19話
天正十年 十一月 安土城
公家達を招いた饗応は、まさに大成功と言える盛り上がりを見せていた。陽はとうの昔に落ちていながらも、安土城から漏れる灯りは、闇が支配する安土を眩いばかりに照らしている。
そろそろ日を跨ぎそうな時間帯に差し掛かった頃、俺は大広間を後にする。
普段味わう事の出来ない珍味に舌鼓を打ち、思いのままに酒を飲み明かす。そんな公家達の絶えることの無い笑い声を背に受けながら、俺は待ち合わせ場所へと向かった。
部屋の前には高丸が既に控えており、俺の姿を確認するとすぐさま平伏する。
「三法師様。皆様は、既にお揃いにございます」
「であるか。ご苦労さま、高丸」
「はっ! 」
もう一度礼をした高丸は、静かに襖を開き横にはけた。間を持たずに中へと入ると、そこには大老四人が蝋燭の灯りに照らされていた。
少ない灯りを頼りに平伏する四人の間を進み、上座へ静かに座る。
「夜更けに呼び出してすまないね。……それでは、今後の方針を話し合うとしよう」
『御意』
静かに閉じられた襖の音と共に、緊急大老会議が始まった。
密室にて始まった緊急大老会議。始まりは、権六から切り出される事になった。
「三法師様、無礼を承知で御聞かせ願いたい事がございます」
神妙な表情を浮かべる権六を見て、何が聞きたいのか察しがついた。
「公家達への待遇……か? 」
「はっ! 」
権六は、短く返事をすると、絞り出すようにして己の思いの丈を語った。
「奴等は、十兵衛を操り織田家に弓を引いた者達にございます! 奴等が上様の暗殺を企て無ければっ! 上様が記憶を失う事も無く! 奇妙様が命を落とす事も無くっ! 三法師様が、家族を亡くされる事も無かったのですぞっ!!! 」
大きな身体を震わせながら、顔を歪ませる。今、権六の胸の内を様々な感情が行き交っているのだろう。
周りを見渡せば、一同悲痛な表情を浮かべており、胸に抱える思いは同じなのだと実感する。
大老達は、十兵衛の謀反の真実を知っている。十兵衛が、どんな思いでじいさんに弓を引いたかを知っているのだ。
大老達に真実を語ったあの日。権六は、ただ一言「馬鹿者めがっ……」と、そう呟いていた。
あの一言に、どれだけの想いが込められていただろうか。やるせないだろう。悔しいだろう。公卿を……公家達を許す事は出来ないだろう。
……その気持ちは、痛い程良く分かる。
「奴等の身勝手な策謀により、どれだけの仲間が死んでいったか! どれだけの血が涙が流れてきたか! 奴等はっ…………奴等は、織田家にとって不倶戴天の敵っ!!! 何卒、何卒! 此度の公家達への沙汰を、御再考願いまする!!! 」
権六の悲痛な叫びは、織田家に仕える全ての者達の想いを代弁しているようだった。
そんな権六に対して、俺は薄く微笑む。
「心配をかけてごめんね。権六の言い分は最もだ。あれだけの屈辱を受けながら、金を渡して媚びを売るなんて耐えられなかっただろう。少し、配慮が足りなかった……ごめんね」
「三法師様……」
俺の言葉に、権六の瞳が揺らぐ。
「最初から話せば良かったね。何処に公家の目があるか分からないと思い、情報の秘匿を優先した結果、大切な家臣達に要らぬ心配をかけてしまった。故に、今ここで全てを話す」
――余は、奴等を許すなど一言も言ってないぞ。
冷たい……どこまでも冷たい声音が、部屋の隅々まで染み渡っていく。初めて見せた主の異様な佇まいに、権六のみならず五郎左達までも目を見開いている。
主は、怒りや悲しみの感情が溢れやすい人なのは分かっていた。そして、どこまでも優しい人だと言うことも。
故に、大老には目の前の光景が信じられなかった。罪人でさえも、慈愛の眼差しを向けられる人が。怒りの感情の中に、隠しきれない優しさを宿す人が…………あのような瞳を持ってしまったなど、信じたく無かった。
