちらは、然程荒れてはおりませぬよ」
「おお! それは、誠か! いや、よかったのぅ。うんうん。……しかし、何故そちらは無事だったのじゃ? 」
「地味ですから」
「で、であるか……」
一刀両断。なんでこう、いたたまれない気持ちになるのだろうか。義政さん、どんまい。
***
その後、出足を挫かれながらも観光を続行した。幸い、歴史ある寺は大体そのまま残されており、吉兵衛の面白い豆知識を聞いているうちにすっかり夕方になってしまった。
「若様、そろそろ……」
「うん、そうだね。そろそろ帰ろうか」
大満足。今日は、本当に楽しかった。
(また、皆で来たいな)
その時、脳裏に爺さんや親父、お茶三姉妹の顔が過ぎる。
「……皆に、土産を買っていこうかな。心配かけちゃったし」
すると、吉兵衛は微笑ましげに何度も頷いた。
「えぇ、えぇ。それがよろしいかと。若様、すぐ近くに京で評判の団子屋がございます。大変美味な一品で、某の大好物でございます。皆様、きっと喜んで下さいましょう」
「……うん。では、そうしようかな。勝蔵、団子を五十人前程買ってきてくれるかな? 折角だし、土産以外にも皆で食べて帰ろう」
「ははっ、お任せくださいませ」
頷き、店に向かおうとした――次の瞬間、店の戸をぶち破って一人の男が道端に転がった。苦しそうに嘔吐く男。どうやら、トラブル発生のようだ。
「……皆、確認して来て」
『御意』
力強く頷き、護衛達の中から十人が駆け出して行く。
さて、俺も団子屋へ向かうか。流石に、見て見ぬふりは出来ないよね。