第一話『陸の孤島』
一つだけ、どうしても苦手な科目があった。
国語も算数も図工も音楽も、現代文も数学も化学も生物も美術も、体育だって他の奴らに負けない程に頑張ってコツを探して努力して生きてきた。
けれど、その科目だけはどうしても学ぼうとすればする程に、才能の壁が邪魔をする。
まるで流砂の中で穴を掘るように、何一つとして出来なかった。頑張れば頑張る程に周囲との差が心に傷を作る。
そして何より、
生まれ持った性質なのだと、努力ではどうにもならない物なのだと先生が語る事実が、覆しようのない現実を言われるのが何よりも嫌だった。
才能が無いのは、知っていた。
だからこそ、努力し学んできた。
天才と言われる者達と自分の才能を秤に掛ければ、一瞬で決着する答えである。だけれど、既に追いつかない程の先へと進む彼等を見て、心の奥底でどうしても行き場のない感情が暴れ回る。
ーー何故、どうして?
誰よりも励んできた。
誰にだって負けない程に執着した。
難なく熟す周囲を眺めながら、研鑽を忘れずに誰よりも真面目に必死に負けないように笑われないように胸を張れるように、ただ自分が誇れる自分であれる為に……やってきた。
『人ばかり見てないで、いま自分の手の中にある物を大切に。意識を向けるべき』
苦しみ踠き続ける俺へと、周囲が説いた言葉。
幸せを見つける方法。それは、諦めること。自分の中で割り切ること。
ーー俺は、そんな全てを嫌悪した。
◇◇◇◇
苛立ちにも似た感情が胸を焼く。
最近溜まり出した不満からか、周囲に隠し忘れるよう仕舞われた嫌な思い出と感情が息を吹き返すのを感じ。俺は一つ溜め息を吐き出して、コーヒーを啜った。
疲れている。
自分で自分の体調を計れば、そう評するのが妥当なのだろうと感じながら俺は空になったコーヒーカップを机へと置いた。
周囲は薄暗く、窓もなく埃っぽい。
ここは資料室。他の言い方をすれば、物置倉庫。
会社……では無いけれど、俺が所属する団体が管理する情報が纏められた資料が此処へと集められ、俺は其れを整理又は管理するのが仕事だ。一日に一回、段ボール箱に入った資料を棚へと移すだけの簡単な仕事である。
別に特筆するような特別な事もなく、その運ばれてくる段ボールさえ無かったりする日もよくある役職で。つまり、仕事が無い。する事がない窓際だ。
情報保存のやり取りが簡易なUSBやcloudの使用が増える昨今。用紙での資料は、ほぼポーズのような所も多いらしく持ってこられた資料に目を通しに来る者は、俺が入社してから3ヶ月で一人もいないのが現状である。
つまり、
俺の言う疲れとは、暇疲れであった。
やる事がない。やりがいもない。
だが取り扱ってる資料には、手軽に外へと発信すべきで無い物も含まれる為にアルバイトではいけない。という事で、不必要な人材を敢えて取り込んで此のような役職へと俺を迎え入れたのだろう。と無駄に時間がある俺は睨んでいる。
「はぁ………」
まぁ、憶測はいくらでも考えられる。
時間は無駄に多い。午前8時から午後の5時までの間、業務が遂行される実質働いている時間を換算してしまえば1時間にも満たないのだから、本来考え事も出来ない時間が7時間近くあり其処に休憩の1時間が足されるので、約8時間も俺は暇という事になる。
勤務時間と休憩時間が逆転してやがる。
これで他の真面目に働いている者と同じ金額の給与が支払われてると思うと、何だか申し訳なくなるし。事務ではなく現場へと目を向ければ、命のやり取りをしている職種である。一人安穏と部屋に篭るだけで、金を貰っていれば、嫌でも気分が滅入る。
その上、この資料管理係は俺の他に人材が居ない為に、俺が係長と言う役職へと入っている。その関連で、給与も他の新入社員より高くなっていると考えれば、胃も痛くなる話であった。
『所属団体の寄生虫』
とでも陰で囁かれていれば、少なからず此の罪悪感が拭われそうな物だけれど、係も新規発足した割に影が薄い事もあり……俺は、完全に居ない人状態なのが現状だったりする。
下手をすれば、他の事務職員には何処か外部から来ている業者の人とでも思われている可能性だってある程だ。
家に帰ってても、バレないんじゃ……
何だか此処に存在する意義すら薄れそうになったので、その疑念を頭の奥へと押し込んで、開いたままのキーパッドへと意識を戻した。
持ち込まれる資料の中には、未調査区域の情報を含んだ物から、街の住民達の個人情報まで様々だ。
"未調査区域"
それは、神秘開示後の起こったテロ行為の爪痕であり、大切な資源でもある。一攫千金の宝の山とも呼ばれる其の領域には様々な未知の素材や鉱石、又は物品が眠ると同時に守護者とさえ思える先住民達が住む。
素材や物品の性能は、領域の魔力に由来する。
その領域が危険であればある程に、其処に眠る物達の力は、より強大により高性能になるのが常であり、中には特殊な効果を持った遺産もあり、それは急速発展した都市でも再現不可能品であったりする。
未知とは、不思議とは。
たった、それだけで人を魅了する。
それは、力も無ければ実力もない俺にとっても同じ……いや、力がないからこそ人智を越えた力に魅入られる物なのかも知れない。
未調査区域で見つかった植物の、昆虫の、妖獣の情報を纏めるのは正直楽しい。それぞれが独立した生態系を有している事も面白い。
けれどーー所詮は趣味。
認められる事もなければ、褒められる事もない。
見易く纏めて図鑑を作ってみても、自己満足でしかない。
何度目とない溜め息を吐き出して、時計を見てみれば既に午後4時半を回っていた。特に働かないくせに金だけ多く貰う訳にもいかないので、さっさと帰る準備を進めて行く。
ーーTurrrrrrrr
自前のリュクを背負った時、
節電に心がけて薄暗いままの室内へと、内線電話の音が響いた。唯一の灯りであるスタンドに照らされる古ぼけた受話器は、未だに鳴り続ける。
俺は静かに電話を取った。
「もしもし?」