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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
ママの恋人
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2

 ログハウス風の小さなカレー屋さん。店内は、スパイスのかおりと木のかおりでいっぱいだ。こんなへんぴな山の中にぽつんとある店なのに、けっこう人が入っている。小さい子を連れた家族とか、カップルとか。

 カラン、ととびらが開く音。ママが席をたって、手をあげた。

 背の高い男のひとがやってきて、あたしたちと向かい合わせに座る。水をもってきた店員さんにチキンカレーを注文している。そのひとが紺色のジャンパーを脱いだとき、ふっ、とつめたい秋の夜の気配がただよった。

「いつきちゃん、はじめまして。古賀です。古賀、征一郎」

そのひとは言った。ひくい、やわらかな声で。目じりと口もとにしわが寄る。笑顔。

「……どうも」

 あたしは小さく頭をさげた。このひと、ママより五つ歳上だって聞いた。ということは四十、五、六? それくらい? 

 あらためて観察する。やや面長な顔に、涼しげな目もと、ちらほらと白髪がまじった、でもゆたかな髪。ぱっと見は、まとも。だらしない感じじゃない。あくまで、ぱっと見、は。

「中学生だっけ。一年?」

 聞かれて、こくりとうなずく。

「学校はどう? たのしい? 部活はなにかしてるの?」

「まあまあです。部活はしてません」

 ぼそぼそと答える。なんだろう、これ。面接みたい。

 ママがやきもきしながらちらちらあたしを見ている。

 ママとあたしの分のカレーが運ばれてきた。冷めるから先に食べて、と古賀さんがうながす。

「おいしい!」

 目をかがやかせるママ。

「だろ。ここのカレーは一週間も煮込んで作ってるんだ。食材も、地元の厳選したものを使ってるし」

 古賀さんは自分の手柄みたいにうれしそうに言った。まるで小さな男の子みたい。ママはそんな古賀さんを見て、目をほそめる。

 楽しそうなふたりを横目に、あたしはもくもくとカレーを食べる。ママと古賀さんのまわりだけ、空気の色がちがって見える。うすい膜がふたりをつつみこんで、ふたりのわらい声や会話がその中でひびきあってるかんじ。恋人同士だけにある、親密な空気。

 きもち悪い。

 乱暴にスプーンを置いた。思いがけず大きな音がして戸惑う。その時。

「いつきちゃん。今日は僕から大事な話があります」

 古賀さんがきりだした。

「母から聞いています。つき合う、ん、ですよね?」

 あたしは言った。無機質でつめたいひびきにならないよう、細心の注意をはらって。

 古賀さんはゆっくりとうなずく。ほおがほんのり赤い。

「僕は、きみのママ、まゆりさんのことが好きです。だから恋人になりたいと思った。いつきちゃんは賛成してくれるかな?」

「賛成もなにも……」

 口ごもってしまう。好きだなんて。恋人になりたいだなんて。そんなせりふ、照れもせずまっすぐに言ってのけるなんて。あたしのほうが恥ずかしいよ。

「あ、あたしは、べつに関係なくないですか? ママの人生はママのものだし。あたしが反対する筋合いなんてなくないですか? ふたりでたのしくデートでもなんでもすればいいんじゃないですか?」

 気持ちがうまく言葉に乗らなくて、舌がもつれそうになってしまう。わざわざあたしの許可なんてとらないでよ。勝手によろしくやっててよ。

「そんなわけにはいかないよ。君はまゆりさんのだいじな娘だ。世界で一番大事な娘だ。僕のことも、僕のまゆりさんへの気持ちも、君には知っていてほしい」

「…………」

「僕たちのことで、いつきちゃんに嫌な思いをさせたくないんだ、だから」

 古賀さんはあたしの目をじっと見つめた。なにを言ってるんだろう。大げさだよ。だって「つき合う」だけでしょ? 再婚してパパになりますって話じゃないでしょ? 

 それとも、まさか。

「まさか、け、結婚を前提にしたおつきあい、を、したい、とか……?」

「僕はそのつもりだよ」

 かしゃん、と金属と陶器のぶつかる音。ママの手からスプーンがすべり落ちたんだ。ママは目をまんまるく見開いて、ほっぺたを桃色に染めて、古賀さんを見てる。

 たんたんと古賀さんはつづける。

「まゆりさんが同じ気持ちかどうかはわからないけど、僕はそう思ってる。もちろん今すぐにじゃなくて、もっと先、いつきちゃんが大人になってから。夫婦になって、ずっと一緒に残りの人生を歩んでいきたいって。まゆりさんとならそれができるって、そう思ってる」

 赤い顔したママが、グラスの水をひといきに飲み干した。うるんだ目で古賀さんを見つめて、それから、あたしを見た。まっすぐに、その目を見つめかえす。

 ママ。ママも、そう思うの? 古賀さんと夫婦になりたいって、そう思ってるの?

 ママは、ゆっくりとうなずいた。

 ……そうなんだ、やっぱり。パパが死んでしまってから十年。十年ってきっと長い時間なんだ。パパのことをわすれてしまえるくらいに、充分、長い時間なんだ。

 息がつまって、胸がくるしい。

「……よろしくお願いします」

 うらはらに、あたしは小さくつぶやいてぺこりと頭をさげた。こう言うしかないじゃない。

 とたんに、氷が溶けて春がきたみたいに古賀さんの表情がゆるんで、あたしは古賀さんが今まで緊張していたことに気づいた。ママは横をむいてぱちぱちと何度もまばたきしている。まつ毛がぬれて光っている。何だろう、これ。安いホームドラマみたいだ。

 あたしは子どもの学芸会を見ている親みたいな「ほほえましい光景に目をほそめる」表情と、「でもやっぱりムスメとしては照れくさい」という表情を絶妙にブレンドした笑顔をつくった。三人が食事を終えてお開きになるまでそれをつづけた。うまくいったと思う。


 店を出たのは八時すぎくらいだった。帰りの車の中、やっぱりママと会話する気になれなくて、あたしはずっと寝たふりをしていた。

 いまごろ、「キンモクセイ」ではあのきれいな店員さんが美しいしらべをかなでているのだろう。

 カレー屋さんで、古賀さんが何でも好きなもの頼んでいいよ、っていうからあたしは食後にコーヒーを頼んだ。砂糖とミルクをたっぷり入れたのに、湧水で淹れたおいしいコーヒーって評判だよ、って古賀さんが言ってたのに、あのときあの店で飲んだのよりおいしくなかった。なんでだろう。

 ハンドルをにぎるママの横顔がみえる。黒いひとみが、まっすぐに前を見つめている。あたしは一生懸命オーボエの音色を思い出していた。羽村くんのへたっぴな演奏だけど。そうしたら、自然に、ほんとうの眠りがあたしに訪れた。


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