24話
天正十一年 一月 安土城
上杉征伐を宣言した翌日、俺はお義父さん達とにこやかに宴を楽しんでいた。遠い相模国からわざわざ安土城まで来てくれた事はとても嬉しい。
だが……ぶっちゃけ、参加者を身内に限った事で、余計な気遣いをしなくて良いのが一番嬉しかったりする。
お貴族様のように、涼しい顔をしながらマウントを取り合うのは、正直性分では無いのだ。まぁ、織田家当主である俺に対して毒を吐く奴はいないが、大名同士で仲が悪ければ普通に殺る。
見てるこっちからすれば、胃痛案件なのだ。
その点、この場にいる者達は違う。
俺の右手には、正室候補である藤姫と、その実父である北条氏政と義父である氏直。左手には、側室候補である甲斐姫と、その父親である北条家家臣成田氏長がいる。
気心知れた者達ばかり故に、こうも居心地が良いのだろう。因みに、義父上は関白になったばかりで忙しく、茶々は未だに花嫁修業の真っ最中なので欠席である。
茶々が、近衛家に養子縁組として入り、俺の元服と同時に嫁入りする事は、既に藤姫と甲斐姫に話している。隠し事は、不和を招くだけだからな。
しかし……元服……か。一応十二歳の予定だから、八年後になるな。藤姫と甲斐姫は十八歳、茶々は二十三歳になるのか。
さぞ美しい美女へと育っていくのだろうな……。
上品に口元を隠して微笑む藤姫、十二単に身を包んだ茶々、すらっとした長身で後ろ姿が美しい甲斐姫。こんな美女達と結婚出来るなんて、俺は天下一の幸せ者だなぁ。
そんな麗しい彼女達を思い浮かべながら、ついつい頬を緩ませていると、急に背中を冷たい汗が流れていった。
…………はっ! 一瞬、目が笑っていないにも関わらず、満面の笑みを浮かべた茶々と藤姫が、薙刀片手に対立する未来が見えた気がするが…………きっと気の所為だろう。うん。
そんなこんなで楽しんでいると、氏政お義父さんが立ち上がり俺の前へと座った。
「いやはや、以前会った時から半年程経ちましたが、随分大きくなられましたな。この歳の子は、日を追う事に成長するもの。新九郎の幼き頃を思い出すようでございます」
そう言いながら、優しい手触りで頭を撫でる氏政お義父さん。少々酒に酔っているのか少し荒っぽいが、その眼差しには俺に対する慈しみにが感じられた。
少々無礼ではあるが、今は私的な集まりなので無礼講と言うもの。特に気にはせずに、そのまま頭を撫でられた。
「そういえば……家臣の者達が、私の成長する姿を毎日楽しそうに眺めていたね。自分では良く分からないけど…………そうなの? 」
藤姫と甲斐姫へ自然を向けると、二人とも満面の笑みで頷いた。
「はいっ! 毎日少しずつ成長していく姿は、なんとも愛らしい気持ちになりますわ! 」
「そうですね。抱っこする度に、だんだんと重くなっていくのが分かります。その成長している確かな重みは、言葉では表せない幸せな気持ちになりますね。こればかりは、身内の特権でしょう」
二人は、暖かな太陽のような笑顔を浮かべていた。どこまでも、どこまでも俺の成長を楽しそうに笑っている。
そんな二人を見ていたら、自然と頬が緩んだ。
なんてことのない日常。他愛もない世間話で笑い合う日々。俺が思い描く理想がそこにあった。
三人で笑いあっていると、ふと氏政お義父さんの視線が気になり顔を向ける。
そこには、楽しそうな笑顔と共に、若干安堵したような思いが読み取れた。
「お義父様? 」
俺が不思議そうに尋ねると、氏政お義父さんは笑顔を浮かべながらゆっくりと頭を撫でてきた。ゆっくりとゆっくりと丁寧に。
「少し、心配していたのです。三法師殿の理想は、あまりにも尊いモノですが、それ以上に無理難題でございます。大切な人を失う悲しみと、自分の力では何も変えられない無力感は、聞いただけでは理解出来ません。実際に、身をもって知って初めて理解出来るモノでございます」
「それは……」
思わず声が震える。氏政お義父さんの言葉は、まさに最近までの俺の気持ちを的確に表していた。
「私は、三法師殿が現実を知り、絶望に苛まれていないか日々胸を苦しませておりました。それは、きっと幻庵様も……藤や甲斐姫も同じ思いだった事でしょう」
「…………」
チラッと視線を向けると、二人が小さく頷いた。
こんなにも俺を心配してくれる人がいて、それに気づかなかった事に愕然とした。もっともっと、頼らなくてはいなかったんだって思うと、胸が張り裂けそうになる。
「そうだったんだね……心配をかけてごめんね」
重く息を吐きながら呟くと、直ぐに甲斐姫が手を握ってきた。
「旦那様が、その身では抱えきれない重荷を背負っていることは分かっておりました。どうにかその重荷を降ろして欲しい。分けて欲しいと思った事は、一度や二度では無いのですよ? しかし、旦那様は気丈に振る舞いながら、一切私達を頼ろうとは致しませんでした」
甲斐姫は、目を伏せながら語り続ける。
「……そ、それは………………ごめん」
口を開こうとするも、甲斐姫の表情を見て思わず言葉に詰まり…………口を閉じる。すると、不意に微笑んだ甲斐姫の眼差しが俺を貫いた。
そんな甲斐姫の慈しみに溢れた眼差しを見ていると、どうしようも無い罪悪感に苛まれてしまう。
「どうか、ご自愛くださいませ旦那様。いつ倒れるかも定かでは無いその御姿を、ただ黙って見ている事しか出来ないのは、とても辛いのです」
「甲斐……」
周りを見れば、皆が皆心配そうな眼差しを向けていた。そんな皆の様子に、過去の自分を殴りたくなる。
――織田家当主だから。もう親父もじいさんもいないから。だから……だから、俺が全てやらなくてはいけないんだ。
……そんな言い訳を並べ、自ら茨の道を進み、日に日に傷付いていく姿を彼女達に見せてしまった。そんな傷だらけの俺を見て、彼女達がどう思うかなんて分かりきっていたはずなのに。
「ごめん。心配かけて……本当にごめんね。もう、大丈夫だから。もう無理はしない」
そう呟くと、藤姫が側へ寄ってくる。
「本当ですか? これからは、もっと私達を頼ると約束出来ますか? 」
「うん……」
苦笑混じりに答えると、深い溜息が聞こえた。心から安堵したようなその姿に、たまらず罪悪感を感じてしまった。
これからは、ちゃんと頼ろう。
そう……心に誓った。




