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「お水のおかわりはよろしかったですかぁ」
金髪たてロールの、ピンクのメイド服を着た、肩のがっちりしたひとがあたしたちにウインクした。美里は笑いをこらえながら、おねがいします、と言った。
「かしこまりましたぁ」
たてロールのメイドさんは大昔のアイドルみたいな声を(低すぎるけど)出して、がに股で教室の奥へ歩いていった。がまんできず、美里は吹き出す。
「やだあ。女装するなら、すね毛くらい剃ればいいのに!」
あたしもつられてわらった。ふたつ向かい合わせにくっつけた机に、白いクロスがかかっているだけの即席テーブル。白い布が張られた教室。手作り感たっぷり。
クラスの男子たちよりひと回り体格が大きくて、ひげの剃り跡が生々しい男のひとたちがめいめいに着飾ってしなをつくっている。メイド服、ミニスカ・ナース服、セーラー服に婦人警官。デパートのパーティグッズ売り場で売ってそうなぴらぴらの衣装。大阪のおばちゃん風、ってかんじの変わりダネもいる。
高校生って、くだらないこと考えるなあ。あんまりあたしたちと変わんない。
あたしと美里となかちゃんは、藤川高校の文化祭に来ている。なかちゃんはちょうど部活が休みだった。
藤川高校(通称藤高)は、このあたりの県立ではトップの進学校だ。あたしも、できればここに行きたいと思っている(そのわりに全然勉強していないけど)。今日は美里にさそわれた。美里のお姉ちゃんがここの生徒で、この「コスプレ喫茶」の食券をくれたらしい。
今日、ママと古賀さんはデートしている。美術館に行くんだって。ふーんって感じ。いつきも一緒にってさそわれたけど断った。先約があって、ほんとうによかった。
となりの席ではげらげらと高校生が笑いあっている。きつい勉強から開放された高校生のつくる、足もとのふわふわしたおまつりの空気がただよってきて、安もののケーキなのにものすごく美味しく感じちゃう。
「ねえねえ、イケメンだったの、ママ彼。会ったんでしょ?」
美里がぐっと顔を寄せた。好奇心で目がきらきらしてる。まったく、美里の頭の中っていっつもピンク色。でも、そのおかげであたし、シリアスに沈み込みすぎなくてすんでる気がする。
「わかんない。メタボじゃなかったしフケツな感じでもなかったし、背も高かったし、まあまあ、なのかなあ。客観的にみると」
客観的。うん、客観的にみることがだいじ。客観的にみて駄目なかんじのひとだったら、あたし、堂々とママに「あんな奴やめてよ」って言える。
……って。やめてよ、って言いたいのかなあ、あたし。
「ねえねえ、ゲイノー人でたとえたらどんな感じ? だれ似?」
「やめなよ美里」
なかちゃんがいさめる。あたしは笑って、いいよいいよ、って手をひらひらした。それで美里はさらに調子にのった。
「ねーあの人は? 『アンダンテ』に出てる人!」
「アンダンテ? あー。あの不倫ドラマ?」と、なかちゃん。「あのドラマきらいー」
「えー? うちのママ超ハマって、録画して何回も観てるよー。あたしも一緒に観てるけど、けっこうおもしろいよ」
「まじで? 美里、よく親と一緒に不倫ドラマなんか見れるね」
「ときめきチャージだよっ。ママ言ってたもん。主婦は恋なんかできないから、ドラマでときめき補給してるんだって! 若さを保つ秘訣なんだって!」
それを聞いて、なかちゃんは大きくため息をつく。
「うちのお母さんもさー、ハマってんだよね、あのドラマ。まじキモい。目とかうるうるさせてさー。ちょっとそれ見てたら引いちゃうっていうか。いい年してなに恋愛ドラマに夢中になってんの、って思っちゃう」
「わかるかも。その気持ち」
ぽつりとはなったあたしの言葉に、なかちゃんが固まった。
「ご、ごめんっ! あくまで今のは、あたしのお母さんの話で。いつきママはさ、独身だし美人だし不倫とかじゃないし何も問題なくない? しかも妄想恋愛じゃなくてリアル恋愛だしっ」
早口でフォローしてくれるんだけど、あまりにあわてまくって、さいごは何の話してんのかわけわかんなくなってるなかちゃんが、なんだかおかしかった。
「おんなじだってばー」
あたしはわらう。
「ママが恋愛とか。恋してるとか。すっごく、もやもやするの。気持ちわるいの。なんでだろうね」
