23話
天正十一年 一月 安土城
――上杉征伐。
俺が切り出した本題を聞いて、広間にざわめきが起こり始める。特に、最前列に座る猛将達から漂う空気は、思わず鳥肌が立つほどだった。
まだまだ気が早いとは思ったが、昨年の騒動で引き伸ばされていた戦いが、遂に再開するのだ。決戦を控える彼等からすれば、無意識に武者震いを覚えてしまったのだろう。
軍神上杉謙信。既に死んでいるが、その名は未だに日ノ本全土に轟いている。その彼が育てた強者揃いの上杉軍との戦いは、武勇に自信のある者達は身体が騒いで仕方がないのだろう。
特に顕著なのは、織田家四大老の一人権六である。先程から、目を血走らせ小刻みに震えている。その有り様は"儂を総大将にっ!!! "と、叫ぶ声が聞こえて来るようだ。
まぁ……それも致し方が無いこと。確か、権六は五年程前に、上杉謙信によって惨敗した経験がある。此度の相手は謙信では無いが、上杉景勝が謙信の後継者を名乗る以上、権六からすれば特に問題は無いのだろう。
そんな権六を安心させるように微笑むと、織田家家中の者達へ堂々と宣言する。
「春の雪解けと共に、越後国春日山城へ侵攻する。御家騒動と言う無益な戦で田畑を荒らし、民を苦しめた罪は如何ともし難い。この戦は、暗君上杉景勝から民を救い出す戦いである。異議申し立てがある者は、今此処で名乗り出よ」
『ははっ! 異論御座いませぬっ!!! 』
俺の問いかけに、即座に返答する一同。この場には、織田家傘下では無い伊達家や蘆名家を代表する奥州勢と、宇都宮家や佐竹家を代表する関東勢もいたが、揃って口を固く閉ざしていた。
下手に口を出して、織田家の目が自分達に向けられたらたまったものではない。色々思うところはあるが、ひとまず様子見と言ったところか。
そんな奥州・関東勢の様子を見て、人知れず安堵の溜息をつく。此度の上杉征伐の真の狙いは、彼等を織田家に服従させることだ。
今の上杉家が、如何に謙信の時代から落ちぶれようとも、未だに上杉謙信の名前は彼等の中に良くも悪くも根強く残っている。
その上杉家を圧倒的な強さで倒した時、彼等の心を折る切っ掛けになる筈だ。彼等の中で誰か一人でも、"織田家には、もう誰も勝てない"と思い降伏すれば、それに続くように降伏してくるだろう。連合すら組めなくなるからだ。
……出来れば、無闇矢鱈に血を流したくない。そんな思いを抱きながら、俺は上杉征伐の詳細を煮詰める為に権六と目を合わせた。
「権六! 現在の越中国は如何様になっておる」
そう問いかけると、権六は我が意を得たりと言うように力強く頷いた。
「はっ! 現在、越中国の魚津城を又左が、松倉城を内蔵助が兵糧攻めにて攻略しております。儂が放った間者によると、既に、城を守る敵兵の士気は低く、落ちるのも時間の問題との報告を受けております! この二つを取れば、越中国を完全に織田家の勢力図に組みすることが可能。上杉家の居城春日山城も、目と鼻の先にございますっ!!! 」
「……であるか」
自信満々に語る権六の様子に、一同感嘆の声を上げる。やはり、権六はこうでないといけないな。権六が堂々としているだけで、自然と安心感が心に染み渡っていくのが分かる。
そんなある種のカリスマは、権六が長年戦場で培ってきた経験の積み重ねからきているモノだろう。
最前線で果敢に攻めて敵を威圧し、味方を鼓舞するその姿に、武人であれば誰もが憧れを抱く。己の命を、この人にならば預けられると思う。
――そんな権六にならば、任せられるな。
「上杉征伐の総大将は、権六に任せる。越中国より進軍し、春日山城を目指すのだ。その武勇をもって、天下泰平への道を切り開くのだ。…………期待しておるぞ」
俺は、そう言いながら微笑みを浮かべる。すると、指令を聞いた権六の身体が大きく震え、深々と平伏した。
