26話
天正十年 六月 安土城
晒された十兵衛達の首は、その後丁重に供養された。もう充分、織田家の面目は立ったと判断されたのだ。
一連の流れで、人々が感じたモノは両極端。
天下を乱した大罪人。朝敵明智光秀。主君に刃を向けた痴れ者。
そんな男を、織田家が丁重に弔ったことに、近隣住民は『織田の殿様は、慈悲深い御方だ』と驚嘆の声を上げる。
一方で、諸国の大名や公家達は、裏切り者の凄惨な末路に畏怖を抱いた。
明智光秀並びに重臣達の晒し首のみならず、家中の者達二百二十七名の公開処刑。織田家に敵対したら最後、負ければ一族郎党皆殺し。
織田家の熾烈さと徹底さが、今一度日ノ本全土に轟いたのだ。これにより、十兵衛の裏に居た公卿や大名達は、満足に眠れぬ日々を過ごす事になるであろう。
全ては、十兵衛の思惑通りになったのだ。民からは敬意を、大名や公家からは畏怖を得た。織田家は、更に一丸となって天下統一へ乗り出す。
その影に、真の忠義者が犠牲になって……。
そして、一ヶ月の激闘を終えた織田軍は、兵を解散し安土城へと移った。戦で活躍した者達にとっては、待ちに待った論功行賞だ。
大広間に集まった織田家の重臣達、その表情には晴れやかな笑顔を浮かべ、先の大戦の勝利を心から喜んでいるのが見て取れる。
そんな重臣達を見て、親父は一瞬表情に影が差すも、直ぐに笑顔を浮かべて重臣達の忠義を称える。
「皆の者、此度の働き実に大儀であった。先の大戦は、織田家始まって以来の窮地であった。それを、無事に乗り越えられたのも、一重に織田家に忠義を誓うそなた等のお陰だ。織田家当主として、御礼申し上げる」
「わたしからも、みなにかんしゃを。こうして、わたしがいきているのも、みなのおかげだよ。ほんとうに、ありがとう」
『ははっ! 勿体なき御言葉、恐悦至極にございますっ!!! 今後とも、我等一同尽きることの無い忠誠を誓いまするっ!!! 』
「うむ。頼りにしておるぞ」
『ははっ!!! 』
親父と共に、平伏する重臣達を見る。織田家の中枢を担う彼等。その中には、備中国から帰還した藤の姿もある。
織田家五大将の一角を担う藤は、無事に毛利家との和睦を成立させてみせた。桔梗経由で色々聞いていたが、中々有利な条件を付けることに成功したらしい。
おそらく、他の重臣達の為にその件から入るだろうな。領地替えとかもあるし。
「そして、と……藤吉郎。良くぞ毛利家との和睦を成立させた。万が一、毛利家が京まで攻め上って来ていたら、それこそ明智討伐どころでは無かっただろう。良くやったぞ! 」
「ははっ! 有り難き幸せ! 」
親父から名指しの褒め言葉を貰った藤に、他の重臣達から羨望の眼差しが送られる。藤も、どこか誇らしげに思えた。
「して、和睦の条件は如何様になったのだ? 」
「はっ! 美作国・伯耆国・備中国・備後国・出雲国の讓渡、備中国高松城城主清水宗治の切腹、一年間の不戦条約を締結致しました! 」
「ほう……五カ国の讓渡のみらなず、清水宗治の首と不戦条約まで結んだか! 素晴らしい成果だ! 良くやったぞ!!! 」
「ははっ! 」
「いやはや、流石は筑前殿。見事な手腕ですな」
「清水宗治の首を落としたのは、誠に大きいですな。毛利家の士気も下がりましょうぞ」
「不戦条約も大きいでしょうな。先の大戦で、少々引き締めが必要でしょうし」
「左様ですな」
藤の予想以上の成果に、大広間に居る重臣達の間に騒めきが走る。時間をかけたとは言え、最重要事項は毛利家に此度の件を悟らせないこと。迂闊に進めれば、露見してしまう恐れがある。
それを加味すれば…………成程、確かに素晴らしい成果だ。五カ国の讓渡は、毛利家から申し出ていた事らしいが、清水宗治の首は認めていなかったらしい。
水の上に浮かぶ高松城、それを囲うように対峙する毛利軍と織田軍。膠着状態だった両者の間で、一体何故織田家有利の条約になったのか……答えは、実に単純なモノであった。
「しかし……毛利家も良く、斯様な織田家有利の条約を認めたものだな。確か、清水宗治は小早川隆景の配下として、毛利家中内の評価も高い忠臣であろう。毛利家側も、清水宗治の切腹は渋ったのでは無いか? 」
親父は、不思議そうな様子で問いかけると、重臣達も然もありなんと頷く。忠臣を見殺しにすれば、主家の求心力を失う事に繋がりかねん。
人の心は、実に難しく計り難い。ひょんなことから、大戦に発展するやも知れん。その事を味わったばかり故に、一同首を傾げたのだ。
藤も、親父達の様子に同感するように頷くと、高松城で何が起こったのか説明を始めた。
「わしも、当初は何かしらの罠の類を疑いましたが、城内の様子を探るうちに理由が判明致しました」
「して、それは? 」
「はっ! 城内では、疫病が発生しておりました。何でも、連日の大雨以降備蓄が次々と腐っていったらしく、ソレを食べた者達から体調が悪化。死者数が増えると共に、城内に居る殆どの者達が疫病に侵された次第にございます」
「なんとっ…………」
「どうやら、城主である清水宗治も疫病に侵されたらしく、死期を悟った清水宗治は自らの命と引き換えに城内の者達の命を救う道を選びました」
「清水宗治は、自ら切腹を申し出た……と? 」
「はっ! 左様でございます。毛利家側の和睦条件は、五カ国の讓渡。それに対して、わしは一年間の不戦条約と清水宗治の切腹を望みました。毛利家は、不戦条約こそ呑みましたが清水宗治の切腹は認めておりませんでした。わしの目的は、毛利家の足止め故に、何年かかろうとも和睦条件を譲る気は御座いませんでした。その事を知った清水宗治は、『余命短い己の命で、織田家との和睦が成立するなら』……と、申し出て来た次第に御座います」
「そうか……噂以上に、立派な武士であったか……」
「とう……びょうまは、いたいからもまわりにひろがっていく。まいそうは、おわっておるのか? 」
「ははっ! 滞り無く済ませております!! 」
「ならば良い。藤吉郎、ご苦労であった」
「ははっ!!! 」
藤から語られた真相に、大広間に居る重臣達は口を閉ざし絶句している。俺達の予想以上の悲劇であったからだ。
水の上に隔離された高松城で、斯様な事態が発生しているなんて思わなかった。おそらく、不衛生な環境が疫病発生を招いたのだろう。
ただでさえ、カビの発生し易い梅雨。その時期に、周りは水に囲まれていたのだ。
木造建築故に、水が浸透し易く腐り易い。泥や汚れが溜まれば、そこが病魔の巣窟となる。
これ程の悪循環。疫病は、起こるべくして起こったのだろう。ウイルス云々の概念が無いこの時代、それ故に起こった悲劇なのかも知れない。
海外ならば、石鹸もあるのだろうか?
探してみるのも、良いかもしれないな。




