第九話『誰そ彼』
路地で、月弦さんにやられた後。
どうやら、月弦さんは俺を自宅まで運んでくれたらしく漸く俺の長い一日は幕を閉じた。最後に人生に幕を閉じなかったのは、月弦さんとのギリギリ残った信頼による物だと言えるだろう。
俺を運んだ後に。
大事を取って、俺の代わりに翌日は休むと連絡を取ってくれた月弦さんの手厚さに頭が上がらない。彼女は慈悲深き人だ。早とちりとは言え、ネコミミ少女を守る為に同僚へと天誅を下せる正義感のある人だ。
だが、だからと言って。
「あの此処までして頂かなくても……」
「………」
大事があってはいけないと、月弦さんが俺を一日看ておくと言う話になったらしい。弟よ、もう少し粘ってくれても良かったんだぞ。
故に、俺は今。
昨日気絶した以外は、いつも通り健常でピンピンしているような体調にも関わらずベッドの上に寝転がっていたりする。少し家の中を動けば、後ろから月弦さんが付いてくるような状態で非常に居心地の悪い環境だ。
黙ったままの月弦さんを見る。
いつも通り凛とした雰囲気で、いつもの制服とは違ったラフな服装から月弦さんも休みだという事が伺えた。もし、態々休みをとってくれたと言うのなら申し訳なさすぎる。
昨日のネコミミとの騒動も。
元を辿れば、俺の弱さに起因する。
もしあの場でネコミミに一撃入れて、向こうがブチ切れでもいたりしていたら俺は八つ裂きにされていただろう。ある意味で、昨日の最後は助けて貰ったと言えるのかも知れないな。だから、気にしないで帰って貰っていいんですよ。胃が痛い。
結局の所。
何処かピリピリとした空気を纏う月弦さんは、俺の言葉に答える事はなく。無言の圧力によって俺の言葉は無かった事になったようである。月弦さん視線の下で、全然リラックスなど出来ない時間が過ぎてゆく。
何故ーー月弦さんは、俺を看ておくと言ったのか?
一般人へと攻撃をした良心の呵責か?
それとも、別の理由があったりするのだろうか。
此方に視線を下ろし、何の感情を抱いているのかわからない月弦さんの黒い瞳を見返しながら考える。目と目が合っているにも関わらず、何のアクションもしやしない。
「………」
「………」
部屋の中の音が、やけに大きく聞こえる。
嫌いな相手に此処まで気を使うとは思えないが、だからと言って、それが好意を抱いている所作だとは限らない。月弦さんは……
「月弦さんは、俺の事をどう」
ーーピンポーン
質問をしようとした所で、チャイムが鳴った。
少し間を空けてから、月弦さんは立ち上がり玄関の方へと歩きだす。俺も口の中に出し切れなかった疑問を吞み下して、月弦さんの背を追うように玄関へと向かう事にした。
逃げるように。
足早に出て行った月弦さんを追った先。
玄関の先には何故か昨日のネコミミと、どこか空気が柔らかくなった月弦さんが玄関先に立っていた『ネコミミ。何で、てめぇがウチを知ってんだよ』と思うと同時に、一つの疑問が氷解した。
なるほど。
月弦さんは、別に俺になど興味なく。
ネコミミを狙う為の良いカモとして使いたかったようである『俺の事が好きなんじゃ』何て淡い予想は塵と化して、俺は朗らかな笑みで二人をみる事にした。月弦さんは、次にネコミミを狙っているらしい。
「あっ、ドマゾ。金を寄越せっ!」
君は、ヤから始まる自営業の方なのかな?
◇◇◇◇
「………くそっ、身体が鈍ってるな」
夕暮れ時を思わせる、濃い茜色の空の下。
濱谷 煌矢は荒廃した大地の上に、疲労が溜まり始めた身体を休めるために腰を下ろした。
此処は、未調査区域・"黄昏の灼原"
荒廃しヒビ割れた大地が広がり、黄昏時を思わせる空を灼くような朱い空が特徴的な異邦の生きる土地。空には、点々と濃淡が強い紫の雲が浮いている。
人里から離れた立地。時間感覚を狂わせる空模様。現れる厄介な性質を持った妖獣達。遺産の発見率が低い場所である事から、一般的な冒険者からは敬遠されている場所である。
「ふふっ……まぁ、居住区域での戦闘なんて滅多にないし、濱谷君が異動して三ヶ月内でやった事なんて巡回と射殺事件だけだもんね」
胡座をかく濱谷の頭上へと、影が下りる。
影を元へと視線を向ければ、黒目黒髪の目許がくっきりとしたスーツ姿の麗人が立っていた。和やかな雰囲気をしているが、裏腹にその目の奥底には底冷えするような退魔師特有の苛烈さを孕んでる。
"小海 紀依"
濱谷が居住区域付の時の相方であった。
濱谷が抜けた穴が埋まるまで、今現在は一人で活動する訳にもいかず、暇を持て余していると言っても過言ではない人である。今日も偶々フロントで見かけた元相方に引っ付いてきただけの暇人だ。
だが、特別に働く訳でもなく妖獣数匹を仕留めてからは特になにかする様子がない。本当に付いて来ただけのようである。
そして………射殺事件とは。
濱谷が異動した経緯についての揶揄だろう。
「事件ではなく。事故ですよ」
「………」
人間宣言を行っていない妖魔は、物や動物と変わらない扱いとなっている。中には獣のような知性しか持たない者もおり"妖獣"と呼ばれて区別されている。
だが、濱谷が殺したのは人間だ。
神秘開示後の世界では多くの事件が発生し、裁判所などはパンクしている状態で、殺人の現行犯は捕縛される事もなく私刑によって殺される事も少なくない。
特に連合との競合相手である同盟は、血の気が多く殺人は絶対に許さない過激的な側面を持っている。
だが、生殺与奪が明白な分。
ある意味で、線引きが出来ている。
妖魔と人間。八百万や百鬼。人間から妖怪へと堕ちた者。此の世は余りにも、複雑で多種多様になり過ぎている。殺したか殺していないか。人か人では無いか『破魔矢を撃ち、妖魔を討つ』
もう既に、そんな単純な世情ではなくなっているのだ。
居住区域で、撃ち殺した。
人間宣言をしていた妖魔の顔を脳裏に浮かぶ。
構成する魔力に異常を来し、身体を崩壊させながら死んでいったの男の苦悶の表情が離れない。今でもあの判断は間違いではなかったと思っている。だけれど、時折に他の方法があったのではと思うのだ。
だから、アレはやはり事故だと言えるだろう。
妖魔と人間の距離が、曖昧になってきている。
それは、良い事なのか。悪い事なのか。
ーー濱谷 煌矢には、分からない。
ただ、その隣では。
小海が微笑みを浮かべ、悩む濱谷を観察していた。