3話
天正十一年 四月半ば 越中国 魚津城 中条景泰
天に鳴り響く轟音。凄まじい衝撃が身体を襲い、意識が遠のいていく。訳も分からず、ただただ瞼が閉じていく。
完全に意識が無くなる瞬間……皆の悲鳴が聞こえた気がした…………。
***
――な………ぉ……っ!
声が……聞こえる…………。
――敵…………何が…………。
頭が痛い……耳鳴りがする。
――織………………皆…………死……。
何が……あったのだ…………。
段々と視界が開いていき、状況を確認しようとしたところで身体に鋭い痛みが走る。
「ぐぅっ……! 」
思わず身体を縮めると、腹の底から熱い何が込み上げてきた。
「……ぐぅ……が…………ごふっ!? ごほ……ほ……ごふっ……ごはぁっ!!! 」
鮮血が服を汚し、あまりの息苦しさに咳き込む。視界を真っ赤に染める血と、口元を覆っていた右手に着いた血を見て、ようやく何が起こったのかを悟った。
「そうだ……俺達は、決起会をしていたんだ。そこで、突然雷が鳴り響いて…………っ! 」
俺は、その時になってようやく、仲間達の事を思い出した。沸き立つ焦燥感と共に、立ち上がって声をあげる。
「竹俣殿っ! 吉江殿っ! 寺嶋殿っ! 誰か、誰か居らぬかっ!? 誰か!!! 」
俺は、必死になって周囲を見渡す。崩れ落ちた壁、木材が焼ける匂い、辺りに飛び散る鮮血。
その目を覆いたくなる光景に、血の気が引いていく。信じたくなかった。認めたくなかった。
皆、死んでしまったのか――
そんな最悪の想像が脳裏を過ぎり、自分では収拾もつかない程に吐き気が込み上げる。
どうか、俺の思い違いであってくれ。
そんな期待……否、願望を抱えながら、先程まで皆が居た方へと向かった。
噎せ返る血の匂いを堪えながら捜索を続けていると、不意に見覚えのある羽織りが見えた。
「こ、これは! 」
必死に散らばる瓦礫を掻き分け、羽織りのある場所へと向かう。期待、安堵、焦燥感、様々な感情が胸を掻き乱す。
爪が割れ、鮮血で木材を汚そうとも、俺は止まる事無く進み続けた。
そして、遂に倒れ伏す若い青年の姿が視界に入った。山本寺景長……生き残っていた将の中で、最も若く親交がある者だった。
「松三っ!? 」
俺は、力無く倒れる松三を抱き抱える。
「松三っ! 頼む返事をしてくれ! 松三っ!! 」
必死になって声をかける。しかし、中々松三は意識を取り戻さず、今にも腕の中から滑り落ちそうになる。
「おっ…………と…………」
そこで、俺は松三の右腕が無いことに気付いた。ふと視線を落とせば、松三の足元に広がるどす黒い血溜まり。
約半年に及ぶ兵糧攻めを耐えてきた松三の肉体では、もはや致命傷と言うべき欠損。この異常に痩せ細った肉体では、到底耐える事の出来ないモノだと察してしまった。
大切な友の最期に瞳を潤ませていると、不意に松三の瞳が開いた。俺が見えているか否かも分からぬ覚束無い様子ではあったが、次第に俺の存在に気付いたのか、揺れる瞳をこちらに向けてくる。
「中……条……殿……」
「……っ! あぁ、そうだ! 俺だ! 松三っ! 大丈夫だ! 安心しろ! 絶対、絶対俺が助けてやる! 直ぐに医者の所へ連れて行ってやるからな! だから、だから…………」
続く言葉を防ぐように、松三の手が俺の頬に添えられる。
「…………良い……の……です」
弱々しく言葉を紡ぐその姿に、胸が苦しい。
「中条……殿……は、逃げ…………て」
遠回しに、"自分は見捨てて逃げてくれ"と、言っているのが伝わってきて、思わず松三の手を握り締める。
「……ぅ…………ぅう…………」
必死に嗚咽を堪えていると、松三の真剣な眼差しが俺を貫く。何か伝えたい事があるのだと気付いた俺は、松三の口元へ耳を近付ける。
「織田……は、雷……を……操る……との……話」
「雷? 」
断片的に聞こえる言葉に、思わず反応する。
『雷』
……そう言えば、吉江殿が話していた。
『織田家の新たな当主は、雷を操り敵将を討ち取った。安土では、雷神の化身として崇められている』
確か、そんな話だった。
聞いた当初は、何を馬鹿な事をと笑っていたが、今になって鳥肌が立ってくる。
あまりにも、見覚えのある事だったからだ。
先程、俺は何を感じた? 魚津城が崩れる程の衝撃に、俺は何を思った?
そう……俺は、あの時…………。
――雷鳴が響き渡ったと、感じたのだ。
次の瞬間、先程と同様の轟音が鳴り響いた。
――ドォォォオオオオォォォォォォンっ!!!
凄まじい轟音が耳を劈く。暴風と共に飛来した瓦礫が、凄まじい速度で身体に当たる。
「ぅぅうううおおおおおおおおおおっ!!! 」
吹き飛んだ身体が、かろうじて原型を留めていた壁に激突。
「……っ!? …………ごふぅっ!? 」
身体を縮めて吐血する。鮮血が、畳を汚した。
「……ひゅぅ…………ひゅぅ…………ひゅぅ…………ひゅぅ…………ひゅぅ」
痛む身体に鞭を打ちながら、必死に息を整え頭を上げる。すると、穴だらけの壁から織田軍が建てた支城が見えた。
その支城から立ち込める一筋の灰色の煙も。
その瞬間、俺は理解した。方法は分からないが、これはまさしく織田軍の攻撃なのだと。
これ以上は、もう耐えられない。
そんな身体の悲鳴に従うように、必死に身体を動かして辺りを見渡す。
「せめて……せめて、松三だけでも…………」
だが、現実はあまりにも非情であった。
俺の視界に入ったのは、松三だったモノだけ。瓦礫に飛び散るソレだけだった。
「あ……ああ……あああああぁぁぁぁぁっ!!! 」
俺は、ソレを胸に抱きながら絶叫する。今まで我慢してきた涙が、抑えも効かずにただただ溢れ出す。
俺に出来た事は……無力な俺に出来た事は、友を失った悲しみを顕にする事だけ。
それだけだった。
なんだこの別れは…………。
地獄だ…………。
俺達は……俺達は、武士として死ぬことも許されないのか…………。
そんなの、あんまりじゃないか…………。
俺は……俺は、死にゆく友に、別れを告げることすら出来ていないのに…………。
「ぅ……うう……うぅ……あああああああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁっ!!! 」
***
泣き叫ぶ声が響く中、魚津城へ三度目となる一斉砲撃が襲う。既に、崩壊寸前であった魚津城に耐えられる筈も無く、轟音を立てながら崩れ落ちていく。
その様子を、前田利家はただただ黙って見詰めていた。




