12話
天正十年十月 長宗我部元親 白地城
木枯らしが吹く十月上旬。例年であれば、収穫を祝った祭りが行われる時期だが、今の長宗我部家にはそんな余裕は無かった。
「殿! 三千の兵、それぞれ持ち場に着きました! 物見によると、敵勢に動きは有りません! 」
「では、備蓄の確認もせよ! 相手は大大名織田家だ! 長期戦になる。備えは万全にせよ! 」
「御意っ! 」
家臣が下がったことを確認すると、思わず拳を柱に叩きつける。嫌に耳に残る金属音が部屋に響く中、顔を歪めてここからでは見えぬ敵勢を見据える。
「後少しなのだっ! 後少しで、長宗我部家の悲願である四国統一が成されるのだ! 後少しで、この四国に平和を築けるのだ! ここで……ここで、終わってたまるものかっ!!! 」
頬を滴る涙もそのままに、俺は最後まで戦う事を決意する。例え、この身が尽きようとも、諦める訳にはいかない。
織田軍四万に対し、こちらは三千。その、絶望的な戦力差に敗北を悟る。だが、俺には引けぬ想いがあるのだ。誓いがあるのだ!
「俺は……この四国に、安寧の世を築かなくてはならぬのだ。その為ならば、死ぬことなんて怖くはない。この想いを捨てる方が……余程怖い」
それが、十兵衛様と交わした大切な約束なのだ。例え、誰にも理解されなくても、ここで挫ける訳にはいかない。
力の限り握り締めた拳。思わず見上げた空には、十兵衛様との思い出が映っていた。
――十兵衛様……何故、貴方の様な御方が夢半ばで死んでしまったのですか……。
そんな俺の泣き言は、誰に聞かれる訳もなく宙へと溶けていった。
十兵衛様と出会ったのは、もう随分と昔のように感じる。土佐の一豪族でしかなかった長宗我部家が、土佐国主にまで繁栄出来たのも、全ては明智十兵衛様の尽力あってのこと。土岐氏との縁が、俺と十兵衛様を繋いでくれたのだ!
天下の織田家との同盟は、十兵衛様無くしては成しえなかっただろう。故に、俺は十兵衛様に多大な御恩があったのだ。
十兵衛様がもたらしてくださったこの機会を、決して無駄にしてはならぬと意気込んでいたある日。十兵衛様が、わざわざ岡豊城まで出向いてくださったのだ。
「久しぶりですな長宗我部殿。お元気ですかな? 」
「ははっ! お久しゅうございます。織田様、明智様の御期待に応えられるように、日々精進しておりますっ!!! 」
深々と頭を下げると、十兵衛様の朗らかな笑い声が降り注いだ。
「はははっ! 元気そうでなにより。しかし、少々硬いですな。長宗我部殿は、これから共に歩んでいく同士。私に対して、そこまで下手に出なくても良いのですぞ? 」
「め、滅相もございません! 今の長宗我部家があるのも、全ては明智様の尽力あってのこと! 大恩ある明智様に対して、無礼な真似など到底出来ませぬっ!!! 」
「ははっ……そんな気にせずとも……」
困り顔で苦笑する十兵衛様に、俺は頭を下げる他無かった。こんなにも素晴らしい人格者が、俺を評価してくださったのだ。
この御方に、恥をかかせてはならない。
俺は、この時そう誓ったのだ。
その後、十兵衛様と自室へと向かう途中、不意に十兵衛様は足を止めて外を眺めた。
「明智様? 」
「………………」
声をかけるも反応は無く、どうしたのかと俺も十兵衛様の視線を追う。すると、そこには嫡男である千雄丸と四男千熊丸が、仲良さげに遊んでいるのが見えた。
愛する我が子の元気な姿に頬を緩ませると、そんな俺達親子を十兵衛様は穏やかな眼差しで見詰めていた。
「長宗我部殿は、噂にたがわぬ息子想いの良い父親でございますな」
「いや……はははっ」
恥ずかしげに頬をかくと、十兵衛様は「恥じることは無い」と、嬉しそうに微笑まれた。
そういえば……十兵衛様は、家族想いの御仁だと聞いたことがある。そんな考えが脳裏を過ぎると、不意に十兵衛様の呟きが聞こえてきた。
「日ノ本に生きる全ての民が、戦をせずとも笑顔で暮らしていける世を築かなくてはならぬ」
十兵衛様は、そこで一旦話しを区切ると、真剣な眼差しで俺を見詰めてきた。
「私は……上様は、戦の無い世を築きたいと思っておる。戦乱の世を鎮め、泰平の世を築くことが私達の責務だと考えておる」
「戦の無い世を…………」
今まで考えた事の無い想い。当たり前のように戦を続けてきた俺にとって、十兵衛様の言葉は夢物語のように感じた。
残虐非道と噂される織田信長公とは思えぬ願い。その言葉の真意を探ろうと視線を向けると、そこには驚く程に穏やかな笑みを浮かべる十兵衛様の姿があった。
――泰平の世が来れば、そなたの子供達が理不尽に命を落とす未来は無くなるだろう。
「……っ! 」
十兵衛様の言葉は、俺に今まで感じたことの無い衝撃を与えた。震える身体もそのままに、俺は縋るように問いかけた。
「本当に……本当に、そんな未来が訪れるのですか? 愛する我が子が、天寿をまっとう出来る世が訪れるのですか? 」
すると、十兵衛様は慈しみに満ちた眼差しで微笑まれると、俺の肩に手を添えた。
「平和を願う想いを抱きながら進んだ分だけ、私達が願う泰平の世に近付けるのです。頑張りましょう長宗我部殿。民を憂うことが出来る……大切な人を守りたいと願える貴方ならば、きっと共に歩める。一緒に頑張りましょう。泰平の世を築く為に……」
「は、はい……はいっ……」
滴る雫もそのままに、俺は十兵衛様の想いに賛同を示した。泰平の世を願うその姿は、俺の希望であった。
天下泰平の世が訪れるかもしれない。もう、愛する我が子が、敵勢の襲撃に怯える夜を過ごす事も無くなるかもしれない。もう……終わりの無い地獄のような戦乱の日々を、我武者羅に生きる必要が無くなるかもしれない…………。
そんな淡い期待が、収拾もつかない程に胸の内を駆け回る。俺はこの時、十兵衛様が謀反を起こすなど、夢にも思わなかった。
ふと気が付くと、空が夕日に染まっている事に気付く。過去を懐かしむあまり、無駄な時間を過ごしてしまったようだ。
「十兵衛様……」
今は亡き恩人の顔が、脳裏を過ぎ去っていく。十兵衛様が、何の理由も無く謀反を起こすとは思えない。必ず、何かがあったのだ。謀反を起こすだけ何かが……。
今の織田家が信用出来るか分からぬ。幼子を神輿にして、重臣が好き勝手にやっているのかもしれない。
だとすれば、負ける訳にはいかない。泰平の世を築く為には、ソレを願わぬ輩に天下の覇権を握らす訳にはいかないのだ。
「十兵衛様……貴方と交わした誓い。この長宗我部元親が、必ずや叶えてみせます」
 




