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23話

 天正十年 六月 京 明智光秀


 十五郎に別れを告げ、坂本城を出た私達は京へと向かった。目的は、朝廷の……帝の真意を確かめる為だ。

 あの日、確かに九条様は『信長を殺すことは、朝廷の総意』だと、仰っていた。あの時は、絶望感しか感じなかったが、今になって一つの違和感を感じる。

『総意』とは、どう言った意味で使われたのか……だ。全員が満場一致で賛成したのか、又は反対派を封じ込めた故に総意なのか。

 もしも後者の場合……ソレが、この戦に終止符を打つ鍵となろう。


 目的の相手は、直ぐに見つかった。人の口には戸は立てられぬ。故に、あれ程の大物が囚われているとなれば、自ずと人は口を開くものだ。

 それを、誰が聞いているとも知れずに。


 京のとある館。数年前まで使われていたその館は、御家断絶によって廃墟と化し、今ではとある公家に管理されていた。

 その最低限の管理しかされていない古びた館に、目的の人物が隔離されていたのだ。

「……前太政大臣様…………いえ、近衛前久様。御無事で、何よりに存じます」

「十兵衛……か。そう……か……もう、手遅れだったか」

 久方振りにお会いした近衛様は、随分やつれた御様子であり、私の顔を見ると何かを悟ったように遠い目をされた。

「近衛様。本日、某が参りましたのは…………」

「朝廷の……九条の事であろう? 」

「やはり、御存知でしたか……」

「うむ。十兵衛には……全て話そう。そなたには、全てを知る権利があるからのぅ」

 私の言葉を遮るように、近衛様は話しを切り出してくださった。今回の……事の真相を。



「朝廷では、改革を良しとする親織田派と、伝統を守ろうとする反織田派に別れたのでおじゃる。その親織田派筆頭が麿であり、反織田派筆頭が……」

「九条兼孝様……と」

「………………そうでおじゃる」

「不敬ではありますが……帝は…………」

「帝は、『織田殿が、朕を蔑ろにする事は有り得ぬ』と、仰っておられた。九条兼孝と織田殿が争うのは、見たくない……と」

「では、帝は織田家を見限った訳では無いのですね? 」

「当たり前でおじゃる。此度の件、大層御嘆きであらせられた」

 力無く頷く近衛様を見て、私の腹は決まった。私が進むべき道が見えた。

「親織田派は、麿の他に息子の信基に、二条昭実。反織田派は、九条兼孝の他に、一条内基や甘露寺経元でおじゃる。他にも居るが、中立派も多くどちらに付くか決めかねている者達もおる。全体を十とするならば、親織田派が三・反織田派が五・中立が二でおじゃる」

