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公式企画

マッチに火が灯るまで

作者: 森乃白雪


 寒空の下、かごいっぱいに入ったマッチを見て1人の少女がため息をつきました。

 これをすべて売らなければ、家にいる父親に叱られてしまいます。


 けれど少女はそんなことを嘆いてため息をついているのではありません。

 父親に叱られるよりももっとひどいことが今日、自分の身に降りかかることを嘆いているのです。



「寒さに我慢ができなくなって、このマッチを使ったときがわたしの最期だわ……」


 何度となく寒い夜を支えてくれたマッチは今や少女の敵でした。


 今よりもずっと昔、少女が生まれる前にまた別の誰かだったころ。

 マッチを売る少女の物語がありました。

 父親に家から追い出された少女は、マッチをすべて売らなければ家に帰れません。しかし、マッチは一つも売れず。寒さに耐えきれなくなった少女がマッチに火を灯すと、暖かそうなストーブやクリスマスの七面鳥が目の前に現れるのです。少女が光のなかで最後に見たのは、死に別れた祖母の姿。祖母に連れられて天に昇った少女は、翌朝の街角で冷たくなって発見されてしまうのでした。


 なんて可哀想な物語だろうとそれを読んだ誰かは思っていましたが、もうそんな悠長なことは言ってられません。

 なにしろ、そのマッチ売りの少女とは今や自分のことなのですから。

 父親に家を追い出されたのがちょうど今朝。昼を過ぎてやっと、少女はそのことを思い出したのでした。



「一体どうすればいいっていうの?マッチなんて売れるわけないじゃない」


 少女はさっきからブツブツひとりごとを言っていますが、それも仕方がないことです。


 マッチはまったく売れませんでした。


 年の瀬もいよいよ迫る、この季節。

 人々は慌ただしげに通りを歩いており、見すぼらしい物売りに目を向ける余裕はなさそうです。


 それでも少女がにっこり微笑みかけると、足を止めてくれる人もいました。その人は身なりのよい紳士でしたが、かごの中のマッチを一目見ると、どうしたことかさっと目を逸らし足早に去って行ってしまいました。


 通りすがりのきれいなお姉さんも少女のことをじっと見ていましたが、少女と目が合うと困ったように微笑んでそのまま通り過ぎていきました。


 かごの中身を手放したいあまり、タダ同然の値段でマッチを押し付けようとした少年には、家にたくさんあるからいらないときっぱり断られてしまいました。


 最後の最後、このマッチを擦るといい夢が見られる……という謳い文句でマッチを売ろうとしましたが、巡回の警吏が近づいてくるのを見て少女は口を閉じました。

 怪しげなものを売っていると捕らえられたくはありません。


 いくら声をかけてもマッチを買ってくれる人はおらず、少女は途方にくれました。


 そして少女にとっては不幸なことに、芯から凍えるほどに外はとてもとても寒いのでした。



「寒い、寒すぎるわ。一本ぐらい……、いや油断が危険の元よ」


 少女がいる向かいのお店のドアから、一組の親子がちょうど出てきました。彼らはみんなしっかりとコートを着込んでおり、おそろいの手袋とマフラーが暖かそうです。買ってもらったばかりのおもちゃを抱えた子どもは嬉しそうに頬を染め、両親はそんな彼の様子を優しく見守っていました。


 少女はうつむきました。

 目に入るのは、少女には大きすぎる靴。

 数ヶ月前に亡くなった母親のものでした。


 ふらふら遊んでばかりいる父親のためにずっと働いていた少女の母親は、疲れがたたって病気になりそのまま死んでしまったのです。


 しかし、少女はそれをあまり悲しいとは思っていませんでした。というのも、少女の母親は娘にあまり興味がなく、彼女を実際に育ててくれたのは母親の母親、つまり少女の祖母だったからです。母親も食事や服を買い与えるという点では父親よりいくらかマシでしたが、ただそれだけのことでした。



 親子が少女の前を通ったとき、マッチ箱が子どもの父親のポケットからポロリと落ちました。


 晴れた空のように明るい青色の箱に、ひとひらの白い羽が描かれたものでした。


 少女は男を呼び止め──

 るようなことはせず、身をかがめてマッチ箱を拾うと、そっとスカートのポケットにしまいました。






 その後もマッチは一つも売れず、午後の光はだんだんと薄れていきます。


 冬の夕暮れが近づいてきました。

 通りを歩く人々にも疲れた様子が見え始めます。


 カタカタと唇を震わせながら、少女の目も虚ろになっていきました。


「マッチを燃やすと、近くの家の壁が透けて見えるんだったかしら?いっそのこと、そのまま押し入ってしまえば……」


 それでは不法侵入です。

 しかしそんなことが頭をよぎるほど、少女は追い詰められていました。


「……ああもうっ、どうすればいいの!」


 理不尽な状況に対する怒りは父親に向かいます。


「だいたい、この季節はどこの家にもあるマッチをどうして売り物として渡すのよ!何かもっと他にあるでしょ!?」


 恨みがましい目で少女はかごの中の商品を見ました。


 深みのある赤地に金色の花で飾られた文字が入ったマッチ箱はなかなかに洒落ています。といっても、中身はただのマッチにすぎないのですが。


 少女はむしゃくしゃして、かごから取り上げたマッチ箱をかじかんだ手で地面に叩きつけました。軽いマッチ箱は投げ応えがなかったので、少女のむしゃくしゃはあまり収まりませんでした。


