1話
天正十一年 四月半ば 越中国 魚津 前田利家
厳しい冬の猛威が過ぎ去り、暖かな風が春の訪れを告げる今日この頃、織田軍は遂に上杉征伐を開始した。
柴田軍総勢三万。北陸戦線を駆け上がり、上杉家居城春日山城を目指す。この戦に臨む全ての武士は、溢れんばかりの気力に満ち溢れていた。
眼前に整列する軍勢に視線を向ける。俺に任されたこの五千の兵士達も、また目を輝かせてその時を待ちわびていた。
「遂に、雪が溶けて本格的に軍を動かせる頃合いが来た。上杉征伐が始まる! 我等は、その先駆けとなるのだぁ!!! 」
『ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!! 』
槍を空へと突き出し咆哮を上げる。ただそれだけで、兵士達は士気を最高潮にまで高め、力の限り咆哮を上げる。
その声量は、空気が張り付くように揺れ、面前に構える魚津城まで響き渡っていることだろう。
まだまだ本格的な戦いは後だと言うのに、今からこの士気の高さは近年稀に見ないモノ。多くの戦を経験してきた俺でさえも、五回も無いだろう。
だが……それもまた、無理もないことよ。
俺達が、まだ血気盛んな若武者だったの頃より、その名を轟かせていた上杉家。その上杉家に、終止符を打たんとしているのだ。
まさに、歴史的瞬間。この戦で武功を立てたものなら、その名は未来永劫語り継がれる事になるだろう。武士として……否、男としてこれ程までに心揺さぶれる事は無い。
――滾るっ!!!
その一言に尽きる。
***
かくして始まった上杉征伐。春日山城への道程は険しいが、大きく別けて三つの攻城戦がこの戦いの勝敗を左右すると考えられる。
その三つの城とは、魚津城・松倉城・天神山城である。越中国北部に位置するこの城を落とす事で、越後国春日山城への道が開けるのだ。
そこで俺達は兵を分断し、魚津城と松倉城の攻略に取り掛かった。前田軍五千が魚津城を担当。佐々軍一万が松倉城を担当している。
此度の上杉征伐は、越中国から柴田軍、信濃国から滝川軍、上野国から丹羽軍と合流した北条軍の三方面から同時に攻める事で、上杉家に戦の主導権を握らせない事が重要視されている。
遅くても早くても駄目なのだ。どれか一つだけでも足並みが逸れたならば、各個撃破される。それだけの精強さが上杉軍にはある。彼の日ノ本最強と謳われた武田軍と、互角に渡り合った歴史は伊達では無いのだ。
故に、俺達は魚津城・松倉城・天神山城を落とし、越中国を完全に支配しなくてはならない。そうしなければ、この包囲網は始まらないからだ。
この包囲殲滅陣を考えた真田殿には、敬意を持って然るべきだろう。流石は、三法師様の教鞭役に抜擢されただけある。その頭脳は、神算鬼謀と言っても過言では無い。
ならば、俺も負けてはいられない。己が責務を果たすとしよう。今一度気を引き締めた俺は、前方に聳える魚津城を眺める。
上杉征伐が発令され約四ヶ月。俺が率いる前田軍は、魚津城を完全に包囲しており、既に落城寸前と言っても過言では無い。内蔵助が攻めている松倉城もだ。
何せ、この二つの城攻めは、上杉征伐が発令された約四ヶ月前では無く、去年の暮れから約半年に渡って、籠城戦を行っているのだ。
この魚津城を包囲する五つの支城。数多くの改築を重ね、もはや要塞と化した堅牢さ、城を守る兵士の士気の高さが、その隙の無さを物語っている。
順調に策が進んでいる事に、しみじみと頷いていると、小姓が駆け寄ってきた。
「失礼致します。長様がお見えになりました」
「むっ……分かった。通せ」
「はっ」
遠ざかっていく小姓とすれ違うように、鍛え抜かれた鋼の如き肉体を、惜しげも無く晒す男が歩み寄って来る。