「朝廷の半数が反織田派。されど、上様暗殺を強行出来る程の数では無い。それ故に、親織田派筆頭である近衛様を監禁したのですね? 」

「……申し訳無いっ! 麿が不甲斐ないばかりに、旧知の友を守れなんだっ! 麿は、麿は! 己が恥ずかしゅうて堪らぬっ!!! 」

 悔し涙を流す近衛様は、まるで私と鏡写しのようであった。友を憂いて嘆く姿を、私はただただ黙って見守る他無かった。


 確かに、近衛様の話しが事実ならば、朝廷の半数が敵だ。だが、朝廷の全てが敵では無かった。帝も、織田家を見限った訳では無かった! 最悪の事態では無い。

 これならば、己の覚悟次第で変えられるやも知れん。この……腐った朝廷を……。


「近衛様、ここは危険です。亀山城にて、御身を守らせていただきたく存じます」

「それは、有り難いが……良いのか? 」

 眉を下げ、申し訳無さそうにする近衛様に、笑顔で応える。危険を承知で、上様の味方を貫いた御方だ。その御恩をお返しするのは、当然の事よ。

「勿論にございます。必ずや、御身を守ってみせまする。されど、一つ頼みがございます」

「うむ。申してみよ」

「それは――――――」

 その内容は、近衛様を驚愕させるに足りるモノであったらしい。目に見えて顔面蒼白になっていき、遂には目元を伏せてしまわれた。

「何故、何故っ! 十兵衛のような善良な人間が、そのような苦難を耐えねばならんのだ! ぅぅ………ぅぅぅ……」

 畳に雫が落ちていく。別れを惜しむように、嘆くように……落ちていく。

 私は、懐から一枚の文を取り出すと、近衛様の面前に差し出した。全てを、託す為に。

「近衛様、どうか宜しく御願い致します」





 天正十年 六月 亀山城 明智光秀


 パチパチッと、木材が焼ける音と共に、意識が戻ってくる。この一ヶ月間の激動の日々を、不意に思い出してしまったようだ。

「過ぎ去りし日々を憂いて涙を流す等、私も年老いたものだな。……まだ、私は死ねぬ。そうであろう? …………九条兼孝」

「む〜むぅ〜っ!!! 」

 視線を向ければ、縄で縛られた九条兼孝の姿があった。織田軍が集まる前に、京の館に居たところを攫ってきたのだ。

「むぅーっ!!! むぅ〜っ!!! 」

「うるさい男だな……」

 不承不承ながらも、口元に固定していた縄を解くと、案の定罵詈暴言の嵐が襲いかかってきた。

「き、貴様っ!!! 麿にこのような仕打ちをして、どうなるか分かっておるのか!!? 貴様も、織田家も滅ぼしてくれるわぁっ!!! 」

「ほう……私はともかく、織田家を滅ぼす……と。どうするつもりなのだ? 」

「貴様が、織田家に敵対していなかった事は明白! 未だに蠢く悪意が、再び織田家に牙を剥くのも時間の問題でおじゃる!!! 貴様の無駄な足掻き、愉悦の極みじゃのぅ〜ほっほっほっほっほっ!!! 」

 下卑た笑い声を上げる九条兼孝に、失笑をもって返す。未だに、己自身が仕掛けた策に溺れた事に気付かぬ姿は、実に滑稽であった。


「確かに、私の心は未だ織田家にある。だが、その事を朝廷は気付けるのか? 」

「何だとっ!! 」

 怒りを露わにする九条兼孝に、一つ一つ語っていく。第三者から見た、私の行動を。

「私は、本能寺を襲撃し主君を殺め、二条城に居た同胞を殺し、安土城に居る若君に宣戦布告をした。その後、京にて公卿を攫い、老ノ坂峠で織田軍と戦った。私の行動は、正しく謀反人と見なされよう」

「なっ!? ぐぬぅぅぅ! 」

 怒りに染まるその姿を見ると、少しは鬱憤晴らしとなった。そう……私は、正しく謀反人なのだ。

 主君を殺し、同胞を殺した大罪人。今更、許されようとは思わぬ。私は……許されてはいけない。

 故に、この手で全てを終わらせよう。私の冒した不始末を、次の世代に残す訳にはいかない。

 私は、立て掛けてあった太刀に手を伸ばすと、静かに鞘から解き放った。


 抜き身の刀を片手に、ゆっくりと九条兼孝の元へ向かう。その足取りには一切の迷いは無く、断罪の刃を振るう事だけを考える。

 そんなただならぬ雰囲気を纏う姿を見て、全てを悟ったのか、九条兼孝はみっともない命乞いを始めた。

「待て! 麿を殺す気か!? やめろ! 麿を誰だと思っておる! 五摂家が一つ、九条家第十七代当主前関白九条兼孝でおじゃるぞっ!? 貴様のような下郎が、麿を害そうなど言語道断! 朝敵として、地獄の業火に焼かれる事になるぞよっ!!! 」

「……素より、極楽浄土へ行く気は無い。行けるとも思わぬ。我等が向かうは地獄道よ。己が悪行をそこで償うが良い」

 一歩、また一歩と近付く。

「い、今更信長に忠義を示すつもりか!? ば、馬鹿な男よ! もう手遅れだ! 貴様は謀反人として、永遠に名を刻まれる! 誰も許さぬ! 誰にも真実を知られずに終わる! これは、貴様の自己満足でおじゃるっ!!! 」

 九条兼孝の言葉が、刃となって胸に突き刺さる。あぁ、そうだ。私のこの想いは、ただの私怨。自己満足に過ぎない。

 ……だがっ!!! それが、貴様を見逃す理由にならないっ!!!