 しかし、箱はちゃんと拾います。

 万が一火事にでもなったら大変ですからね。


「あら?裏にも文字があるわ」


 ちょっと歪んだ箱の裏に書かれているのは、どうやら住所のようです。

 マッチの製造元でしょうか。


 いくら売り物といえど、マッチ。

 さほど関心もなかったので、少女は箱の細部まではあまり見ていなかったのです。マッチを燃やそうと魔が差しても困りますしね。


 何はともあれ、万策つきた少女はその場所に押しかけることにしました。もしかしたら、マッチを売る効果的な方法を見つけられるかもしれません。


 そして、なによりも少女の心を占めていたのはどこでもいいから屋内に入りたいという切実な欲求でした。


 そろそろ、寒さのあまり口も回らなくなってきたところだったのです。






 そうして少女が辿り着いたのは、なにやらしっとりとした大人の雰囲気が漂うお店でした。女性の香水でしょうか、ふんわりと花の香りもします。


 本当にここであってるのかしら……?


 入り口のドアを開けた少女は首を傾げましたが、そのまま受付に向かいました。


 店の奥には、通りですれ違ったきれいなお姉さんがいるのがちらりと見えました。


 つやつやとした革張りのソファに通された少女は、黒い紳士服をピシリと着こなした男と向かい合いました。

 客に対応しているのはこの男のようです。


「お嬢さん、ここはあなたのような方が来るところではありませんよ」


 受付の男は丁寧に、けれどしっかりと少女に言い渡しました。


 少女は少し血色の戻った顔で頷きました。


「ええ、きっとそうでしょうね。でも、わたしは父にこのマッチを売ってくるように言われていて……」


 そう言ってマッチを見せると、男は怪訝な顔をしました。かけていた銀縁の眼鏡をくいっと持ち上げます。


「……このマッチを?あなたの父親が?」


 男は厳しい顔になりました。


「このマッチはうちのお客様に配られるものです。売るようなものではありません」



「じゃあ父はこのお店のお客様なのかしら?でも、父にお代を払うような余裕があるとは思えないわ」


 擦り切れ色褪せてボロボロになった少女の服を見れば、その事実は明白です。しばし2人は考え込みました。


 少女は男に聞かれるままに、父親の特徴を答えていきます。ついでに家の財政状況も。


 家には食べものもなにもなくて、あるのは父親が呑むお酒ぐらい。クローゼットをひっくり返しても、ベッドの下を探しても……


「そういえば、服があったはずね」


 父親のベッドの下の床板を剥がしたところに、

 こっそり隠されるようにして紳士服が一式仕舞われていました。


 少女が普段着ている服よりもほんの少しばかり上等なものだったので売ってしまおうかとも思ったのですが、服を見つけられたのを知ると父親は烈火のように怒り、少女をぶったのでやめたのです。


 父親がその服を着てときおり何処かにでかけていくのを少女は知っていました。



 父親が隠していたなかでも印象に残っていたのは、

 夜闇に紛れる森のような深緑色のフロックコート。

 ややくたびれてはいましたが、汚れたところもほつれたところもなくまだ綺麗なものでした。



 しかし、その情報が出たとたん男の顔色が変わりました。


 男が近くの人に声をかけると、奥からなんだか怖そうないかついお兄さんたちが出てきました。


 彼らに差し出したメモに書かれているのは、先ほど少女から聞き出していた家の住所。


 受付の男に出してもらったココアを飲みながら、少女はため息をつきました。


 どうやら、父親は今からあの怖いお兄さんたちと会うことになりそうです。それについては自業自得だと思いますが、少女の生活がどうにもならないことに変わりはありません。



「これからどうしよう……」


 ポツリと呟くとそれに答える声がありました。


「うちにくるかい?」


 若い男がいつのまにかうしろに立っています。

 さっき見た怖いお兄さんとは違って優しげな顔立ちで、少女を見つめる瞳には愉快そうな色がうかがえました。


 きっとこのお店の客なのでしょう。

 少女の目にも分かるようなとても上等な服を着ていました。



「知らない人にはついていかないわ」


 タダより高いものはありません。

 少女がそう言うと、男はたしかにそうだと笑いました。


「でも、今日ぐらいはきみもストーブの火にあたって七面鳥を食べたいだろう?」


 おいしいごはんと暖かい場所。

 そんなものに最後に触れたのはいつのことだったでしょう。少女の優しい祖母がまだ生きていたころかもしれません。

 少女が黙っていると男は続けました。


「じゃあ君のマッチと交換でどうだい?」


 売り物だったマッチは受付の男にすべて渡してしまったはずです。

 不思議に思いながらも男の視線を辿ると、少女のポケットからはマッチ箱が一つ覗いていました。


 それは、白い羽が描かれた青い箱。




 少女は男に着いて行くことに決めました。






 少女はその夜、こんがり焼けた七面鳥も甘いクリームがかかったケーキもお腹いっぱい食べ、赤々と燃えるストーブの火にあたって、柔らかいベッドでぐっすりと眠りました。


 夢に見たのは、男の屋敷の玄関にあった大きなクリスマスツリー。

 天井に届きそうなほど高いツリーには、数えきれないほどたくさんのオーナメントが飾られていて、夜空の星のようにいつまでもきらきらと輝いていました。






 少女が安心してマッチに火を灯せるようになったのは、新しい年を迎えてクリスマスの飾りもすっかり片付けられてからのことです。




 さて、マッチを売っていた少女のお話はここまで。


 その後の少女と男がどうなったのかは、また別のお話で語るとしましょう。


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