27話
天正十一年 一月 安土城 羽柴秀吉
雪殿の話を聞き覚悟を決めた儂は、その日の夜に三法師様への取り次ぎを願った。幸いと言うべきか、元旦から続いた客人の対応も峠を越え、貴重な時間を割いて頂ける事になった。
おそらく、事態を察した五郎左殿が調整して下さったのだろう。誠に有り難い。今度、好物だと言っていた団子でも贈るとしよう。
***
その後、小姓に案内されて天守閣へと足を運んだ。入室を促す声に従い、静かに襖を開ける。そこには、いつものように慈愛に満ちた微笑みを浮かべる三法師様の姿があった。
されど、その瞳の下には薄く隈が見え、連日の対応に追われた疲労が見え隠れしている。この僅かな時間も、本来であれば三法師様の休息に当てるべき時間だったのだと思い知り、その自己犠牲の精神に思わず胸が痛む。
その変わらぬ尊き御姿に、自然と平伏していた。
「この度は、私の為に三法師様の貴重な時間を割いて頂き、誠に恐悦至極に存じます」
改めて感謝申し上げると、三法師様は微笑みを崩さぬままに首を横に振られた。
「構わないよ。藤が無意味な事をするとは思えない。何か……余に、聞かなくてはならない事がある。その為に、此処へ来たんだね? 」
「ははっ! 誠に、その通りにございます。此度は、無礼を承知で参った次第にございます」
三法師様の問いかけに、即座に肯定する。全てを見透すような瞳の下に、嘘偽りなど通用しない。もとより、そのような不敬な事はしないが、どう切り出したものかと葛藤はしていた。
三法師様は、そんな儂の葛藤を見抜き、話し易いように先を促して下さったのだろう。
……時間も無い。ここは、三法師様のご好意に甘えるとしよう。
「此度の上杉征伐。三法師様が、どういった御気持ちで臨まれるのか御聞きしたく存じます」
「上杉征伐の……か」
三法師様の表情に、僅かだが影が差し込む。そんな姿を見ていると、どうしようも無く罪悪感が押し寄せてくる。
だが、言わねばならない。
言わなくては始まらない。
「予め、申し上げます。如何に三法師様が上杉家へ慈悲を与えたいと願っても、最早それは叶いませぬ。一族郎党皆殺し。越後国を、奴らの血で染める他無いのです」
――上杉家を救う事は出来ません。
儂と三法師様の対談は、そんな逃れようの無い悲劇を語るところから始まった。
***
三法師様は、ただただ静かに儂の話に耳を傾けておられた。そして、先を促す視線を察すると、儂の見解を語っていく。
「織田家は、今や日ノ本最大規模の領地を保有する大大名でございます。されど、未だに織田家の傘下に下らぬ勢力は各地に存在致します。討伐対象である上杉家を始め、西の毛利家、修羅の国九州、国人衆や寺社勢力が割拠する紀伊国。そして、奥州勢と関東勢。その全てを武力で征するには、敵味方関係無く多くの血が流れる事になるでしょう。それは、三法師様の本意では無いと愚考致します」
「……即ち、調略。奥州勢と関東勢が、織田家に臣従を決意する決定打として、上杉家を見せしめにせよと申すのか? 」
三法師様の呟きに、強く頷いて肯定する。
「はっ! まさに、そのとおりにございます。奥州勢と関東勢の心に、根強い影響力を残している上杉家を滅ぼす事で、彼等の調略の成功率は飛躍的に上げる事になることは明白。長宗我部家を滅ぼすのでは無く、本領安堵で臣従させた今だからこそ、この策は成り立つのでございます。これも、三法師様の戦略の賜物でございます。織田家家臣として、この好機を逃す訳にはいきませぬ」
「…………余の……戦略……」
呆然と呟くその姿に、思わず視線を逸らす。あまりにも、見ていられなかった。
儂が述べた策略は、三法師様も考えていたモノであろう。だが、決定的に違うところがある。犠牲者を組み込んでいるか否か……だ。
三法師様は、おそらく少しでも流れる血を抑えようと調略を行う。上杉家を滅ぼすのでは無く、織田家の傘下に組み込む事をきっかけに、奥州勢・関東勢へ臣従を迫るつもりなのだろう。
しかし、それでは駄目なのです。確かに、奥州勢と関東勢だけを見れば妙策に見えましょう。ですが、三法師様は一つ見落としている事がございます。…………否、見て見ぬふりをしているのかも、知れません。
………………三法師様、申し訳ございません。
織田家四大老として、見過ごせないのです。
「三法師様は、北条家と縁を結び、武田家を救いました。であれば、上杉家は滅ぼすしか無いのです。貴方様が、上杉家では無く北条家と武田家を取ったのです」
「…………っ」
その時の三法師様の表情を、儂は生涯忘れはしないだろう。絶望・怒り・悲しみ・嘆き……様々な感情が入り乱れ、遂には俯かれてしまった。
その……全ての感情を、自分自身に向けながら。
儂は……外道だ。
必死に理想を叶えんとする幼子に、"上杉家が滅びる原因を作ったのは貴方様だ"と、非情に突き付けた。
そんなつもりは無かったのだろう。本当は、上杉家の降伏を願っていたのだろう。
しかし、それでは駄目なのです。動き出した流れは、もう誰にも止められない。もう上杉家が滅亡する事は決定事項なのです。
であれば、この事態を利用する他無し。今ここで、三法師様には目覚めて頂かねばならない。貴方様の理想を叶える為に、貴方様の心を救う為に。
覚悟を決めた儂は、三法師様の元へ一歩擦り寄る。
「三法師様、どうか御決断をっ! 」
「……っ! 」
目を見開く三法師様の元へ、更に一歩踏み込む。
「天下泰平の世は、犠牲無くして築く事は決して出来ませぬ!!! 多くの民を救う為に、上杉家には滅んでもらう必要があるのですっ!!! 」
目を逸らさせないように、力強く視線を合わせる。揺れる瞳に映る鬼と化した儂の姿。激しい自己嫌悪が胸の奥を掻き乱す。
されど、一歩も退くことは無く、ただただ三法師様へと決断を迫った。
「これは、必要な犠牲でございますっ!! 三法師様っ!!! どうか、どうか御決断をっ!!! 」
「上杉家を……滅ぼし……天下……に、覇を……唱えよ」
縛り出すようなか細い命令を、一言一句聞き逃す事は無く、儂の耳へと入ってきた。
「ははっ!!! 万事お任せ下さいませっ!!! 」
勢い良く跪き、顔を隠す。
この時、儂はどんな顔をしていたのだろうか。
三法師様、申し訳ございませぬ。
全ては、御身を救う為に。
全ては、天下泰平の為に。
この藤吉郎、鬼になりましょう。




