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29話

 天正十年 七月 安土城 羽柴秀吉


 奇妙様が亡くなられて数日が経ち、とある一室にて会議が行われていた。出席者は四名。柴田殿、丹羽殿、滝川殿……そしてわしだ。

 わし等四名に授けられた新たな役職。即ち、大老。重臣達の上に立ち、幼き主人を補佐する最高職。

 そんなわし等が一堂に集い、織田家の方針を話し合っていく会議を、人は大老会議と呼ぶ。

 奇妙様より託された使命。三法師様を支え、織田家を円滑に回していく。全ては、天下泰平の世を築くためにっ!


 しかし、そんな大老会議は、一向に先へ進まず膠着状態に陥っておった。

「して……織田家の家督についてだが……」

『……………………』

 柴田殿が切り出す議題に、一同沈黙で返す。早く解決せねばならぬ議題である事は百も承知。だが、それでも二の足を踏まざるを得ない状況なのだ。

「……奇妙様の遺言通り、三法師様が継がれるのが宜しいかと。三法師様は、織田家の正統なる後継者。上様の尊き血を引く三法師様が継がれる事こそ、筋というもの」

「それは分かっておる。問題は、三介様が後見人を名乗り出たことじゃ! 」

「……恐れ多い事にございますが、三介様に賛同する者。三七様を推挙される者が出ております」

『はぁ…………』

 わしの報告に、一同溜息をつく。

 あの時は、斯様な騒ぎに発展するなど夢にも思わなかったのだ。



 時は、奇妙様が息を引き取られた直後に遡る。

 声を上げて奇妙様に縋り付く三法師様に、わし等は声をかける事も出来ずにおった。そのあまりに労しい御姿に、自然と涙が零れるのみ。

 僅か三つの幼子が、背負うにはあまりにも重すぎる宿命。神や仏には、血も涙もないのかっ!

 本当ならば、その小さき身体を抱き締めたい。『わしが、必ず守る』そう誓いたい。不敬ではあるが、奇妙様を息子同然に想っていたわしは、三法師様を孫のように想っておった。

 そんな大切に想っておった御方に対して、何も言えない己が不甲斐なくて堪らんっ!


 そんな風に、己の不甲斐さに打ち震えていると、何処からともなく声が聞こえてきた。


『本当に、三法師様で大丈夫なのか? 』


 そんな小さな呟きが、広間中に広がっていく。ソレを聞いた途端、一気に頭に血が上っていくのを感じた。

「誰じゃぁぁぁあああっ!!! そのような巫山戯た事を宣いた痴れ者は、どこのどいつじゃぁぁぁあああっ!!! 」

「ひっ! 」

 怒髪天を貫いたわしは、悲鳴を上げた者に詰め寄っていく。先程の言葉は、到底許す事は出来ぬ! 不敬千万! その罪、万死に値するっ!!!

「貴様かぁぁぁあああっ!!! 」

「ぐっ!? ごぉ……がぁ……ぁぁぁ…………」

 首を締め付けながら宙に浮かせる。骨の軋むような音が響く中、ようやっと我に返った者達が一斉にわしを取り抑えようとする。

「お待ちくださいませ筑前守様っ! 」

「止めろ藤吉郎っ!!! 」

「離さんかぁぁぁあああっ!!! 」


 結局、『奇妙様が亡くなられたこの場所で、争い事等言語道断』と、柴田殿に一喝され、あの発言は有耶無耶なままになってしもうた。

 ……言葉には、言霊が宿る。一度口に出した言葉は、誰にも取り消せぬ。上様は意識不明、奇妙様は亡くなられ、僅か三つの幼子が当主につく。

 誰もが、不安の種を心に宿していた。それが、あの痴れ者の言葉で、芽が出てしもうたのじゃ。

 その結果が、織田三七信孝様と北畠三介信意……否、織田三介信雄が跡目争いに加わる非常事態に陥ってしまうことに、なってしもうた。





「……三介…………三……様……」

 滝川殿の声で、不意に意識が戻ってきた。いかんな……大老会議中だと言うのに、あの日の事を思い出しておった。

 気を引き締めなければっ。

「して、御二方は何と申されておるのだ? 」

「三介様は、『幼子に政を任せるのも忍びない。三法師が元服するまで、俺が代理当主に就く』三七様は、『兄上の遺言に従い、家督を継ぐ三法師を皆で支えるのみ』と、申されておりました」