うーん、ってなかちゃんは考えこんでしまった。
美里は、自分の髪をひとたばすくって、指に巻きつけている。上目づかいで、あたしとなかちゃんを、交互に見やる。
「ねえねえ、ママに自分の恋バナって、できる?」
遠慮がちに聞いてくる。なかちゃんはぶんぶんと首を横にふった。
「できるわけないじゃん! ていうかそもそも好きなひといないし! ぶっちゃけ恋とかしたことないし!」
「……あたしも」
そっと告げる。
「わかんない。恋ってどんな気持ちなのか。ていうか、美里は? しょっちゅう、好きなひとの話してんじゃん?」
「ん。たしかにすぐ好きにはなるけど、いつも速攻で冷めちゃうんだよね。彼氏はほしいけど……。超ほしいけど、このひとじゃなきゃ駄目! とか、そういう気持ちになったことは、ないかな」
三人して、ふうっとため息をついた。
それから。しばらく美里のおねえちゃんを探したけどいなくて、いま自由時間なんだろうねといいながらあたしたちは教室(店?)を出た。廊下をぶらぶらしながらいろんな教室をひやかす。おばけ屋敷とか、化学部による実験ショーとか。
「なんだろ。あそこ。空き教室?」
ぽつりとつぶやく。折り紙でつくったわっかとか、小学生のクリスマス・パーティのような飾りつけをふんだんにほどこされた校内のなかで、いやにひっそりと飾り気のない教室があった。美里となかちゃんは気にも留めず、ずんずん先に進んでいく。
あたしはひとり、ふらりと近寄る。
「宇宙の神秘。天体写真。天文部。部員募集中」
黄色い色画用紙に、黒いマジックで適当になぐり書きされたポスターが貼ってある。
教室にはいるとそこは暗闇だった。窓や壁に暗幕がはられているんだ。教室のすみには小さなラジカセが置いてあって、そこから神秘的な音楽が流れている。外国語の、きれいなコーラスみたいな、賛美歌みたいな音楽。出口のところに机と椅子があって、男子生徒がひとり、ぽつんと座って雑誌を読んでいる。やる気、なし。机には、「ポストカード・一枚百円」と書いた紙がテープで留めてある。お客さんはいない。あたしひとり。宇宙の神秘とかいううたい文句のわりには、全体的にしょぼい。
壁にはられた写真やポストカードを見てまわる。夜空にひろがる天の川、クレーターの陰影がくっきりとあざやかな、月。火星、木星、金星。惑星たちは輪郭がすこしぼんやりしているけど、どれもきれい。なかでも土星はわっかまでしっかり写っている。
あたしは月の写真のポストカードを買うことにした。虹の入り江、とタイトルがついてる。
「これください」
そう言うと、店番をしている男子高校生は雑誌から顔をあげた。まじまじとあたしの顔を見ている。
こほん。あたしはちょっと怒った風に咳払いしてみせた。失礼な。あたしの顔に何かついてるんだろうか。
「百円です」
五百円玉を手わたす。百円玉がなかったのだ。高校生はお釣りの入っている紙箱を開けようとして、手がすべったのか、箱を落として中身を床にぶちまけてしまった。
じゃら。ちゃりん。跳ねる小銭。
……あれ? デジャ・ヴ。どこかで見たことある、この光景。……それに、そういえば、このひとも。適当にざっくり切ったかんじの、真っ黒い、みじかい髪。背が高くて、胸板がうすい。面長の顔に、やや細い目。ふちなしの四角いめがね。どこかで。
「いつきー。こんなトコにいたの。探したんだよー」
美里のかん高い声が割り込んできて、あたしが手繰りよせていた記憶の糸はぷっつりと切れた。かわりに、
「あんた。いつき、って言うの?」
小銭を拾っていた高校生が立ち上がって、言った。大きな声が教室にひびく。すぐに高校生はわれにかえり、「ごめん」とあやまった。わけもわからずうなずくあたし。
「ひょっとして西中?」
おずおずと質問してくる。首を縦にふる。このひと、何で知ってるの?
と、高校生のポケットから、音楽が流れてきた。携帯の着信メロディ。「天体観測」。それであたしも思い出した。このひと、「キンモクセイ」にいたひとだ!
「行こ、いつき」
ぼーっとしているあたしの腕を、美里がつかむ。ずるずると教室の外に引っぱり出されるあたし。美里はあたしの耳もとで
「ちょっと、どーすんの。今の完全に、ナンパだよ」
とささやいた。あたしは吹き出した。やっぱり美里は美里だと思った。