長 連龍。この肉体で、孝恩寺の住職だと言うのだ。全く、とんでもない話だ。
「前田殿、間者から報告がございました。既に、魚津城では餓死者が数えきれない程出ており、城に籠る者達は飢えをしのぐ為に、雪を食していたとの事。今ならば、降伏勧告も素直に応じる事でしょう」
「そうか……」
淡々と報告する連龍に、相槌を打つ。その内容は、凄惨の一言に尽きる。雪を食べる等、相当追い詰められているのが伺える。
だが、これもまた戦国の世の常。弱者には、何も与えられない。ただただ淘汰されるのみ。恨むならば、弱き己と無能な主を恨むが良い。
そんな憐れみの眼差しで魚津城を眺めていると、連龍が感慨深そうに呟いた。
「しかし、冬の間も兵糧攻めを続ける等、某には想像すら出来ませぬ。最初に近江守様の御指示を賜った際には、思わず己の耳を疑いました」
連龍の言葉の節々には、三法師様への敬畏の念が強く感じられる。己の常識を覆す事態が、目の前で起こっているのだ。無理もないことよ。
雪に閉ざされた極寒の地で、半年以上も兵糧攻めを続ける等、誰が想像出来ようか。
通常、兵糧攻めは雪に閉ざされた地で行えば、攻める側も損害を受ける。補給路を確保する事が、困難な状況に陥る。なにも、雪の影響で援軍が来れないのは、敵だけでは無いのだ。
冷たい風に晒され、空腹が脳内を支配し、手足の感覚を鈍らせる。そのような最悪の場合には、軍の士気に多大な影響を及ぼす。寒さとは、決して侮ってはいけないモノだ。
兵糧攻めを成功させる為に、第一条件として敵城の兵糧が無くなるまで耐えねばならないのに、士気が低くなれば当然の事ながら包囲は瓦解する。
そうなれば、今までの苦労は水の泡だ。再度攻略するのは、困難を極めるだろう。
雪国での兵糧攻めは、基本春から秋。それが、今までの常識であった。
それを、三法師様は覆した。
越前国から越中国まで、冬で仕事の無い農民達を雇い街道を築いたのだ。鳰の海から織田領を繋ぐ補給路。それが、俺達が冬の影響を一切受けずに、兵糧攻めを続けられた理由。
それだけでは無い。仕事を与えられ、飢える事の無くなった農民達が一揆を起こす事は無くなり、俺達は背後を気にする事なく兵糧攻めに集中出来た。
まさに、一石二鳥。補給路を繋ぐと言うたった一つの策が、絶大な利を織田家にもたらした。
「三法師様は、神仏の化身。その知恵を、俺達の基準で考えること自体が不敬だと思え。畏れ敬い崇めるのだ。ただただ目の前の奇跡に出会えた事を感謝せよ。歴史が変わる狭間に立ち会えた幸運を……な」
流石は、上様の血を引く御方だ。まさに、日ノ本を統べる為に生まれてきたと言っても、決して過言では無い!
「ははは…………して、これからどう致しましょうか? 降伏勧告を致しますか? 」
胸を張って主君を称えると、連龍は乾いた愛想笑いと共に、今後の予定を聞いてきた。
しかし、降伏勧告……か。
「そんなもの、する訳無かろう。既に、兵を休める支城が五つもあるのだ。わざわざ魚津城を残す道理は無い。織田家に背いた見せしめとして、盛大に滅ぼしてくれよう。…………例の物を準備せよ!!! 北の大地に、織田家の威光を轟かせるのだぁっ!!! 」
「ははっ! 」
俺の指示を受け、小姓が走り去っていく。
その直後、法螺貝の合図と共に、雷鳴の如き轟音が鳴り響いた。
第四章開幕致しました。
元旦から、約四ヶ月時が経過しているので、今回は説明回です。次話より、本格的に戦争パートに入ります。
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