第十五話『暗闘②』
『四鬼三魔』
四つの気の在り方と、三つの性質を基とする思想。気や魔術と言った神秘を構成する物を武技へと昇華する際に退魔師達によって見出された一端だ。
退魔師達の中で『気』の扱い方は、それぞれの流派によって大きな差異を持っていたりする。中でも此の思想は、冒涜的だが単純で理論的な説明が付随する稀有な体系の一つだ。
『流』ーー気を体内で循環させる技術。
『幽』ーー気を体外で循環させる技術。
『妖』ーー気を他の物へと変換する技術。
『澱』ーー気を他物質へと循環させる技術。
計四つの技術を基盤にした考えは、様々な流派や魔法、異能と呼ばれる技術に対して論理だった解釈を当て嵌める事ができる。
大まかな例を挙げるなら、
気・魔力を体内に効率よく循環させ、身体能力を向上させる躁気術や魔力強化と呼ばれる単純な魔力による身体強化技術が『流』であり。精霊や神霊、呪いの類のように実体はなく物質がないにも関わらず、性質を持った気や魔力の総称が『幽』と呼べるだろう。
そして、時として。
気や魔力と呼ばれる幻は、現実と化す。
それは魔術とも呼ばれるし、時に【怪異】や【妖魔】と呼ばれる存在として質量を持つ事になる。存在しえない存在する存在。それは存在するかも『妖』しいが確実に存在する。
儚く、朧げでーー余りに悍ましい。何者か。
言い方を変えれば、本来は実態も性質さえ持たない筈の気・魔力の塊は、色濃くなり過ぎれば世界から存在すると誤認され、物質や性質が与えられる事になるという事だ。
その現象が『妖』であり『魔』と呼ばれる。
だからこそ、存在が薄まれば消える。
濱谷の破魔矢は、自分の魔力を他者へと流し込む。
ただ、それだけの技でしか無い。
魔力や気には色があり、そこへと他の色を混ぜれば、元あった色から遠ざかり変色するのは当然だ。だが、気・魔力を根本に存在する妖魔からすれば、色を足されれば存在自体がブレる訳であり、総量が低ければ最悪は存在そのものが消滅する事になる。
つまり破魔矢は、妖魔にとっての猛毒なのである。
一方、人や動物に対するとそれ程の威力は出ない。
気や魔力が減ろうが一時的に変色しようが、肉体がなくなる訳ではないので死にはしない。調子が悪くなったり、身体を動かすのに違和感を覚える程度で最悪でも魔力欠乏状態で、一時的に意識を失う程度でしかない。
つまりは、
破魔矢は、妖魔にしか真価を発揮しない。
破魔矢とは矢の形をした魔力の塊を撃ち出すだけなので、撃つ毎に魔力がガンガン削られる。同時に身体強化をするにも魔力消費をする訳で、余りにも長く逃げ回り続ければ術は使えなくなる。
破魔矢に限らず、魔力総量と燃費の問題は、魔術や操気術などと言った系統の退魔師達にとってもネックであり、未だに浸透し切らずに、一定火力を弾薬の数で管理しやすい銃火器類が今なお使われている理由がそこにある。
大雑把に分けると退魔師達は二種類しかいないという事になる。瞬間火力でゴリ押すか。一発逆転を狙うかのどっちかだ。
そして、
濱谷が選べるのは、後者でしかない。
◇◇◇◇
蓄えた破魔矢が暗闇に灯る。破邪の力。妖魔殺しに特化した破魔の術が、元来は可視不可である筈の魔力に色を光を落として、鋭さを増す。人には牙を抜かれる矢の光はそれでも煌々と闇を裂く。
連合の退魔師達にはそれぞれが信じた道がある。武術、技術、魔術は全ての集大成であり、その道を外れる事はできやしない。一度信じたら突き進むしかない。己が築き、踏み習い、道となり道を成す。
人はそれを、武道と呼んだ。
人はそれを、信念と呼んだ。
曲がらない。曲げられない信念の武がそこにある。
濱谷は方向転換し直進するように、駆け出した。
「『惑うな。貫け、我は破邪の弓』」
「真正面からかよっ、最高だなぁっ!」
地につけられガトリングの砲口が唸り、弾幕を張りながら上へと向かう。路面は砕け、石片が新たなる暴威となって暗がりの街並みで嵐を生む。
追い立てられるように濱谷は地を蹴り、石塀を踏み台にし、電柱を足場に暗天へと駆け上がる。それでも照準が的確に濱谷の残像を喰い潰す。銃撃が速すぎる。
空中に逃げ出した。濱谷に逃げ場は既にない。
ここからの方向転換は不可能だ。
「ぐぅっ!」
ーーだが、それは
「てめぇも同じだろ。ガトリング野郎っ!
