第三話『陸の漂流者』
次の日の朝。
出社し資料室の扉を開けると一人の男性が立っていた。短髪で如何にもトゲトゲした雰囲気と力強く鋭い眼光、不機嫌そうに曲げられたへの字の口許をした黒目黒髪の青年。
穀潰しである俺に掛かる費用を少しでも抑えようと、節電し普段は点けていない蛍光灯に照される資料室と彼の姿は、見慣れな過ぎて俺は静かに気づかれないように扉を閉めた。
多分、部屋を間違ったのだろう。
視線をずらし、ドアのプレートを見ると何故か俺の仕事場であるはずの『資料室』と書かれている。帰りたくなってきた。
ーーガチャッ
そんな事を考えていたら、一人でに扉が開いた。
わぁ、知らなかったなぁ。資料室の扉って自動ドアだったんだ! 扉を挟んだ資料室側には今日から配属される事となった俺にとって最初の部下こと"濱谷 煌矢"さんが冷たい目で俺を見下ろしていた。
正直、怖すぎてチビりそうになった。
◇◇◇◇
「情報統制部居住区域捜査一課から、異動処分を下されました濱谷 煌矢です。短い期間になるだろうと思いますが、その間はよろしくお願い致します」
「へ、へぇー……こ、こちらこそぉ〜。
俺は、資料係長の最部です。よろしくお願いします」
濱谷さん、自分で異動処分とか言っちゃうし、全くとして不本意だと言う感情を隠してくれないなぁ…いや、俺も資料を片付けるだけの仕事とか、全くとして嫌だけれども。少しでも現場に対し配慮が欲しい。
三ヶ月耐えてる俺に、配慮が欲しい。
「では、仕事は?」
「えっと、資料が運ばれてきたら未調査領域か居住区域かに分けて、所定の棚の位置へと資料毎にファイルを並べていくのが主な仕事です」
「では、その資料は?」
「運ばれてくるまで、無いです」
「……それまでの間は、何を?」
「えーーっと、特には……」
主な業務内容を伝えると、濱谷さんは眉間へと縦の皺を作り、への字にしていた口に更に深みを増させる。
そして、それ以上は聞く事もないとでも言うように明らかに苛立った様子のまま、空いたパイプ椅子に座り腕を組んでしまった。
当然と言えば、当然と言えるだろう。
彼は俺より現状立場は下だが、今後は上となる存在だ。俺が就いている職種は命の危険もあれば、他に技術が物を言う業界でもあったりする。
良く言えば、実力主義。
悪く言えば、弱肉強食。
そして、居住区域へと配属される方々は単純な武力や知力だけでは無く。様々な技能が重視されると共に、その情報に信頼性も無ければならない。
つまり、信頼できる家柄や存在である必要があるという事で、濱谷さんは由緒正しき家の出である可能性が高いのだ。御家の事情もあれば、誇りもあるのだろう。
色々と特殊な職場である。
単純な職歴以外の立場という物が存在するのだ。そんな現代版貴族様に、一般家庭の出自で何の実力もない平民が出来る事があるとするならば、刺激せずにいる事ぐらいだろう。
チラチラと視線を濱谷さんにやってから、通常業務時と同じようにパソコンを立ち上げ、暇潰しを開始した。
「………」
「………」
俺が趣味の未調査領域内の情報を纏める為に打つキータイプ音だけが、資料室に響き続けている。
何がとは言えないが、気不味い空気が充満している気がする。全然として作業に集中できないし、胃が痛い。
俺が腹をさする一方で、濱谷さんは何かをするでもなく、ムスッとした表情のまま腕組みをし貧乏ゆすりを続け暇そうだ。そして、怖い。
「は、濱谷さ〜ん。実はですねぇ。
俺と濱谷さんって同い年なんですよ。で、この職場って未成年はダメじゃないですか。高校卒業してからって何かしてたんですか?」
「短大に入り、卒業してすぐ此処に来ました。
正直な話、このご時世では学歴よりも実力の方が重宝されるので行く意味はありませんでしたね」
「へ、へぇ……そうですかぁ」
ほぼ学歴で選ばれたような俺に、クリティカルっ!
心の絆創膏と、彼の言葉にオブラートが欲しい。
胃以外の部分に痛みを感じ、心臓の辺りへと手を当ててると。大学時代に苦手科目を克服しようとカルチャースクールに通い始め、三ヶ月した頃に入って一週間も経っていない人達に追い越されて辞める事を決めたトラウマが掘り起こされた。
実力が重宝されると言う言葉が、ジワジワと効き出してくる。共通の話題もなくなり会話も続かないし、もうぉ……やだぁ。
「未調査区域付けから、異動して居住区域へと配属された矢先でした」
少しトーンを落とした濱谷さんへと向くと目を細め、ゆっくりと瞼を閉じた。その姿は何処か後悔しているような寂しげな表情に見えた気がした。
何と言うか。
触れてはいけない様な気がして、俺はまたパソコンへと向かう。胃は痛くなくなっていたけれど、今度は濱谷さんが何故、此処に飛ばされてきたのか疑問が浮かび。
結局の所、その疑問を俺は言葉にはしなかった。
資料室へまた、キータイプの音だけが響く。