13話
天正十年十月 長宗我部元親 白地城
翌朝、白地城に向けて織田軍が出陣したと報せが有り、我等も急いで準備に取り掛かった。
織田軍との戦力差は明白、援軍の無い籠城戦など無意味だ。地形を活かした短期決戦。もはや、それしか勝機は無い。
戦支度を整えた俺は、三千の手勢の前に立ち槍を空へ掲げる。
「敵は大軍、正面からぶつかっても勝ち目は無い。天下の覇権を狙う織田軍の勢いは、まさに日ノ本最強であろう! 」
『……………………』
勝機は薄い。その事実を大将自ら認めても、家臣達は怯むこと無く、俺の一言一句を聞き逃すまいとしている。
その頼もしい姿に、思わず笑みが零れる。
「だが、我等には地の利がある! 幾度の戦場を駆け抜けた頼もしき友がいる! 孟子曰く、『天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず』……天は織田家に有ろうとも、地と人は我等に有り! 我等の勝機はそこに有り! 決して逃すで無いぞっ!!! 」
『御意っ!!! 』
「出陣だぁぁぁああああああああっ!!! 」
『ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!! 』
空気を震わせながら一気に山を駆け抜ける。物見の報告によると、織田軍は一刻程でこの山道を通るとの事。
大軍を展開したまま、山道を進軍することは不可能に近い。必ず、部隊ごとに別れて進む。
……そこが、俺達に与えられた勝機だ。陣営を崩している最中に襲われたら、まず初動が遅れる。どれだけ優秀な武将が居ても、軍の大半は農民である故に、咄嗟に対応は出来ない。間違いなく混乱に陥る。大軍ならば尚更だ。
その一瞬の隙を突いて突撃する。大将首目掛けて、ひたすら突き進む。
……分の悪い賭けだ。希望的観測に過ぎない。成功しても、手勢の殆どが死に絶えるだろう。大将首に届かずに終わる可能性が圧倒的に高い。
だが、やらねばならない。勝たねばならない。光り輝く未来を掴む為にっ!
薄暗い山道を駆けていると、不意に前方から光が差し込む。出口だ。山道を観察しても目立った足跡は無く、織田軍は未だにここを通っていないことが分かった。
即ち、この先に居る。人の気配も感じる。想定通り、織田軍が陣営を崩している最中であろうことは明白。
脳裏を過ぎるその光景に、思わず武者震いをしてしまう。家臣達にも緊張が走っており、俺の合図を今か今かと待ち焦がれている。
汗ばんだ手を握りながら、震えを抑える。
……勝敗は一瞬で決着がつく。俺が勝つか、死ぬか。そのどちらかだ。
俺が死ねば……十兵衛様の夢は叶わない。愛する家族や家臣達も、皆殺しにされるだろう。
あぁ……全く。本当に俺ってやつは、守るモノが多過ぎる。
――だから、負けられないんだよ。
「行くぞぉぉぉぉおおおおおおおおおっ!!! 」
『ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!! 』
おびただしい咆哮を上げながら、我武者羅に突っ走る。目まぐるしく景色が変わる中、不意に眩しい光が俺達を照らす。
一瞬足が止まりかけるも、無理矢理身体を動かして前へと進む。止まれない。止まったら死ぬ。そんなことは、分かりきっているからだ。
段々と慣れてくる瞳。白一色だった景色に色が付いていき、鮮明になっていく。
「敵はどこだ……大将首は……」
そんな事を呟きながら目を凝らすと、ようやく敵勢の姿が視界に映り込んできた。
――鉄砲を構える敵勢の姿が……。
「…………えっ」
「放てぇぇぇぇええええええええええ!!! 」
――パァーンっ!!!
乾いた銃声。横からの衝撃に、地面を転がる。視界を塗り尽くす血飛沫。顔にかかった生温かいモノが、俺を現実へと引き戻す。
「弥次兵衛っ!? 」
「と…………の…………に…………げ……」
「しっかりしろっ! 死んではならぬ! 目を開けてくれ! 目を開けるのだ弥次兵衛っ!!! お前には、帰りを待つ者が居るであろう!? こんな……こんなところで……ぅぅ……」
「……と……の……………」
「弥次兵衛ぇぇぇえええええええええっ!!! 」
そのまま力尽きるように、俺を押し倒す弥次兵衛。顔に降り注ぐ血飛沫が、もう弥次兵衛が助からない事を悟ってしまう。
「何故だ……何故だ何故だ何故だぁぁぁあああっ!!? 伏兵だと……っ!? 馬鹿な……。物見は、一体何をしていたんだ!!! 」
既に、瞳に光が灯っていない弥次兵衛を抱き締めながら、嗚咽混じりに絶叫をあげる。
俺が守らねばならぬ若き芽を、未来ある若者を失ってしまった事が、悲しくてたまらなかった。所詮、俺は妄言を吐き散らかすだけなのかと、己の無力さに絶望した。
それ故にだろうか。やけに、周りがゆっくりと進んでいく感覚に陥った。味方と敵の動きが、不気味な程に詳しく分かる。
俺の肩を掴みながら、必死な形相で退却する重臣達。死ぬと分かっていながらも、長宗我部家への忠義の為に盾となる若者達。混乱に陥りながら、敵勢に討ち取られる民。
その全てが、俺の記憶に刻み込まれる。
「に……逃げよぉぉぉぉ!!! 逃げてくれぇぇぇっ!!! 頼むから……頼むから、逃げてくれぇぇぇええええええええっ!!! 」
無我夢中で伸ばす右手には、何一つとして掴めない。ただただ空を切るばかりで、俺の目の前で死に絶える仲間達を見ている事しか出来ない。
そして、追い打ちをかけるように、織田軍が掲げる錦の御旗が、長宗我部軍の崩壊を決定づける決め手になった。
錦の御旗を目にした途端、長曽我部軍に動揺が走った。家臣達も、目に見えて動きが鈍り、戦意を喪失した民は、見るも無惨に討ち取られていく。
決死の覚悟で挑んだ戦いは、僅か一寸で勝敗がついた。
――岡豊城に辿り着いた時。手勢は、百にも満たない数であった。
この日、俺はある事を知った。
絶対的な『天』の前では、『地』も『人』も、ただただ淘汰されるだけに過ぎない事を。