「う〜む…………」

 滝川殿の報告に、四名共に眉間に皺が寄る。下の者達が騒ぎ始めた事だが、予想以上に三介様が乗り気でおられる。

 勝手に改名した事もそうだが、近頃の言動には少々目に余る。


 一人、三介様の言動に憤慨しておるうちに、会議は目的地も分からぬまま踊り続ける。

「三法師様、三介様、三七様の中では、三法師様の才覚は頭一つ抜けておられる。問題があるとすれば……年齢か……」

 滝川殿の呟きに、丹羽殿が補足をつける。

「下の者達も、そこに不安を感じているように思う。幼子に、織田家を動かせるのか……とな」

 そんな補足に、柴田殿は溜息を零す。

「故に、三介様を立てる者達が騒いでおるのか。はぁ…………。無礼ながら申すが、三介様は王の器に非ず。まだ、三七様の方が王たる器を備えておる」

「左様ですな。明智討伐において、伊賀国に籠っていた三介様では心もとなし。摂津にて、見事な指揮を執っていた三七様の方が上ですな」

 柴田殿の指摘に、わしは同意を示す。先の大戦でも、三七様は摂津にて見事な指揮を執っていた。

 故に、一万以上の兵士が三七様を信じて、明智を討つ日まで摂津に残り続けたのだ。もし、三七様が動揺を隠しきれておらなかったら、摂津の軍勢は崩壊していただろう。

 王としての器を示したのだ。


 だが、それでもわしは、三法師様を立てられる方が良いと思うのだ。

「ですが、三七様も三法師様には劣る。三七様自身が三法師様を立てておりますし、遺言通り三法師様を当主にすべきでしょう」

「そうであるな。三法師様ならば、年齢等関係無く見事に政を取り仕切りましょう」

「左様。三法師様は強き御方だ。奇妙様が亡くなられてから、半刻程度で立ち直り気丈に振舞っておられる。……儂等は、不要やも知れんな」

「上様が若かりし頃も、家臣達の意見などいりませんでしたからな…………」

 滝川殿の言葉を最後に、不意に訪れる静寂。

『神童たる三法師様ならば、大老なぞ不要の存在かも知れん』

 そんな考えが脳裏を過ぎる中、わし等は三法師様の元へと向かった。

 

 一言も話すこと無く小姓に案内されるわし等は、とある一室に通された。そこは、三法師様の私室では無く、上様が眠っておられる部屋であった。

「ここは……」

「……只今、三法師様はこちらに居られます。どうか、今より見ます光景は他言無用に御願い致します」

「……ん? ……うむ。約束致そう」

 意味深な言葉に首を傾げるも、見ない事には始まらんと一同同意を示す。小姓が薄く開いた襖の先には、思いもよらぬ光景が広がっておった。

「うぅうぅ……ちちうえ……ははうえ…………」

 そこには、上様に縋り付くように泣く三法師様の御姿があった。昼間、皆を指揮しておられる御姿とは掛け離れた様子に、一同愕然とする。

「……っ! こ、これは」

「……昨夜、岐阜城より急使が訪れました。こちらが、その文にございます」

「……っ! ま、まさか……そんな……」

 小姓より渡された文を読んだ柴田殿は、驚きのあまり声を失って固まる。その尋常ではない様子に、引ったくるように文を奪うと三人で読み始める。

 そこには、『岐阜城にて奇妙様の奥方様が、第二子出産時に大量の出血をしてしまい、赤子諸共御亡くなりになられた』と、書かれていた。

 この小姓は、昨夜に届いたと申していた。では、昼間の御姿は母親が死んだ事を知った上で、わし等を不安にさせぬように気丈に振舞ってみせていたのかっ。

「何故……小姓がこの文を……否、確か貴様は一刀斎殿の…………」

「はっ、高丸と申します。三法師様の傍付き故に、此度の一件を耳に致しました。三法師様は、『然るべき時が来たら、皆に知らせる』と申しておりましたが、大老の皆様にはお伝えすべきと愚考致した次第にございます」

「……そうか。忝ない。我等も……戻るか……」

『はっ』

 柴田殿に連れられて、わし等は部屋を後にした。どこまでも、やるせない想いを抱きながら……。



 部屋に戻ったわしは、勢い良く土下座をした。

「柴田殿! 丹羽殿! 滝川殿! どうか、この藤吉郎に御力を御貸しくださりませっ!!! 」

「い、一体どういうつもりだ? 」

 困惑する柴田殿達に構わず、ひたすら頭を畳に擦り付けて誠意を示す。

「皆様が、わしに良い感情を持っておられない事は百も承知! わしの様な下賎の身の上で、大老など烏滸がましい限りでございましょう! されど、されど! どうか、わしと共に三法師様を御支えになってくださりませぬかっ!? 過去の諍いを水に流せとは言いませぬ! 大義の為に、三法師様の為にっ! 力を合わせていただきたくっ!!! 」

 名誉も何も関係無く、わしはただただ頭を下げ続けた。この四名ならば、三法師様を支えられる確信があったからだ。

 明智光秀の謀反に迅速に対応し、見事討伐までの道筋を描いた類稀な才覚。僅か三つの幼子とは思えぬ覇気。

 そんな完璧な御方が、わし等を心配させまいと必死に戦っておられるのだ。父親と母親を同時に亡くし、辛いだろうにその事を必死に堪えておられるのだ!

 それに応えずして、何が大老か! 何が忠臣か! 三法師様の為ならば、わしの頭の一つや二つ平気で下げられると言うもの!



 どれ程時が経っただろうか……不意に溜息が聞こえたかと思うと、誰かの手が肩に乗っかった。

「全く……貴様に窘められるとは、儂も老いたものよ。……すまんな……藤吉郎」

「……っ! 柴田殿っ! 」

「権六で良い。共に、三法師様を御支えしよう。……さてと、三介様と三七様に伝えねばならぬな」

『………………ふっ……ふふっ……はっはっはっはっはっはっ!!! 』

 そう言うと、権六殿は頬をかきながら部屋を出て行かれた。あまりにも分かりやすい照れ隠しに、残された三名は自然と笑いがこぼれる。


 この時、真の意味で大老達が、一致団結する事が出来たのかも知れんな。まだまだ、やるべき事は数え切れぬ程ある。先は長いがきっとわし等ならば大丈夫だ。

 三法師様を支える……その想いは、決して消えぬ。


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2021/02/01 16:17 退会済み
管理
[一言] 見事な三本の矢のような4人の大老たち。 常に挑戦的で誰にも負けるか!と意地を張り続けてきた藤吉郎が恥も外聞もなく幼子を共に助けてくれ!と柴田、丹羽、滝川を頼り頭を下げたことで一致団結を図れま…
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