6話
戦国の覇王織田信長の隠居は、諸国の大名家に激震を走らせた。一つの時代を創った覇王が、完全に歴史の表舞台より去ったのである。
これにより、僅か三歳の童が織田家の舵をとる事になったのだ。
その一報を受け、『死亡説』『虚偽説』などの様々な憶測が行き交う中、大名達は真実を見極め無くてはならない。
時勢が読め無い者には、この先の乱世を生き残れないのだ。果たして、誰が賢者で愚者なのか……それは、神のみぞ知る。
天正十年 八月 安芸国 毛利輝元
私室にて文を読んでいると、小姓が二人の男を連れて参った。どちらも、呼び立てた人物と相違無い事を視認すると、朗らかに頬を緩ませる。
「叔父上方、夜分遅くお呼び立てして忝ない」
「小早川又四郎、只今参上致しました」
「吉川少輔次郎、只今参上致しました」
静かに部屋へと足を踏み入れた両名は、まるで示し合わせたように同時に平伏する。真逆のような性格の二人だが、こういったところを見ると、やはり兄弟なのだと実感する。
小姓によって襖が閉められた事を確認すると、先程まで読んでいた文を叔父上達の前に置く。
「雑賀より、織田信長が岐阜へ移ったと報せが入りました。重い病にかかり、とてもでは無いが政務を執り行うことは不可能に近い……との事。僅か三つの童が、織田家の家督を継いだという噂。どうやら、誠の様子。……叔父上方の見解を、お聞かせいただきたく」
恐る恐る叔父上方に尋ねると、それまで瞳を閉じていた又四郎叔父上が、目を見開いて雷を落とした。
「家臣に意見を聞く前に、己の意見を述べるようにと教えた筈ですぞ若様っ!!! それでは、若様が我々の意見を参考にせねば考えを纏められぬ御方であると、御自身で訴えているようなもの! それでは、下の者達に示しがつきませぬ! 」
「す、すまぬ……」
又四郎叔父上の一喝に、思わず身体が縮こまる。幼き頃より、頻繁に落ちるこの一喝には、もう逆らえる気がしない。
こうやって又四郎叔父上が怒るのも、全ては、私が立派な毛利家当主になる為に、心を鬼にして叱りつけてくれているのは、分かっている。
だが……未だに慣れるものでは無い……な。
依然として鋭い眼光を放つ又四郎叔父上を後目に、私はしどろもどろに胸の内を明かす。
「新しき織田家当主……三法師と言ったか。僅か三つで両親を失い、祖父も頼りにならず家督を継ぐ事になるとは……な。些か、不憫に思えてならぬ」
最後の言葉を紡ぐと同時に、顔を伏せて目柱を抑える。その幼き身体にかかる重圧を思うと、こちらまで胸が熱くなると言うものっ。
私も、父を失い比較的早く家督を継いだが、それでも十一歳の頃だ。敬愛する祖父も健全であり、何より叔父上方が政務を補佐して下さった。
酷く……苦しい日々であった。夜も、満足に眠れぬ程に……。三法師殿は、当時の私より辛い状況に立たされておる。
これを、哀れと思わずにいられるものか……。
部屋に張り詰める冷たい空気。敵方に同情しているとしか思えぬ私の言葉に、叔父上方は恐ろしい程に口を閉ざしていた。
そして、幾ばくか経った後に、重々しく又四郎叔父上が口を開く。
「…………それが、若様の本心でございますか」
「……うむ」
力無く頷くと、次郎叔父上がいきり立ちながら吠える。その表情には、拭い取れぬ憎悪が張り巡らされていた。
「織田家は敵ですぞ! 毛利家当主たる若様が、斯様な思いを抱くなど言語道断っ!!! 即刻、先程の発言を撤回して頂きたいっ!!! 」
「次郎叔父上……」
「落ち着け兄上! 無礼極まりないぞ! 」
又四郎叔父上が、次郎叔父上を抑えつけようとするも、興奮した次郎叔父上がそれを振り払う。
「落ち着いていられるか! 若様っ! 奴らが、どれほど我が同胞達を殺したかお忘れですか!? 羽柴秀吉が、どれほど残虐非道な手段で民を……家臣達を殺したか! 儂は、一日足りとも忘れた事はございませぬっ!!! 」
「そ、それは……」
憤怒の表情を浮かべながら詰め寄ってくる姿に、思わず視線を逸らす。
「今が織田家を滅ぼす千載一遇の機会っ! 足並みの揃わぬ織田家など、烏合の衆と何ら変わりなし! 直ちに兵を率いて、攻め上りましょうぞっ!!! 」
次郎叔父上は、血走った瞳で織田家侵攻を唱えた。その姿には、一切の虚偽が見当たらず、本気で言っている事が嫌でも伝わる。
今、此処で止めねばならぬと察した私は、すぐさま反論を口にした。
「お、織田家とは一年間の不戦条約を交わした筈であろう! それを破るなど……人質も交換しておるのだぞ!? 私達が織田家を攻めれば、あ奴らがどうなるか……」
「見捨てれば宜しい! 」
「なっ!? 」
堂々と、人質を見殺しにしろと言ってのける次郎叔父上に、思わず絶句する。
「奴らは、とうの昔に毛利家の為に命を縣ける覚悟を決めております! それが、毛利家の将来を切り開く為になるならば、喜んで死んでくれましょうぞっ!!! 」
正気の沙汰では無い……そんな考えが脳裏を過ぎる中、又四郎叔父上の一喝が響き渡った。
「双方、いい加減にせよっ!!! 」
『……っ! 』
思わず背筋が伸びると同時に、又四郎叔父上が鋭い眼光を向けてくる。
「若様も兄上も、些か私情が過ぎる! 感情が先走っていては、思わぬところで躓くだけぞ! 今一度、己の立場を思い返せ! 」
そこで一旦話しを区切ると、又四郎叔父上は、次郎叔父上の方を向く。
「兄上、一度交わした決まり事をこちらから破っては、礼節に欠くというもの。ただでさえ、国人衆を纏めるのに苦心している中、毛利家の信用を失いかねん発言は控えていただきたい」
「……すまぬ」
不承不承ながら頷く次郎叔父上の姿に、満足そうに頷くと、次はこちらを見詰めてきた。
「若様の気持ちも分かります。ですが、毛利家当主として、それは軽はずみで口にして良い言葉ではございません。何処に、公方様の耳が潜んでいるか分からないのですから」
「……うむ」
そうだ……反織田家筆頭の公方様に、私の考えが知れたら何と言うか分からない。
――正直、もう手に余るのだがな……。
その後も、三人で議論を交わした結果、今後の方針が決定した。
「織田家に関しては、様子を見る事にする。叔父上方も、それで宜しいか? 」
『御意』
様々な考えを交わした中、やはり様子見と言う結論に至った。はぁ……一体、この世の中はどうなってしまうのだろうか……。




