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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
キンモクセイ
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3

 キンモクセイ、楓、つつじ。いちばん背が高いのは桜で、でも学校にあるのよりもかなり小ぶりだ。桜の葉はだいぶ落ちてしまっているけど、楓は葉っぱの先っぽだけ、ようやっとオレンジに色づきはじめたところだ。あたしはゆっくりと中庭の木々を愛でながら、建物の入り口へと続く敷石を踏みしめて歩く。落ち葉はきれいに払われ、水が打ってある。

 ながい間波にもまれたかのように風化した、木のドアの前に立つ。

 ほんとにカフェなの? いぶかしく思った。この建物だってふるい木造で、「古民家風」なんて言えなくもないレトロな雰囲気はあるけれど、「風」じゃなくてほんとに民家みたいなんだ。

 でも、とびらを開けた瞬間、ああ、たしかに喫茶店だ、と思った。

 コーヒーのかぐわしいかおりとともに、いらっしゃいませ、という女の人の声。夜でもないのに少し薄暗くて、四角い窓から射し込む光のすじが見える。にぶい光をはなつ、色あせた板張りの床。ましかくの、木製の窓枠。いつかテレビで見た、山奥の、廃校になったふるい木造校舎みたい。

 店内にあるのはカウンターと、窓ぎわに二人がけのテーブル席がふたつ、奥に四人がけの席がふたつ。テーブルは骨董品屋さんでほこりをかぶって忘れ去られてそうな、年季のはいったあめ色のやつで、おそろいであつらえたかのような木の椅子がよりそっている。それから、窓じゅうにつるをはわせている、鉢植えのアイビー。店のいちばん奥にはなぜか二人がけの革ばりのソファがぽつんと置かれ、その後ろには、格子の木枠にすりガラスがはめ込まれた、ほんとに古い教室にあるような引き戸がある。

 お客さんは……、ふたりがけのテーブル席に、老夫婦(カップル?)、そのとなりのテーブル席に、ひげもじゃのガタイのいいおじさん。それから、カウンターの一番奥の席に、男子高校生がひとり。

 あたしはカウンター席の、ドアに近いほうのはしっこに座った。ひとりで、あいている四人がけの席を占領するのは気がひけたんだ。カウンターテーブルは長い一枚板で、木目がはっきり見える。なんだか、どきどきする。

 ふと、奥にいる高校生が視界にはいる。もっさりした真っ黒い短髪に、ふちなしの四角いめがね。紺の学生服、たしか藤川高校の制服だ。ひょろっこい背中をまるめて雑誌を読みふけっている。月刊……星、の世界?

 あたしは古賀さんのことを思い出した。古賀さん、ママの、恋人。となり町にある「きら星宇宙館」につとめているんだって。「きら星」って、無数にかがやく美しい星たち、って意味なんだよ、なんてママはうれしそうに話していた。

 のどもとに、苦くてすっぱいものがこみ上げてくる。口のなかがざらざらする。

「ご注文はお決まりですか」

 はきはきした声と、カラン、と氷のはいったグラスを置く音。あたしははっとわれにかえった。メニューにさっと目を走らせ、いちばん値段が安いものを指さす。

「ブレンドコーヒーですね。かしこまりました」

 店員さんはほほえんだ。ながいポニーテールがゆれる。きれいなひと。

 カウンターの向こう側には木の棚が図書館みたいに壁いっぱいに並んでいて、銀色の缶や白いカップとソーサー、うす緑色のグラスやお酒のびんなんかがずらっと並べられている。そしてそこには背のひくい、白髪まじりのおかっぱ頭のおじさんがいた。赤いチェックのシャツにジーンズ。目はくるりと大きくて、キツネザルやふくろうみたい。滝廉太郎みたいな、うすくて丸い、ちっちゃな眼鏡をかけている。このへんてこなおじさんがマスターかな、なんてことをぼんやり考えた。

 十五分ほどして、コーヒーがきた。ゆっくりと口にふくむ。砂糖もミルクもいれないでコーヒーを飲むのは、実ははじめて。ひとりで喫茶店にはいるのも、カウンター席に座るのも。琥珀色の熱い液体はやっぱり苦くて、でも、おかげで古賀さんとママを思い出したときの口の中のざらざらが消えた。胸のつかえが、ほうっとほころんでいく。

 あたしはさっき花屋さんで買った小鉢を、袋からとり出してながめた。ふしぎな植物。花屋のおばさんが言っていた。

「これは多肉植物のなかまだよ。ま、サボテンみたいなもんだね。世話はカンタン。ほとんど水はあげなくていいの。熱くて乾燥した国が原産だから、強いんだよ。自分のからだに水をたくわえることができるの」

 あたしも似てるかも。たくさん水をあげなくても育つ植物。水はだいじに、いっぱい貯めているから。

 小学生の頃。学校で熱をだしてたおれた時、仕事をはやびきしてかけつけてくれたこと。ふたりでドライブ中、道ばたの焼きいも屋さんが気になって、とっくに通り過ぎたあとだったのに何キロも引き返して焼きいもを買ったこと。ほくほくしたおいもを半分こにして食べたんだ。それから、夜中にふたり同時におなかがすいて目がさめて、近所のラーメン屋さんに出かけたこともあった。あたしたち不良だねって、わらいながら。

 陽がかたむいて、窓からみえる空の青がかぎりなくうすくなっている。窓からオレンジがかった西日がさしこんでくる。もうすぐ夕暮れがおとずれる。帰ろうかな。ごはんもつくらなくちゃ。今日もきっとママは遅いし。

 席をたとうとしたとき、店内のしずかな空気を切りさくように、音楽がなった。知ってる曲。むかし流行った、うた。ママがよく口ずさんでいた――、そうだ、バンプオブチキンの、「天体観測」だ。

 雑誌を読んでいた高校生が、あわてて携帯をとりだして、音を切った。あのひと、天文マニア?

 高校生はがたがたとあわただしく席をたって、お会計をしている。よっぽどあわてているのか、レジの前で財布を落として、中身を派手にぶちまけた。「すいませんすいません」といいながら小銭を拾っている。

 ポニーテールの店員さんはくすくすわらった。高校生はあやまりながら「ハルナさん、俺、金曜の夜は絶対いきますから」なんて言っている。

「金曜の夜?」

 思わず口に出して言ってしまう。おかっぱのマスターらしきひとが、だまって入り口そばの壁を指さした。手書きのポスターが貼ってある。

「秋の夜長のミニ・コンサート。十月二十日、夜七時より。カフェ・キンモクセイにて。オーボエ、戸田春奈……」

 つぶやくように読みあげると、マスターが店員さんのほうをこっそり指さした。あのひとが演奏するんだ。春奈さんって言うんだ。

 オーボエ、って。楽器の名前だよね? 知らないなあ……。

「もしよかったらおいでください」

 マスターが言った。

「夜だから、もちろん父兄同伴でね」

 そして、あたしの目をみて、にいっ、とわらった。


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