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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
ふたりの「いつき」
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 あたしは、ほんとは「みつき」という名前になるはずだった、らしい。

 小学生のとき、「うちのひとに自分の名前の由来をきく」という宿題が出たことがあった。

「パパとママはね、おなかの中にいるあんたが女の子ってわかったとき、ひらがなの、やわらかい感じの名前がいいね、って話してたの」

 ママは言った。

「その日は月のきれいな夜で、ふたりでベランダで空を見ながら、そうだ、『みつき』ってどうだろう。美しい月で『みつき』って」

「それで、どうして『みつき』が『いつき』になったんですか?」

 あたしは聞いた。インタビュアー気取りで、学習帳にメモをとりながら。

「ある日、パパが、会社の飲み会の帰りにね、酔ったいきおいで占い師さんにみてもらったんだって。ほら、よくいるでしょ。夜の街角で、ひっそりとお客を待っているような占い師」

 よくわからなかったけど、あたしはがんばって想像したんだ。むらさき色のうすいヴェールをまとった、つめの長い、きれいな女の占い師。スーツ姿のパパの顔は、うまく思いえがけない。棚に飾ってある写真や、白黒の遺影を思い出してみるけど、うまくいかない。

「そのひとに言われたんだって。『みつき』より『いつき』のほうが運勢がいいって。たんなる占いだし、なんの根拠もないことはわかってるんだけどね。何かあったときに名前のせいにするのはいやじゃない。それに、ほら、この名前は運がいいって思ってたら、ほんとにものごとがうまくいきそうな気がしない? 人間の思い込みのちからは、あなどれないから」

 それであたしは、いつきになった。坂本いつき。坂本は、お父さんのほうの苗字。お父さんが亡くなったあとも、あたしとママは「坂本」のままで生きてきた。

 コーヒーを飲みながら、そんな話をした。パパが亡くなったとか、そのうち苗字が変わるかも、なんてことまでは言ってないけど。「いつき」なんてそんなにありふれた名前じゃないのに、ここにふたりもいるのだ。自然と名前の由来の話になった。

「俺は、逆。漢字一文字の名前にしたかったんだって。あー、でも、どうせ漢字一文字だったら、『昴』がよかったなあ。秋の夜空でかがやく、すばる」

 もうひとりのいつき、水島樹が言った。どこか遠いところにある、見えないものをさがしているような目。高校生でいくらか年上だからか、その表情はクラスの男子よりずっと大人びてみえた。……と、思ったのもつかの間、きゅうに目をかがやかせて