――三法師の瞳には、確かな憎悪が宿っていた。
「特級は、年千石待遇。それは、嘘では無い。余は約束を守る。あの場に居た全ての公家と公卿を、特級待遇とする。……だが、来年の審議会にて五名を一級に落とす。一級は、年五百石待遇とする。そして、その次の年には十名を一級に落とし、三名を二級に落とす。二級は、年二百石待遇とする」
『……なっ! 』
淡々と計画を語ると、目に見えて大老達は狼狽え始めた。おそらく、俺の思惑を察したのだろう。この……人を人とは思わぬ所業を。
「今頃……公家達は、俺が与えた金を見てほくそ笑んでいるところであろう。良い金蔓が見つかったと浮かれているであろう。そこに、今井宗久に協力させ、商人に化けた白百合家の者達を公家達の元へ向かわす。滑稽な見栄を張る奴等の事だ。後先考えずに、贅沢の限りを尽くすであろう事は明白」
調べてみれば、公家達は驚く程に貧乏だ。屋敷は古いだけで、雨漏りが耐えないオンボロ屋敷。じいさんが屋敷の修繕費を出しても、塀を直す事を優先して、外から屋敷の実態を知られないようにする見栄っ張り。
そんな奴等が、贅沢をして良いと言われたら……眩いばかりの財宝を見せられたらどうなるか。そんな分かりきった未来を夢見て、ついつい黒い笑みが溢れる。
「年千石の贅沢を覚えた人間が、年五百石……ましてや年二百石の暮らしが出来るか? 否、間違いなく狂うだろう。生活の質を落とせず、借金を背負う者達も現れよう。落ちたくないと思い、上に居る者達を引き摺り降ろしたい……横に居る者達を蹴落としたいと考えるようになる。権力に執着し、どこまでも醜い奴等ならば外道に堕ちるのもまた容易い」
扇で口元を隠しながら話していると、左近が何かに気付いたようにこちらを見てきた。
「以前、三法師様が申していた価値観を変える必要があるとは、この事だったのですか? 」
左近の問いかけに、微笑みで返す。
「そうだよ。官位やら朝廷の工作やらを重要視する奴等を、別のモノに目を向けさせる必要があった。それ故に、此度の処置をとったのだ。官位では無く、目の前にある金を奪い合わせるようにな」
「そこまで上手くいきますか……」
冷や汗を流しながら問う権六に、間を持たずに答えてみせる。
「時間はかかるだろうが、間違いなく余の思惑通りに進む。そうなるように仕向ける。人は慣れる生き物だ。どんな新しい事でも、一ヶ月後には当たり前になり、半年後には習慣になり、一年後には常識になる。贅沢を一年続けた者達が……甘い汁を覚えた者達が、元の生活に戻れる訳が無い。惨めったらしく足掻くだろうさ。恨みの対象を、織田家から隣にいる競争相手に変えてな」
ふと周りを見渡せば、大老達が心配そうに俺を見詰めている。そんな彼等を安心させるように、薄く微笑んだ。
「殺してしまうのは容易い。だが、死んだ程度でその罪から逃れるなんて絶対に許さない。その程度では、俺の怒りがおさまらない。故に、織田家が無ければ、生きていけなくしてやる。いつまでもいつまでも……俺の手のひらで踊り狂えば良い」
そう言いながら右手を伸ばせば、蝋燭の灯りがゆらゆらとソレを照らす。小さな手のひらでは、無様に足掻く公家と公卿の姿が見えていた。
数日後、近衛前久が関白に就任した。それに続くように、次々と近衛派閥の者達が最上位の官位を独占していく事になる。
ここに、近衛派の朝廷支配が成り立ったのだ。
以後、近衛派以外の公家達は二度と高官に就く事は無く、没落の一途をたどる事になる。
日ノ本の歴史において、公家と公卿を明確に区別する機会になった此度の騒動は、後世において羽柴秀吉の策謀だと伝わっている。
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