2話
天正十一年 四月半ば 越中国 魚津城 中条景泰
薄暗く湿気に満ちた一室にて、十三名の男達が円になって顔を合わせていた。頬は痩け、あばら骨が浮き出した風体ながらも、その瞳には未だに焔が灯っている。
「…………何人残っている」
「五十……否、四十九人でございます。先程、弟が逝きました故…………」
「……そうか」
その答えに、思わず天井を見る。もうそれだけしか生き残っていない事実に、胸が張り裂けそうになる。
瞳を閉じれば、一筋の雫が頬を伝う。
一度は死を覚悟した身なれど、苦楽を共にした仲間との別れは耐え難い苦痛であった。
***
我等が死を覚悟したのは、昨年の四月末の事。絶え間無く続く織田軍の猛攻に、こちらは一切反撃が出来ず、ただただ弾薬と兵糧を消費する日々。見知った顔が、次の日には物言わぬ骸になっていた事は数えきれない程あった。
既に、我等の行く末は見えており、援軍が来ても無駄に兵を死なせるだけ。最早、誰もが分かっていた。上杉家に忠義を尽くすならば、此処で死なねばならないのだ……と。
辛くなかったと言えば……嘘になる。当たり前だ。生きたい。もう一度、家族に会いたかった。
だが、敵の軍門に下り、主君や仲間に刃を向けてまで生きたくない。
織田家に頭を垂れて生き長らえ、上杉家への忠義に殉じた仲間達に背を向ける。
――生き恥。
そんな無様な姿を、晒してまで生きるくらいならば、この命が尽きる時まで織田家に抗い時間を稼ぐ。
その思いを、広間に集まった皆に伝えた。
「俺は、最後まで抗う道を進む。確かに、ここで織田家の軍門に下り、生き長らえる選択もあっただろう。御家の存続を優先し、泥水を啜ってでも生き延びる事もまた、乱世を生き抜く処世術。俺は、その考えを否定しない。お前達が選ぶのならば、それを止めはしない。…………だが、俺はその選択を選べない!!! 」
言葉を重ねる毎に、想いが乗っていく。強く強く握り締めた拳を血が伝い、心臓が痛いほど鳴り響く。
「俺は、例え一人になろうとも、最後まで戦い続ける。この命が尽きる刹那まで、敵将の首元へ喰らい付いてみせる。それこそが、俺が進むべき道だと信じているからだ」
そこで一旦話しを区切ると、視線を落とし瞼を閉じる。胸に手を当てて深呼吸。零した吐息混じりに、言葉を紡ぐ。
「これは、俺の強情だ。お前達に強制はしない。生きたいのならば、織田家に下るが良い。俺は、それを咎めんし止めない」
――だが、それでも上杉家の為に、忠義を尽くすのならば………………俺と共に死んでくれ。
瞳を閉じて返事を待つ。この一瞬が、今までの人生で一番長く感じる。嫌になる程に、静寂が耳を貫いた。
正直、殆ど残らないだろうと思っていた。負けると、死ぬと分かっていながら戦い続ける等、正気の沙汰では無い。
余程の気狂いか、はたまた状況を正確に読み取れぬ阿呆か。酔狂である事には、変わらん。
そんな阿呆は、俺だけだ。
そう思っていた。
だが、どうやら馬鹿は俺だけでは無かったらしい。
「…………全く、儂も舐められたものよ」
そんな竹俣殿の呟きを皮切りに、他の者達からも声が上がり始める。
「我等の腹は、既に決まっておる! 」
「ここで引くは、武士の恥よ! 」
「然り然り。例え、泥にまみれた最期を迎えようとも、己が掲げる信念に背いてはならぬ」
『我等一同、既にこの城と共に沈む所存也』
広間に響く皆の決意に、思わず目元を隠す。
「お…………お前達っ……」
我等の気持ちは、一つだった。
それから一ヶ月後の事、状況は一変する。
弾薬も尽き、兵糧も無く、士気は地に落ち、物言わぬ骸が転がる魚津城。五月も末となり、落城の時を悟った我等は、最後の決戦を挑む事を決めた。