「……っ! あ、有り難き御言葉恐悦至極にございますっ!!! 総大将の任……謹んで承ります。全ては、天下泰平の為。必ずや、三法師様の御期待に応えるよう邁進致しますっ!!! 」
権六は、言葉の節々に隠しきれぬ闘志を宿しながら、上杉征伐の成功を誓った。今にも春日山城へ出陣しそうなその雰囲気に苦笑いを浮かべると、俺は五郎左の横に座る左近へと視線を移した。
「左近には、副将として出陣して貰いたい。新五郎とも協力し、信濃方面から上杉家へ侵攻して貰いたいのだ。上杉征伐には、万に一つにも失敗はして欲しくない。北条家からも、援軍を出してくれると申し出があった。彼等と足並みを揃えて上杉征伐に臨んで貰いたいのだ。……頼めるか? 」
「ははっ! 万事お任せくださいませ」
短くも頼れるその佇まいに、余程の自信が伺える。元々、上杉家侵攻への準備を整えていたからこその態度であろう。
左近ならば信頼出来る。新五郎達もいるし、無茶な攻めはしないだろう。如何な堅城であろうとも、情勢は織田家の方が有利なのだ。無理をする必要は無い。
とりあえず、一区切りは付いたかと息を吐く。
戦術家でも無い俺が、無駄に首を突っ込む必要はないだろう。あくまで、戦場に立つのは権六達だ。細かい調整は、俺が勝手に決めるより権六達が現場の状況を見て判断した方が良い。
そんな事を考えていると、織田家傘下である武田信勝が声を上げた。
「近江守様、失礼致します。無礼を承知で、一つ御伺いしたい事がございます」
伺いたい事……か。この状況で上杉征伐を反対する訳は無いし、下手な事を言えばただでさえ立場が悪い武田家にトドメを刺すことになる。
若いが聡明との噂も聞く。ここは、話を聞いても良いだろう。
「うむ。申してみよ」
「ははっ! ありがとうございます」
深々と平伏して礼を尽くすと、信勝は本題を切り出した。
「上杉征伐に対して、武田家は何一つ異論は御座いませぬ。ただ、上杉景勝の正室である菊姫の御命を見逃して頂きたく。菊姫は、我が武田家の血を引く者。彼女に連れ添って少なくない侍女が、春日山城へ入っております。どうか、その者達に情けをかけていただけませぬか……どうか、どうか御願い致します」
信勝は、ただただ菊姫と侍女達の安否を案じて頭を下げ続けた。その真摯な態度で訴えるその姿に、俺は好感を覚えてしまった。
もしも、信勝が武田家の名誉挽回の為にと、武功を求めて上杉征伐への参戦を求めたら、直ぐに拒否するつもりだった。
だが、信勝は春日山城にいる武田家の者達の命をただただ案じていた。名誉よりも、助けられるかもしれない命を取ったのだ。
その考えが、何よりも嬉しく思えた。
「良い。許そう。上杉家への交渉に、菊姫達の引渡しを加えよう。武田家の者達も、数名上杉征伐に同行を許可する。身内がいた方が、交渉も円滑に進むであろうしな。だが……流石に、その者達をそのまま武田家へ引き継ぐ事は出来ぬ。引き渡された者達は、一度織田家で預かり、素性を調べる事になるが……それでも良いかな? 」
「はっ! 異論御座いませぬっ! 近江守様の慈悲深い沙汰に、深く感謝申し上げます」
信勝はそう締めくくると、深々と平伏して感謝を述べた。武田家の若き当主の姿に、広間にいる者達が感心したように頷いていた。
織田家と真っ向から立ち向かい、無惨に敗れた武田家。そんな因縁深い両家の若き当主が、血の繋がりがあるとは言え良好な関係を築いている事は、関東勢の名代達に多大な衝撃を与えたのは言うまでもない。
信勝との話しを終えた俺は、今一度周りを見渡した。……どうやら、みんな納得しているようだ。
「それでは、これにて解散とする。上杉征伐は、春先になるだろう。各々準備を整えよ」
『ははっ!!! 』
深々と平伏する彼等を後目に、俺は大広間を後にする。下準備は整えた。後は、根回しに力を注がなくてはな。
さて、上杉征伐だ。




