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24話

 天正十年 六月 亀岡


 明智光秀との戦いは、織田家の勝利で幕を閉じた。天守が燃えた時は一同愕然としたが、予想に反し火は回っておらず、腹を切った状態で事切れていた明智光秀を発見した。

 その傍には、首が切り飛ばされた遺体が転がっており、後に九条兼孝の遺体だと判明。

 もう一人の囚われた公卿である近衛前久は、無事に保護され、今は館の一室にて療養中だ。

 明智光秀の重臣達だが、殆どが討ち死にする中、池田勝三郎の活躍により斎藤利三・藤田伝吾を捕獲。武功一番の大手柄だ!


 やはり、気合いの差だろうか。勝三郎は他の人とは、今回の戦いにかける意気込みが違っていた。じいさんが襲撃を受けた時、家臣達の誰よりも怒りに燃えていたのが勝三郎だ。

 確か、勝三郎はじいさんの乳兄弟。言わば、幼なじみだ。誰よりも、じいさんに対して深い友情を感じていたのだろう。

 想いの力……それを、感じた戦いだった。



 皆が戦の後始末をする中、俺は親父と共に近衛前久の元へ向かっていた。

「失礼致します」

「おぉ……岐阜殿、天女殿、良くぞお越しくださいました。この度は、大変ご迷惑をおかけして……」

「いえ、帝より御勅命を賜わりましたし、何より父上の旧知の友をお救いする事に躊躇いはありませぬよ」

「……立派に、なられましたな……」

 部屋の中は、いたって質素な造りではあるが、心が休まる良い雰囲気が漂っている。

 その部屋にて、床に伏せている近衛前久は、どこかやつれた様子。おそらく、明智光秀に囚われた事で精神的に追い込まれたのだろう。

 どうやら、無下には扱われなかったようだが、幽閉されていた事は事実。それだけでも、トラウマレベルの災難だ。

 ゆっくり療養してほしい。


 暫く三人で談笑した後、不意に近衛が顔を伏せながら呟いた。

「……十兵衛は、どうなりましたか? 」

 消えるような小さな声だったが、確かにそう聞こえた。俺は、親父と顔を見合わせてしまったが、近衛を安心させようと笑顔で話しかけた。

「ごあんしんなさいませ。みごと、ぎゃくぞくあけちみつひでは、とうばついたしました」

「…………やはり、そう……ですかっ! ぅぅ……十兵衛ぇ……ぅぅぅ……」

 近衛は、絞り出すように呟くと、蹲りながら泣き出してしまった。俺達の想像とはかけ離れた反応に、無様に狼狽える他無かった。


 この時、近衛が光秀の死を嘆いていた等、俺は夢にも思わなかった。


「あの、近衛様? 」

「十兵衛はっ! 死んではならぬ者でおじゃった! 誰よりも、織田殿を敬愛しておられた! 」

「……っ! このえさま! なにを…………」

 近衛の叫びは、到底理解出来るものでは無い。じいさんの右腕でありながら、突如として裏切り親父までも命を奪おうとした。

 そんな男が、じいさんを敬愛していた等、信じたくなかったのだ。

 しかし、親父は近衛の様子にただならぬ事情を察したのか、立ち上がる俺を手で制した。

「…………近衛様、詳しくお聞かせ願います」

 親父が姿勢を正したのを見て、俺も慌てて正座する。近衛は、多少鼻声になりながらも全てを語り始めた。そう……全てを。

「十兵衛は、九条兼孝に脅されたのだ。『十兵衛が織田殿を討たねば、他の者に命令するだけだぞ! 』っと。その折には、織田殿を朝敵にするとまで言っておった」

「く、九条様……が? そんな……誠でございますか? 」

「左様。十兵衛は、一人悩み苦しんだ後に織田殿を殺す覚悟を決めた。朝敵にされれば、今までの織田殿の苦労が全て水の泡になる。故に、十兵衛は謀反を起こした大罪人として、自らが汚名を被る事を決めたのだ」

 それは、衝撃的な事実であった。

 裏切り者だと、そう思っていた光秀が、そんな葛藤を抱いていたなんて知らなかったっ。


「では、何故近衛様と九条様を攫ったので? 」

 俺が一人真相に打ちのめされていると、親父が一つの疑問を問いかけた。

 すると、近衛は泣きそうな顔で話し始めた。

「全ては、この麿の不手際が招いた事でおじゃる。今、朝廷は織田家に対する感情が複雑に入り乱れておる。麿は、何とか織田家と朝廷を取りなそうとしたが、九条兼孝達はそれを良く思っておらんかった」

