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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
晴れわたる
29/31

2

「ごめんねー、いつき。ママなんにも食べれない」

「はいはい」

 おかゆのはいったお茶碗をまくらもとに置く。

「あーもう最悪。あたしにはうつさないでよ」

「……ごめん……」

 まだ熱が高いせいか、けんか中の娘に看病されていることの情けなさからか。ママはこれ以上ないくらいに小さくしおらしくなって、お布団にもぐりこんだ。

 きょう、始業式から帰ってくると、ママが赤い顔して伏せってたんだ。ただの風邪らしいんだけど、熱が高くてしんどそう。明日は仕事休まなきゃ、って悔しそうだ。

 あたしは休みたくない。大きいマスクして、換気して、手洗い・うがいは徹底的にして感染対策。ってか、今さら遅いかな。

 体温計がピピっと鳴った。ママはそれを見て顔をしかめる。

「あー。まだ下がんない。もー、しんどーい」

「ママ」

 弱ってるときにこんな話するの、ひきょうかな。

 だけど。ちゃんと向き合って話さなきゃ。

 どんな風にあたしは変わりたいか。ママと、この先、どんな風になっていきたいか。わかんないけど、今のままはいやってことだけは、確かだから。

 すうっと、息を吸い込む。

「この間は、その。ごめんなさい。ひどいこと言って」

 ママのこと、傷つけたよね。

 ママはゆっくりと身を起こした。アイスノンが額からすべり落ちる。

「いいよママ、寝てて。しんどいでしょ?」

「ううん」大きく首をふるママ。

「私こそごめん。いつきのこと、ぶっちゃった」

 苦しそうに呼吸しながら、ママはゆっくりと言葉をえらぶ。

「何があっても娘には手をあげないって決めてたのに、情けない。あのね」

 あたしの目を、じっと、見つめる。

「あのね、いつき。ママ心配だったんだ。怖かったんだ。いつきがママの知らないいつきになっちゃったみたいで。男の子に会ってたこともそうだし、嘘ついて自分だけの秘密をつくってたのも。ママたちのこと、あんなふうに思ってたってことも」

 それは。あたしは、うつむいて、そして、もういちど顔をあげて。まっすぐにあたしに向けられたママの目を、見つめかえした。

「それは、あたしもおんなじなんだ。ママが変わっちゃったみたいで、怖かったの」

「そっか」

「うん」

 なんだかきゅうにきまり悪くなってしまう。ママもそうなのか、すっかり冷めてしまったおかゆに手をのばして、少しずつ食べはじめた。

 そして。ふと、れんげを持つ手を止めて、あたしを見た。

「ママ、ね」

「うん」

「いつきが大好き。いつきが大切。それはずっと変わらないから」

「……うん」

「パパが死んでも私がどうにか折れずにいられたのは、いつきが、いたから」

 おかゆの器を、そっと、まくらもとに置いた。

「言わなくても伝わってると思ってたけど……。ちゃんと言わなきゃだめなんだよね。ごめんね。だめな、ママで」

 ぶんぶんと首を振った。だめなんかじゃないよ。

 あたらしい顔が増えても、前のママがいなくなるわけじゃない。変わらないものだって、あるんだ。きっと。

 あたしがだまりこんでいると、耐えられなくなったのか、「うわー照れるー」って叫んで、ママはまた布団を頭からかぶってしまった。

 パパが死んでも、か。

 マスターの言葉を思い出す。

 時の流れはときに残酷だって。しゃっきりしてた叔母さんが最期にはやせて小さくなってたって。

 いっぽう、あたしのパパはとつぜんこの世を去った。いきなり奪われてしまったの。

 赤い顔して苦しそうに息を吐くママを見ていたら、急に不安になった。

 ママだって。いつ、落とし穴みたいな暗闇に飲まれるかわかんない。深刻な病気で倒れるかわかんない。

 ううん、ママだけじゃない。それは、あたしだって、だれだってそうなんだ。

「あのさ。まじでママ、古賀さんと再婚しなよ」

「い、いつき? どうしたの、いきなり」

「あたし、いつかはママのもとを去るでしょ。進学とか就職とかで。まだぜんぜん自分の将来とかわかんないけど、ぜったいに、いつかはママから離れる」

「うん」

「だからさ、ママがこうして病気になっても、看病できないじゃん」

 あははっとママがわらった。わらった後、「うー頭がんがんするー」って顔をしかめる。

「なんでわらうの。まじめな話だよ」

「ひとりでできるわよ、子どもじゃないんだから」

「えっと。そういうことじゃなくって」

 なんて言っていいかわかんない。むずかしいよ。だけどいま、せっかくタイミングをつかんだんだから、ちゃんと話しておかないと。自分の気持ち。

「あのね。ママはあたしのママだけど、その前に『坂本まゆり』でしょ?」

「うん」

「だからね、これからはもっと『坂本まゆり』でいてもいいよってこと! あたしのためにいろいろ我慢しなくていいから! 好きなひとと好きなようにしていいから」

「それと再婚はまたべつの話だけど、ね」

 ママの鼻水まじりの声。

「でも、ありがと」

 ママは、小さく、つぶやいた。

 うん。

 ママだって変わっていくんだもんね。生きてるんだから。どんなふうに変わりたいか、自分で決めて。あたしだってそうするから。


 ベランダに出ると、きんと冷えた空気が肌をさした。紺色の空にはんぶん欠けた月が浮かんでる。月の輪郭はくっきりとかがやいて、空気が澄んでるのがわかる。樹くんもいまごろ、空を見上げてるかもしれない。

ママは薬が効いたのか、ぐっすり寝ている。あたしは古賀さんに電話をかけた。

「もしもし。どうしたの、いつきちゃん。はじめてだね、自分からかけてきてくれるの」

「うん。あのね、ママが熱出しちゃって」

「おやまあ」

 なに、その気の抜けたリアクション。思わずふき出してしまいそうになってこらえる。

「何か買ってこようか? ポカリとか、ある? まゆりさん食欲は? 果物とかゼリーとかだったら食べれるかな」

「あ、いいですいいです。だいじょうぶです。ありがとうございます」

「そう? 何かあったら遠慮しないで言ってね」

 古賀さんのくぐもった声。いつだったか、古賀さんの声を樹くんと間違えたことがあったっけ。やっぱりすこし、似てるな。

「あの」

「ん?」

「ママのこと、よろしくおねがいします」

「どうしたの急に、あらたまっちゃって」

 古賀さんはさもおかしいといった風にわらった。

「いつきちゃん。僕とまゆりさんを引き合わせてくれて、ありがとう」

「え?」

 どういうこと?

「彼女と二度目に会ったとき。プライベートでは最初に会ったって言うべきかな。ま、偶然、ばったり会っただけなんだけどね。なにげない世間話の流れで、まゆりさんの娘と僕の息子が、同じ名前だったって知って。感動してしまったんだよ、僕は」

「運命感じたの?」

「や。まあ、ね。気持ち悪いだろ、こんなおじさんが」

 古賀さん、照れてる。ロマンチストなんだね。

「じゃあ、あたしと樹くんがふたりのキューピッド、なわけ?」

「そう。だから、きみと樹には足を向けて寝られないよ」

 古賀さんは冗談めかしてそう言うと、もうこれくらいで勘弁してよ、と、わらった。ちょっとだけ、かわいいと思った。

 これは、ママには内緒のはなし。これからもずっと秘密にしておくつもり。こういう秘密って、なかなか悪くないと思う。


次の章(あと二話)でラストです。

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