「そうだ。この猫、『スバル』って名前にしよう」

なんて、はしゃいだ声をあげる。

「あのねえ。名前もなにも、どこで飼う気よ。どうせ、あんたの家は無理だからここに連れてきたんでしょ?」

 春奈さんはあきれた様子だ。水島樹はしかられた犬みたいにしゅんと肩を落とした。一転して小学生くらいに逆戻りしたみたい。

 子猫は、入り口のところでミルクのはいった皿に顔を突っ込んでぴちゃぴちゃ舌を動かしている。この子、どこかで会ったような気がする。

「わあああ。猫だ! かわいい!」

 いきなり黄色い声がして、奥の引き戸があき、そこからおかっぱ頭のおじさんがあらわれた。マスターだ。きょうはグリーン系のタータン・チェックのネルシャツを着ている。

「おかえりなさい。ずいぶん長い買い出しでしたね」

 春奈さんがいやみっぽく言う。不思議そうに目をぱちくりするあたしに、春奈さんは

「あの引き戸のむこう側が、マスターの休憩スペースなの。裏口からはいってきたのね」

 と教えてくれた。なるほど。

「かわいいねえ。僕、動物はみんな好きだけど、猫は特別大好きなんだ」

 そう言うと、マスターはつぎにあたしのほうを見た。

「それで、こちらのお嬢さんは二回目の来店ですね」

「坂本いつきといいます。忘れものを預かっていただいて、ありがとうございました」

 ぺこっと頭をさげた。

「律儀なお嬢さんだねえ。僕にお礼なんて、いいんだよ。ほんとに何もしてないし」

「そうよ。このおじさんに気を使う必要なんてないよ。たんなる不良中年なんだから」

 と、春奈さん。

「ひどいなあ、不良だなんて。僕はスナフキンのように何にも縛られずに生きていきたいだけなのに」

「いいトシして何言ってんだか。なにがスナフキンよ。そのおなか、まるでムーミンじゃない」

「そうかなあ。やっぱ、ダイエットしたほうがいいのかなあ」

 下っ腹をつまんでしゅんとするマスター。

 ふたりのやりとりがおかしくて、あたしはくすくすわらった。

「息、ぴったりですね。漫才みたい」

「マスターは春奈さんの叔父さんなんだよ」

 と、水島樹。

「で、俺の父親とマスターが古い友人なんだ」

 ついでみたいにに自分のこともつけたした。ふうん。だから、このひとたちはこの場所によくなじんで、ひとつの共同体みたいな雰囲気をかもし出しているんだ。家族みたいな、友達みたいな、でもそのどちらにもあてはまらない。しかも、新参者のあたしにもオープンだ。こういうのって、新鮮。悪くない。


 キンモクセイでの時間はあっという間にすぎた。

 店をでるとき、春奈さんに「機会があったらオーボエの演奏を聞かせてください」とたのんでみた。春奈さんは「もちろん」と言ってわらった。「また、ここでコンサートをするから、今度はぜひ来てね」って。ちなみにスバルはしばらくお店で預かることになった。マスターがめろめろなんだ。食べ物も出すお店なのに、いいのかなあ?

「おうい。待って。送るよ」

 神社の前あたりを歩いていたあたしを、水島樹が走って追いかけてきた。

「いいです。うち、結構遠いんで」

「いや、万が一きみに何かあったら俺の責任になっちゃうから」

 はあはあと、肩で息をしている。

「最近、物騒な事件が多いでしょ?」

「……春奈さんたちに送っていくように言われたんですね?」

「なんでわかったの」

 そう言ってきょとんとする。わかりました、と言ってあたしは肩をすくめてみせた。

 夕陽が、うろこ雲を、まばらに行きかうひとの姿を、神社の奥のこんもりした木々をあかね色に染めていた。あたしのとなりを歩く水島樹は、学生服のポケットに手をつっこんで、ひょろりとしたからだを丸めて小刻みにふるえている。

「さむいね」

「そうですね」

 それきり会話がつづかない。水島樹の横顔をちらちら盗み見ながら考える。何だろう。なにかが、まだ、ひっかかってるような。

「あのさあ」

「何ですか」

「敬語つかわなくていいよ」

「あ、はい。……えっと。水島さん」

「なに? あ、水島さんって呼び方もちょっと……」

「じゃあ何て呼べば?」

「樹でいいよ。同じ名前だからへんな感じだけど」

 たしかにへんな感じだけど、「水島さん」よりも「樹」と呼ぶほうがこのひとにはしっくりくるとあたしも思った。いつき、って名前が似合ってる。ほんとに、まだわかい、ほっそりした木みたいだし。

 だけどやっぱり四つも年上のひとを呼び捨ては、ちょっと抵抗がある。樹せんぱい、っていうのもへんだし。樹さん? も、妙だな。

「じゃあ、樹くん、で」

 妥協案です。樹くん、は、にっこりとうなずいた。

「樹くん。えっと、あの。あたし、何か忘れてるような、気が、するん、だ、けど……」

 自分でも何を伝えたいのかわからなくて、つっかえながら聞いた。

「あ」樹くんは何かを思い出したようにリュックのポケットを探った。

「ごめん。おつりを渡してなかった。文化祭のとき。きみ、あっという間にどこかへ行っちゃったから」

 財布から百円玉を四枚、数えながらとりだしてあたしに渡す。乾いたつめたい指先と、四枚の硬貨の重み。

「今日は部活は休みだった……の?」

 まだ敬語のくせがぬけないあたしはぎこちなく聞いた。

「休みにした。部員、どうせ俺ひとりだし。顧問とふたりでやってる部なんだ。部って言うか正確には同好会なんだけど」

「ふうん。友達いないんだ」

 冗談めかして言うと、樹くんはしばらく考え込んだのち、

「……いないことも、ない、と俺は思ってるけど……?」

 なんて、つぶやいた。いないんだな。なんとなくわかってしまう。

 アパートが見えてきた。駐車場のとこで、あたしは樹くんにお礼を言って手をふった。

 手のひらに握りしめた四百円。ほんとにこれだけだったのかな、ひっかかってることって。小さくなっていく樹くんのうしろすがたを見送りながら、ぼんやりと考える。たそがれの空に、信号の青いひかりが口の中で溶けたドロップみたいににじんで見えた。

 


猫の名前が(自分の)他作品とかぶってます。両方読まれて、「あれ?」と思われた方がいらっしゃいましたら、すいません(^_^;)。別猫です。


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