10話
天正十年 九月 安土城
岐阜城を発ち、安土城に帰って来て一ヶ月が経過した。既に夏の気配は無く、涼し気な風が安土を包んでいる。
どこか寂しげな空気は、これから起こる戦いを案じているかのようだった。
岐阜にて、じいさんとお祖母様に別れを告げた後、俺は藤姫と甲斐姫を連れて安土城へ向かった。
その一行の中には、お妙を含む先の大戦で亡くなった戦士達の遺族も含まれる。
親父が生前に言い残していた遺族に対する手当。それは、俺にとっても大賛成なことだったし、彼等が命懸けで守りたかったモノを、俺は守る責務がある。故に、希望する遺族に対して、京か安土城下に家を建てることを決めたのだ。
お妙は、京に住むことになった。正兵衛が眠る妙覚寺に程近い場所に、彼女の家が建てられている。
白百合の者を遣わせて、彼女の様子を探っているのだが、最近は随分元気になったらしい。毎朝、正兵衛の墓参りに行くことが、日課なのだとか。
以前の彼女は、どこか危なっかしく、無理に元気な様子を取り繕っているように思えた。
それも当然のことだろう。婚約者を失ったのだ。元気な方がおかしい。
俺は「お妙が正兵衛の後を追ってしまわないか」そんな不安でいっぱいだった。
大切な人を失った悲しみは、俺も良く分かる。死ねるなら……どれだけ楽か。後を追うことが出来たなら、どれだけ楽か。
だが、人は進まねばならない。
どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、歩みを止めてはいけない。歩み続けた者にだけ、未来はやってくるのだ。
俺は、その未来を少しでも良いものにする。民が、未来へと希望を持てるようにする。それこそが、俺の責務だ。
穏やかな安土城下を眺めながら、俺は今一度、そう胸に刻み込んだ。
昼餉を済ませた後、俺は評定の間にて、近衛とこれからの方針を話し合っていた。此処には、俺達の他に大老の権六達と細川幽斎しか居らず、その事が会議の重要性を示していた。
「これが、先の大戦にて十兵衛に加担した公卿の名でおじゃる。そこの細川殿が、随分と尽力してくれたお陰で、比較的早くに朝廷の内情を知ることが出来てのぅ。いち早く三法師殿に知らせる為に、こうして二人で参ったのだ」
「…………であるか」
近衛から渡された紙には、一条内基を筆頭に数十名の名が記されていた。
勿論、ここにある名が全てでは無いだろう。雑用に使われた者達は、既にトカゲのしっぽ切りにあっている。おそらく、殆どの者が死んでいるだろう。
故に、近衛とは別口で調べられる細川幽斎の働きが、今回の成果に多大な影響を与えたことは、主君として評価しなくてはならない。
「近衛殿、此度の尽力大変有り難きこと。織田家当主として、御礼申し上げる」
深々と頭を下げると、近衛は慌てて止めに入る。
「これこれ! そなたが頭を下げる必要は無いでおじゃる。亡き岐阜中将殿の意志を継ぎ、日ノ本の安寧を願い朝廷を正そうと動いてくれるだけで、麿も帝もそなたに感謝しておるのだ」
「近衛殿……」
「本来であれば、そなたは大人に守護されるべき幼子。その幼子に頼るしか無い哀れな大人達こそ、頭を下げねばならね。誠に忝ない」
そう言って平伏する近衛に対して、逆にこちらの方が慌てて止める騒ぎになってしまう。
「こ、近衛殿! 頭を上げてくださいませ! 」
俺の声に呼応するように、大老達からも懇願する声が上がる。そんな俺達の様子を受け、近衛は不承不承ながら頭を上げた。
「……その近衛殿と言うのも、どこか引っかかるのぅ。そなたとは、近い将来親子になるのでおじゃろう? 義理ではあるが、麿は亡き岐阜中将殿の分まで、そなたに愛情を注ぎたいと思うておる。そう、堅苦しくしなくても良い」
「……では、義父上と」
「ほっほっほっ。まだまだ固いが……今はそれで勘弁してやろうかのぅ? 」
近衛の……義父上の優しげな眼差しに、つい視線を逸らしてしまう。義父上の好意は純粋に嬉しいのだが、何ともくすぐったいものだ。
話題を変えるために一度咳払いをすると、義父上の横に座る細川幽斎を見詰める。俺の視線に気付いた細川幽斎が平伏するのを見届けると、俺はパチリと扇を鳴らした。
「幽斎」
「ははっ」
「此度の尽力、誠に大儀である」
「ははっ! 有り難き御言葉! 」
――だが……。
「先の大戦にて、そなたは織田家家臣に有るまじき行為を働いた。その行いは主君に背くモノであり、当然の事だがその首をもって責任を負う大罪である。だが、そなたの有用性に免じて、汚名返上の機会を与えたのだ。此度の結果によって、そなたの……細川家の沙汰を決めるつもりであった」
「ははっ! 承知しております! 」
一拍、二拍と間が空く。張り詰めた空気が評定の間を支配する中、皆の視線が俺と細川幽斎に集まる。
そんな中、俺は朗らかな微笑みを浮かべた。
「細川幽斎、そなたを京都所司代に命ずる。そして、勝竜寺城をもう一度そなたに任せる。今後も、織田家家臣としての働きに期待しておるぞ」
「……っ! 」
俺が沙汰を言い渡すと同時に、細川幽斎は感涙にむせびながら、勢い良く額を畳に擦り付けた。
「誠に……誠に、有り難き幸せにございますっ! この幽斎! 三法師様の温情を、決して無駄には致しませぬ! 」
「であるか……励むが良い」
「ははっ!!! 」
深々と平伏する幽斎を後目に、俺は今一度公卿の名が記された紙を見る。
「膿を炙り出すことは出来た。後は、これをどう処理するか……それが、肝だな」
「処刑致しますか? 」
物騒なことを提案する左近に対し、「否……」と告げると、眉間に皺を寄せる。
「殺しても遺恨の種が残るだけぞ。価値観を変えねばならぬ。奴等が見栄を張る部分を、変えざるを得ない状況に追い込む必要があるな。しかし、それには後一手足りぬ」
そこで、俺は義父上に視線を向ける。すると、俺の思考を読んだかのように、意味深な笑みを浮かべていた。
「義父上、本日の用件はこれだけではありますまい。わざわざ、義父上が安土城まで来た本題をお聞かせ願いたい」
幾ばくかの沈黙の後、義父上は静かに口を開いた。
「……左様でおじゃる。前太政大臣として、帝の思召しを伝えに参ったのだ」
――三法師殿の、元服と官位について……のぅ。




