朝廷からの遣い
天正九年三月 京
初めての京都。初めてのパレードに、初めての女装。その日、俺は己の無力を知った。
何をしても変えられない。俺の意見なんか聞いてくれない。皆が皆、良かれと思ってお人形のように俺を着飾っていく。地獄への道は、善意で舗装されているとは言い得て妙だ。
(……あぁ、何でこんな事になったのだろうか)
冷たい風が頬を撫で、人知れず零れた涙を拭う。
あの地獄のようだった馬揃を乗り越えたにも関わらず、今再び、俺は天女の羽衣を纏って民衆の視線に晒されている。その瞳は、既に死んでいた。
***
時は、四日前に遡る。
馬揃の翌日、家臣達はあれだけ飲みや歌えやのバカ騒ぎしていたくせに、陽が昇る頃にはケロッとした調子でいつもの業務を始めていた。戦国時代の武将は、皆酒が強いのだろうか? 勝蔵も、水浴びすれば大丈夫って稽古に行っちゃったしさ。
そんな風に暇を持て余していた所、爺さんから呼び出しがかかった。移動中、小姓が随分慌てている所を見たので余程の急用なのだろう。途中で新五郎と合流し、案内人の小姓の後をついて行った。
暫く歩いていると、新五郎から目的地は大広間の方だと教えられた。俺は、もうこの時点で嫌な予感を敏感に感じ取っていた。
何故なら、爺さんの個人的な用事なら、わざわざ大広間を使う必要がないからだ。あの天守閣へ呼べば良いし、何だったら最近は一人で俺の部屋まで来る。あの自由奔放な人が、大広間を指定するだけで重要な客人が来たのではと察することが出来た。
「新五郎、お爺様の要件とは? 」
「はっ。それが、少々厄介な事になっておりまして……」
不安気に呟く新五郎。あぁ〜はいはい、これは完全に厄介事ですわ。
それでも、今更逃げる訳にはいかない。肩を落としながら大広間に入ると、そこには爺さんの他に権六や五郎左を初めとした重臣達まで揃っていた。
そんな中、一際異質な存在が目に入る。なんというか、平安貴族っぽい格好をした男性だ。
「お待たせ致しました。三法師、只今参りました」
「斎藤新五郎利治、只今参上致しました」
「うむ、楽にせよ。三法師は、余の横に座りなさい」
『はっ』
トコトコ爺さんの横に座ると、先程の貴族っぽい人の顔が見えた。歳は、爺さんと同じくらいだろうか? 麻呂っぽい白塗りの化粧をしており、俺を見るとニヤッといやらしく笑った。なんだろう……、嫌な感じのする人だ。
「三法師よ、この方は吉田殿だ。帝の信も厚く、我等、織田家と朝廷の橋渡しを任されておる。お前も、よく覚えておくがいい」
「ははっ。吉田殿、お初にお目にかかりまする。私、三法師と申します。以後、お見知りおきを……」
「ほほほ、これはこれはご丁寧に。麿は、吉田兼和と申す。三法師殿には、是非お会いしたくてのぅ」
扇子で口元を隠すように笑っているが、その粘着質な視線は隠せていない。……一体何が目的だ?
「実はな、三法師よ。公卿方が、お主に会わせよとうるさくてな。どうやら、先日の馬揃が思いのほか反響が大きかったようだ」
「ほほほ。朝廷は、三法師殿に従五位下美濃守を授けても良いのではと思うておじゃる。織田殿の跡目として、これ程相応しい官位は無いと思うのじゃが……どうでおじゃるかな? 」
「……ほう」
『――っ!? 』
吉田の提案に、場に緊張が走る。どうやら、かなり厄介なことらしい。
突然の官位の授与。正直、どうしたら良いのかと戸惑っていると、いち早く正気に戻った光秀が慌てて話に入ってきた。
「お待ちくださいませ、吉田殿っ! 若様は、未だ二つの幼子にございます。今、官位を賜るのは重荷になるだけかと! 」
「ほほほほほ。官位は、資格のある者なら誰であろうと賜れまする。それこそ、齢二つの幼子であろうとも。……それとも、明智殿は三法師殿は相応しく無いと仰るのでごじゃるか? 」
「――っ! 論点を、ズラさないでいただきたいっ! 」
殺伐とした空気。そんな中、静観していた爺さんが口を開く。
「吉田殿。三法師の官位授与は、帝への拝謁が目的でございますな」
「……ほほほ。さて、帝の真意は麿にも分からぬ。されど、帝は三法師殿の御噂をお聞きなされたようでしてのぅ。是非、次代の天下人と顔合わせをしたいと。これは、織田家にとっても良いお話ではおじゃらぬかの? 」
「戯言を。帝に拝謁するには、最低でも従五位下相当の官位が必要。わざわざ、従五位下美濃守を用意した時点で貴様らの魂胆は見え透いておるわ」
「ほほほほほ。戯言など、とてもとても……」
「……チッ」