「……九条兼孝、貴様のような男を生かしておく訳にはいかない。貴様のような害悪は、天下泰平を妨げるモノに他ならない」

 また、一歩近付く。もう、既に九条兼孝の目の前に来ていた。そして、大きく振りかぶる。

「私怨、自己満足、大いに結構。本来であれば、上様を討った時に、貴様を殺し腹を切るべきであった! それを、醜くも生きながらえ罪を重ねた。私は、間違えたのだ! それを、正す事がせめてもの償いよぉ!!! 」

「や、やめろぉぉぉおおっ!!! 」

「忠義に生き、忠義に死ぬっ! それこそが、私が取るべき本当の選択だったぁぁぁあああああああああああっ!!! 」

「う……うわぁぁぁあああああああああっ!!! 」


 ――斬


 全ての業を断ち切る刃は、九条兼孝の首を容易に切り飛ばし、畳へと転がっていった。

 返り血を全身に浴びながら、流れるように服を開け、腹に短刀を差し込む。

「ぐぅっ! ぬぅぅぅぅぅっ!!!!! 」

 焼けるような痛みと共に、意識が遠のいていく。直に、織田兵が来るだろう。あの程度の火では、煙が上がるだけで燃え尽きる程にはならぬ。

 私の遺体だけでも回収されたのなら、みせしめとして使えよう。さすれば、織田家の威光は保たれる。


 左馬助……伝吾……内蔵助……今まで良く仕えてくれた。ありがとう。


 十五郎……玉……どうか、達者で。


 上様……奇妙様……三法師様……申し訳ございませぬ。


 煕子……私は、立派にやれただろうか……。


「金も……名誉も……いらぬ。理解されようとも……思わぬ。許しを得ようとも……思わぬ。私は……ただただ……天下泰平の世を見たかった。上様や、家臣達……愛する家族と共に……」


「どうか、誰もが微笑みを浮かべた……慈しみ溢れる……理不尽に……命が脅かされる事の無い……そんな世が来ることを…………………………」



 天正十年六月二十三日正午。

 明智光秀自害。享年六十七歳。


 ここに、一ヶ月に及んだ戦いに終止符が打たれた。













 目を覚ますと、闇のような真っ黒な空間にいた。

 何も聞こえず、何も感じない。真っ黒な闇が、何処までも果てしなく続いている。

「ここは、地獄だろうか……」

「…………貴方っ」

 不意に聞こえた懐かしき声に、私は勢い良く振り返った。そこには、最愛の妻煕子の姿があった。

 在りし日の姿のままに、闇の中に浮かび上がっていた。

「お疲れ様です。貴方」

「何故、煕子がここに……」

「待っていました。ずっと貴方を。だって、貴方と共にいると誓いましたもの」

 綺麗な微笑みを浮かべる煕子を、私は直視出来なかった。申し訳無い気持ちでいっぱいだった。

「主君を……同胞を殺したのだ。私は、極楽浄土には行けない。済まない……煕子……」

 流れる涙もそのままに、俯いてしまう。煕子は、素晴らしい女性だった。間違いなく極楽浄土へ行ける。地獄へ堕ちる私は、ここで別れなくてはならない。

 最後に、また会えて良かった。そんな事を思っていると、不意に煕子に抱き締められた。

「私も、共に地獄へ参りましょう。愛する貴方と共に……何処までも、歩んで行きましょう」

「……っ! 煕子ぉっ!!! 」

「お疲れ様でした…………十兵衛様っ」

 そう言って微笑む煕子の目元には、薄い涙が浮かんでいた。

 泣き崩れる私に、寄り添う煕子。

 そんな二人を祝すように、光が暖かく包んだ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す [一言] 害悪がいまだに朝廷こそが権力者、政治を司ると思いたいものたちですか。 細川が手紙受け取っても動かなかったのは…
[良い点] 一応光秀の名誉的にはただの裏切り者ではないという点において救いになる裏事情になるのかな。 [気になる点] この朝廷内での権力闘争、光秀だからこそ結構無理筋なように感じる。 彼自身織田家の中…
[良い点] 更新、お疲れさまです。 [一言] 良かった、近衛前久が親織田派筆頭で。帝の意思も織田家に友好的であることも確認できました。 九条卿、遂に光秀に天誅されましたか。けれど、光秀には生きてもらい…
2021/01/26 14:09 退会済み
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