使い古された戦装束に身を包み、最後の最後まで残していた飦を口に含む。そして、自身の耳に穴を開けて名札を通し、首だけになっても身元が分かるようにする。
これは、覚悟の証だ。
最後の決戦で、どれほどの傷を負ったとしても、決して引かぬ……とな。
そして、決戦が始まった。
刻一刻と近付く死の気配。既に、五百人を下回った我等には、三万を越す織田軍の猛追を防ぎきれずに、一人また一人と死んで行った。
覚悟はあった。策も練った。されど、純粋な兵力の差を覆すには至らなかったのだ。
どんな逆境にも、歯を食いしばって戦った。だが、そんな我等の奮闘も虚しく、織田軍の猛烈な攻めに二の丸まで侵攻を許し、"最早これまで"と自刃を考えたその時、唐突に織田軍か兵を引いたのだ。
俺は、当然の事ながら罠を疑った。ここで引く道理が無い。悪手も良いところだ。
だが、織田軍はじりじりと後退し、遂には富山城へ陣を構え静観するのみ。そのあまりにも不可解な状況に首を傾げていると、とある一報が入ってきた。
即ち、明智光秀の謀反である。
五月二十八日の事であった。
もう数日、実行が遅れていたならば、我等の命は無かったであろう。
あの日……織田軍が兵を引いたあの日。我等は、幸か不幸か生き長らえる事が出来た。織田家に訪れた大騒動に、皮肉にも救われたのだ。
残念ながら、混乱する織田家へ侵攻する余力は無かった。だが、兵糧を補充し、壊れた壁の補強や亡くなった者達を弔う時間を得られた。
それだけが、せめてもの救いであろう。
***
過去へと思いを馳せながら目元を拭い、十二名の将達に視線を向ける。
「皆、今日まで良く戦ってくれた。あの日、織田軍が兵を引いた時、補充された兵と入れ替わりに城を出る事も出来たと言うのに、生き残っていた全ての者達が魚津城に残り続けた。その後も、織田軍と戦い続けた…………その命が尽きる時まで……」
溢れ出す涙を必死に堪えながら、笑顔を浮かべる。言葉を紡ぎ続ける。
「俺は…………斯様な真の武士と共に、今日まで戦えた事を誇りに思う。誠に忝ないっ」
唇を噛み締めながら、深々と頭を下げる。
再び訪れた濃厚な死の気配に、皆がこの戦いの幕引きを悟った。それでも、この場に残り続けて戦い果てた英雄達へ、俺は敬意を持って感謝を伝えた。
そんな俺に、皆は穏やかな眼差しを向けた。
「礼など必要ありませぬ」
「上杉家への忠義を尽くす中条殿の姿に、どれほど救われたか分かりませぬ。今日まで戦って来られたのは、中条殿の尽力の賜物」
「きっと、謙信様も中条殿の奮闘を誇りに思っておられることでしょう」
彼等の表情には、何一つ不満の色が無く、俺に対する労りに溢れていた。
「……っ! ……ぅ…………うぅ…………」
皆の温かい言葉が、胸に染みた。溢れる涙で前が見えなくなった。今までの戦いの日々が鮮明に脳裏を過ぎり、辛く険しい日々の全てが報われた気がした。
荒々しく涙を拭うと、彼等に視線を向ける。一同、その瞳には未だに焔が灯っている。
「これより、織田軍の支城へ奇襲を仕掛ける。本丸に閉じ篭り、圧倒的に劣勢な状況である我等の奇襲など、織田軍は考えてもいないだろう。……その隙を突く! この命が散りゆく刹那、織田家に一矢報いて花を添えようぞっ!!! 」
『おぅっ!!! 』
握り拳を天に掲げ、決意を表明する。
これが、我が人生最後の決戦。この身が朽ちるその時まで、敵将の首を狙ってみせる!
だが、現実は非情にも唐突に訪れる。
一同覚悟を決めたその時、凄まじい轟音と衝撃が我等を襲った。
――ドォォォオオオオォォォォォォンっ!!!
何かが壊れる音、生暖かい何かが顔にかかり、視界が暗転した。
織田軍、五つの支城より魚津城へ砲撃を開始。魚津城から立ち込める煙は、開戦の狼煙となる。




