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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
季節はめぐる
30/31

1

「あっ、ヒコーキ雲!」

 あたしの横を歩いていた美里が唐突に叫んだ。まわりにいた、下校途中のほかの生徒たちがおどろいてこっちを振りかえる。

「ちょっと美里、声、大きいよ」

「ごめんごめん。だってうれしかったんだもん。あたし、これで二十回目なんだよ!」

 あたしと美里の、帰り道。中学にはいってからずっと、美里はヒコーキ雲を探してる。そしてはじめて、おまじないが完結する瞬間がおとずれた。

「すごいじゃん。よかったね。願いごと、かなうよ。ね、美里の願い事って、なに? バレンタインに彼氏ができますように、とか?」

 あたしが茶化すと、意外にも美里はふっと真顔になった。

「あたしの願いごとは……。いつきと、前みたいなかんじに、もどること」

「美里……」

「いつき。ごめんなさい。ずっと、あやまろうと思ってた。あたし、あんなにいつきが怒ると思わなくて。あれから、こわくなっちゃったの。もしかしたら、今まで、知らないうちにいつきのこといっぱい傷つけてたのかも、って」

 消え入りそうな声。

「あたし、いつきがあたしたちにだまって彼氏つくったと思って、くやしかったの。嫉妬したの。だから、いつきの彼があんまりぱっとしないひとだって聞いて、安心したの。最低でしょ」

 上目づかいで、あたしの顔を、そっと見る。

「いいよ、もう。あたしだって、まさか自分があんなにムキになるなんて、思ってもみなかった。それに、ほんとに、彼じゃないし」

「でも、怒るってことは、すきなんでしょ。……やっぱ、いいなあ。そんな風にムキになるくらい思えるひとがいて」

 いつもの、夢見るような口調の美里。あたしはなんだかやさしい気持ちになった。

「あのね、あのひと、あたしのお兄ちゃんなんだ」

「え?」

「あのひと、古賀さん、ママの彼氏、の息子なの。彼はお母さんと、つまり古賀さんの前の奥さんと一緒に暮らしてる。それで、あたしにもいろいろやさしくしてくれるんだ」

 あたしのこと妹みたいに思ってるの。お父さんから託されたっていう責任も感じてると思うの。わかるんだ。あたしがすきなようには、樹くんはあたしのことすきにはならないんだって。

「……そっか。じゃ、いつきも、けっこうせつないね」

「まあね」

 さらりとかわいた風がふいて、髪をなびかせた。そろそろ、切ろうかなあ。失恋して髪を切るとか、ベタすぎるかなあ。なんてことを考えてると、美里がきゅうにうれしそうな声をあげた。

「きゃあ、いつき。うわさをすれば、だよ」

 銀杏並木の坂道の、下りきったところ。あたしたちから見てさいごの銀杏の木にもたれかかるようにして、紺色の、うちの中学とはちがう学生服を着た男の子が立っていた。あたしと目があうと、そのひとは遠慮がちに片手をあげた。

「……樹くん」

 じゃああたしは消えまーす、かろやかにそう言い放って、美里はあたしを置いて坂道を駆け下りていった。


「もう、まいったよ。中学生が、じろじろ俺のこと見てくの。なんもわるいことしてないのに、いたたまれない気持ちでいっぱいだよ」

 樹くんはいかにもばつが悪そうに、あたまのうしろのほうをぼりぼりとかいた。

「なんでこんなとこで、待ってたの」

「だってきみ、冬休み中、ずっと俺のメール無視してたじゃないか」

「……ごめんなさい」

 しおらしくあやまった。春奈さんの演奏会の誘いをことわったあとも、なんどかメールが来ていたけど、なんだかむしゃくしゃして返信していなかったのだ。

 樹くんはごにょごにょと、もういいよ、みたいなことばを口にした。

「ねえ、あたしのことを思いやってくれたのはうれしいけど、でもやっぱり話してほしかったな、古賀さんのこと。いつかはわかることなんだし。ていうか、気づいてたし。ふたりが親子だってこと」

「え? そうなの? なんで?」

 ぽかんと口をあける樹くん。このひと、天然?

「だって、そっくりなんだもん。星の話するときの目とかさ、とくに」

「えええ。……やだなあ」

 樹くんは眉間にしわをよせて、いやそうに、でもどこかくすぐったそうに表情をゆがませた。あたしはおかしくなって、ふき出した。

「笑うことないだろ」

「ごめんなさい。……ね、最近キンモクセイに行ってる? スバルは、帰ってきた?」

 あの雪の日から、ずっと気になっていたのだ。でもママが寝込んだり新学期がはじまったりしてばたばたで、結局お店には行けずじまいになっていた。

「スバルがいなくなったこと、知ってたの?」

 樹くんはうつむいて、表情をくもらせた。

「スバル、ずっと帰ってきてないらしいんだ。マスターも春奈さんも俺も、貼り紙したりしてずっと探してるんだけど」

 やっぱり。あたしは、夢の話をした。亡くなったパパが、スバルをどこかへ連れて行った夢の話。樹くんはしずかに耳をかたむけていた。

 ややあって、重い口をひらく。

「マスターがね、スバルは旅に出たんじゃないか、って。自分に言い聞かせるみたいにそう言ってた」

「……旅」

「どういう意味の旅かは、わかんないよ。ことばどおり、ほんとにふらっと出かけたきりになってるだけで、またいつか忘れたころに帰ってくるのかもしれないし。……もしくは、その」

「二度とは帰ってこれないところに、旅に出た?」

 口ごもる樹くんのかわりにあたしがそう言うと、樹くんはおどろいたように目を見開いた。

「……旅っていうか。どこかへ、帰っていったとか」

 あたしの小さなつぶやきに、樹くんはわずかに眉を寄せた。

 思い出したんだ。はじめて「キンモクセイ」を見つけた日。あの日あたしは小さな白猫にいざなわれて、あまいキンモクセイの香りをたどって、あの場所にたどりついた。

 夢のなかで、パパの足もとにまとわりついていたスバル。スバルが、ふしぎな出会いをくれた。樹くん――ママのすきなひとの、たったひとりの子どもに。会えた。

「スバルはまたもどってくるよ。ぜったいまたここにやってくる。あたしはそう思う」

 そうでしょ、パパ。こころの中で、そっと、そう呼びかけた。連れて行くよって言ってたけど、きっと守ってくれてるんだよね? もういちど、来てくれるんだよね? 

 パパ。

「着いた」

 樹くんとあたし、ふたりの「いつき」が、同時にそうつぶやいた。思わず、笑みがこぼれる。まだ空気はつめたい冬のものだけど、キンモクセイの庭の桜の木は、もうあたらしい芽をつけている。それは、固い固い、つぼみのそのまたつぼみのようなもの。春がきてこの花が咲いて、散って、葉桜が茂る。そうやって、季節はめぐっていく。

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