「対立していた……と」

「……うむ。織田家は、良くも悪くも朝廷への影響が大きいであろう? 故に、それを良く思わぬ輩も多い。あの時、麿は九条兼孝の手下に囚われておったのだ。それを、十兵衛は助けて亀山城に匿ってくれた……それが、真相でおじゃる」

 近衛は、そこで話しを区切ると、勢い良く頭を下げた。身体にかけられた着物を力の限り握り締め、身を震わせながら泣き続けた。

「……申し訳無いっ! 麿が、麿が九条達を抑えていれば斯様な事態にはならなかった! 十兵衛が、裏切る事もっ! 織田殿や岐阜殿が重症を負うことも無かったっ! すまぬっ! すまぬぅぅぅっ!!! 」

 泣き崩れる近衛を、俺は呆然と眺める他出来なかった。ただ、胸にあるのは光秀への気持ちだけだ。

 九条兼孝だけが殺された理由が、やっと腑に落ちた。光秀は、ケジメをつけたのだ。己の手で、ケジメをっ。



 近衛は、一頻り泣き終わると、懐から一枚の文を取り出し、俺達の前に置いた。

「これは、十兵衛に託された文でおじゃる。全てが終わった後に、渡してほしい……と」

「……失礼致します」

 親父が、文を手に取り広げると、俺も覗き込むように読み解いていく。『詫び状』そう書かれた文には、光秀の想いが込められていた。



『上様、奇妙様、三法師様。この文を読まれておられる時は、全てを近衛様から御聞きなされたのでしょう。


 この度は、私の不手際で皆様に多大な被害をもたらしてしまいました事、誠に申し訳ございませぬ。斯様な文にて謝罪の言葉を送る無礼、平にご容赦を。

 朝廷の思惑を看破出来ず、己が責務を全う出来なかった私は、皆様に合わす顔がございませぬ。


 それ故に、私は腹を切り責任を取るつもりでございます。如何なる事情が有ろうとも、主君に刃を向けた事は許されざる事にございます。

 心優しき皆様ならば、私の境遇に同情してしまい、許しを与えて下さるやも知れませぬ。されど、私は自分自身を許せませぬ。

 生涯の忠誠を誓った主君を襲撃し、心通わせた友を殺した私が、許しを乞う等言語道断。恥ずべき事にございます。


 上様、奇妙様、三法師様……誠に、申し訳ございませんでした。私は、恩を仇で返してしまった不忠義者にございます。

 せめてもの償いとして、悪を絶ってから地獄へ行く所存にございます。どうか、皆様に顔を合わす事無く黄泉の国へ逃げる事を、御容赦くださいませ。


 斯様な大罪人の身で有りながら、些か不躾とは存じます。ですが、最後に皆様に御願いの儀がございます。

 どうか、天下泰平の世を御築きくださいませ。日ノ本の民が、笑顔で天寿をまっとう出来る世を。理不尽に命を脅かされる事の無い世を。戦乱と言う悲しみの連鎖を、どうか断ち切ってくださいませっ。


 それだけが、私の願いにございます。


 散りゆく運命にあった私を、上様が救ってくださった事は、忘れる事はございません。


 私は…………幸せでございました』


「…………っ!!! 」

 滴る涙が文字を滲ませる。

 光秀は、最後の時まで織田家への忠義を忘れる事は無かったっ! 文の最後に綴った一言に、どれだけの想いを込めたのだろうかっ!

 光秀が苦しんでいる事を、俺は気付いて上げる事が出来なかった。あまつさえ、逆賊として討伐してしまった。光秀は、こんなにも俺の事を想っていてくれたと言うのにっ!

「すまぬっ! じゅうべえっ!!! わたしは、わたしはっ! ぅぅ……ぅぅぅ……ぅわぁぁぁぁあああああああああっ!!! 」


 懐にある短刀を、涙ながらに握り締める。

 十兵衛から貰った……短刀を……。




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― 新着の感想 ―
[一言] こうなった以上斎藤利三・藤田伝吾を生かして(活かして)用いるべきだと思います
[一言] 遂に近衛前久から明かされる光秀の思い。そこには苦悩に葛藤しながらも織田家への忠義を示した忠臣の在り方ですか。遺言書の内容は、史実の光秀が書いてたとしても可笑しくない内容です。 後は、戦後処理…
2021/01/27 12:40 退会済み
管理
[良い点] 面白かったです。 [一言] 光秀は幕府や朝廷への対策にあたっていた人物では。内実を知っていた光秀が天皇ではなく九条達の言いなりになるのは微妙なところです。そもそも史実でも信忠まで攻めるのは…
感想一覧
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