馬鹿デケェのを速攻で上に向けりゃあ、体勢が整わねぇのは自明だろ!」
悲鳴を上げたのは、男の方だった。
何のことはない。黒いフードを被り重厚なガトリングを両手へと装備した男の頭上を濱谷はゆうゆうと飛び越えただけである。
だが、砲口を上へと向けるには重心を安定させるには重心を後ろにする必要があった。後方へと下がった身体の重心を反転させるには、男には不可能な位置にある。だから、男は明確な隙を晒した。
撃たれる。
男の脳裏へと、その言葉が過った瞬間に男は右腕に備えたガトリングを撃ち放ちながら、上半身を捻らせて後方へと叩きつけた。若干、軌道が逸れた弾丸は濱谷のいる場所など掠めない。
だが敢えて体勢を崩した事により、天へと突き上げた左の銃口は男の意思の通りに軌道を刻むだろう。半ば力業での方向転換に。濱谷は面食らった。
破魔矢とは、人からすれば無力な物である。
それはヒトガタと呼ばれ、肉体的縛りが強い妖魔であっても似たように威力は上がらない。故に、一撃程度受けようと何らさしたる問題もない技である。
だから、
並大抵の人間は油断する。
退魔師であれば情報を持った者である程に、一撃程度などと思って、甘んじて受け入れる。
だのに、
「うおぉぉおおっ‼︎⁉︎」
男は揺るがない。油断しない。
左腕のガトリングが確殺の軌道へ着く。
振り下ろされる前、濱谷の破魔矢が輝いた。
「『蓄えたるは、裁きの矢』」
濱谷の腕から、紫電を纏う光の矢が放たれる。
闇を切り裂き、一条の光矢は今や天高く掲げられたガトリングを振り下ろさんとする男の下へと加速し、貫いた。呆気なく。何の情緒もなく貫いた。それで終わり。
刹那の攻防さえなければ、
瞬き程度の明滅だっただろう。
破魔矢は、威力が低い。
矢を放った濱谷は重力に捕まり、そのまま地面へと落ちてゆく。魔力を多分に消費した一撃は濱谷にとって全身全霊と言って過言ではない全力だ。
「ああ、やり切った。
これで無理なら、諦めもつく」
ゆっくりと自由落下によって加速する。
そして、
「だが、勝ったのは俺だ『雷矢』」
濱谷は、そのまま着地した。
その視線の先には左腕を振り上げたまま、撃ち放つ事もなく天高く向けられたままのガトリングを片手に、焼け焦げた胸部から煙りを上げる男の姿があった。その口内から黒煙が吐き出され、痙攣とともにパチパチと紫電が舞う。
つまりは、
濱谷が放ったのは『破魔矢』ではない。
破魔矢を構成する量を内包した紫電の矢『雷矢』と言う名の魔術の技である。流石に命を賭けてまで威力の低い『破魔矢』を撃つ選択は濱谷になかった。道とは多岐に渡る物である。一つが正道とは語れない。
男はまだ崩れずに爛々と研がれた刃物のような鋭さを持った眼光をフードの奥で輝かせている。死んではいないが並みの退魔師でも多量魔力を内包した魔術の矢を受けて立っている者は数少ない。
紛れもなく此の男は、強者である所作であり。
そして、それ以上に強硬な意思がある所作だった。
「読み、負けた……か。ハハッ、クソだな。
俺は……同盟所属…千万斬が一人、島谷。島谷 鶏雄だ」
「……連合の濱谷 煌矢」
聞き終わると同時に島谷は銃を捨て、拳を握る。
応えるように魔力を多分に消耗した濱谷もまた、拳を構えて相対する。満身創痍。結果は目に見えていようとも、踏みしめた道を止まる事は許さない。
衝突とともに蟲達が、大きく騒めいた。