苛立ち、眉間に皺を寄せる。一触即発状態。ここまで、不機嫌な爺さんの姿は初めて見た。最悪の事態が脳裏を過ぎる。
その時、この不穏な空気を感じ取った新五郎が、待ったをかけた。
「上様。三法師様の傅役の立場から言わせていただきますと、未だ若様の作法は完璧とは言えませぬ。そして、作法は武家と公家ではまるで勝手が違います。今からとなると、付け焼き刃の所作になってしまうことは明白。三法師様も戸惑ってしまいましょう。此度の官位授与は、些か時期尚早かと愚考いたしまする」
「……うむ。十兵衛は、どう思う」
「はっ。帝への拝謁となりますと、求められる作法も最上級のものになりましょう。ましてや、天下の織田家当主嫡男として臨むのであれば失敗は許されませぬ。恥をかくことになりましょう。……吉田様。今、無理に官位授与を執り行うのは、織田家と朝廷双方にとっても利はございませぬ。此度の申し出は、どうかお引きいただきたい」
「…………」
静寂。
しかし、それも一瞬のこと。吉田は、朗らかに微笑み頷いた。
「ほほほ。ならば、無理は言うますまい。官位は、元服まで待ちましょうぞ」
「うむ」
爺さんも、満足気に頷いて終了。どうやら、上手くまとまったらしい。
いやはや、助かったよ。本能寺の変まで時間も無いのに、作法うんぬんに貴重な時間を割くわけにはいかないからな。
しかし、相手は陰謀渦巻く朝廷の実力者。話し合い、化かし合いにおいては一枚上手だった。
「……しかし、公家達の不満が高まっているのも事実。どうでおじゃろう。もう一度、馬揃を行うというのは。幸い、先日の馬揃から日が経っておらず、今から設備を整える必要もない。三法師殿のお披露目を主体とした、小規模なもので構わぬ。さすれば、帝も三法師殿を御覧になることができ、公家の不満も同時に発散することが可能。……明智殿、どうでおじゃるかな? 」
「……はっ、それでしたら可能かと」
「ほほほ。それは、ようごじゃるのぅ。ほほほほほ」
「!? 」
(な、なんだ!? 急に、話しの方向性が変わったぞ! な、なんだろう。凄く、嫌な予感がする――っ)
「……うむ。であれば、こちらも異存は無い。十兵衛、お主に任せる。準備に取り掛かれ」
「ははっ」
「ほほほ! いやはや、これで麿の面目も立ちまするのぅ。それでは、麿はこの辺で失礼致しまする。一同、楽しみにしておりまするぞよ。ほほほほほっ」
「……」
あっという間に話がついてしまった。俺は、ただただ呆然とそれを眺めていることしか出来なかった。
吉田が帰った後、新五郎に事情を聞くと最初からコレが狙いだったのではと言っていた。朝廷からの使者である吉田殿の面目を潰したら、それは朝廷の面目を潰すことになる為、ある程度は、こちらも譲歩しなくてはならないんだとか。
そして、逆もまた然り。朝廷だって、爺さんの面目を潰す訳にはいかないんだ。爺さんは、朝廷の最大のスポンサーなんだ。支援を打ち切られたら、あっちだって堪ったもんじゃない。何処かで、双方が折り合いをつける必要があった。それが、二度目の馬揃らしい。
俺は、それを聞いてある心理テクニックを思い出してしまった。それは、「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」初めにあえて大きな要求を行い、相手がそれを断った時点で小さな(本当の)要求を行うやり方だ。これなら要求は通りやすいし、今回の場合は前例のあるモノ。しかも、こちらがやりやすいよう規模を小さくしても良いと配慮までされては頷くしかないだろう。
いや、ほんと貴族っていつの時代も口が上手そうだとは思っていたが、こんな時代から高度な技術を使ってくるなんて思わなかった。
***
そして、冒頭のような状況になったわけだ。
俺は兵士五百を連れながら、前回より更に豪華になった輿に揺られながら民衆に晒される事になった。
前回から五日しか経っていないからか、京にはまだまだ人が多く残っていたのか。いや、もしかしたら噂を聞いてそれ以上集まっているかも知れない。そう、思う程の盛り上がりを見せている。
コースは、以前とは違い帝や公家達の為に専用スペースを作ったらしく、そこを二回ほど往復するそうだ。どんだけ、配慮しなきゃいけないんだよ。
「……おぉ、あれが」
「噂の」
「……良いのぅ」
「」
……あぁ、始まってからどれ程経っただろうか? 凄い歓声が聞こえるけど、それを台無しにするくらい粘着質な視線が全身を舐める。もう、最後まで俺の目は完全に死んだまま虚空を眺めていることだろう。
……うぅ、終わったら松に膝枕して貰おう。