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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
星が降る
24/31

1

 あたたかなあかりのともった家並みのなかを、月のない冷えた冬の夜を、ひたすらに走る。白い息がつぎつぎにこぼれた。ママも古賀さんも追いかけてこない。もう、あきらめたのかもしれない。

 立ち止まって、外灯のひかりの下で、バッグから手鏡を取り出し、そっと自分の顔を映してみた。ピンク色のくちびるが顔から浮いてみえる。ハンカチで乱暴に口をぬぐう。むしゃくしゃして、鏡を投げ捨てる。

 何これ。あのひとの言うとおりじゃない。この色、あたしに合わない。これは、春奈さんみたいな、色白なひとに似合う色だ。すぐに日焼けして黒くなっちゃうあたしみたいな子には似合わない。

 きっとあたしのこれからの人生は、こういうつまんないものでいっぱいに埋め尽くされてしまうんだろう。似合う口紅の色とか、日焼け止めとか、男子に見つからずにトイレにポーチを持っていく方法とか、そんな、気の滅入ることで。

 ポーチ。そうだ、ポーチ。あのときもこんな気持ちだった。

 六年生のとき。十二歳の誕生日。ちょうど修学旅行の一週間前で、あたしはママに、「誕生日プレゼント」と、青い水玉のポーチをもらった。中には、生理用のナプキンがはいっていた。ママは言った。

「学校でつかい方はならったよね。あんたもこの一年でだいぶ背も伸びて、胸だって大人に近づいてるから、たぶん、もうそろそろだと思う。そのときになって慌てないように、いつもバッグにこれを入れておきなさい」

 背が伸びた。胸が大人に近づいた。もうそろそろ。めまいがした。ママがあたしをそんな目で見てたなんてショックだった。でもその半年後、ほんとにこのポーチが必要なときがやってきて、すごくくやしかった。どうしてだかわからない。あたしはトイレで泣いた。

 ちいさな頃は、ママみたいになりたいって思ってた。だけどそのときから、なんかちがうって思いはじめた。

 そして、いま。はっきりと思う。ママみたいになりたくない。いやでたまらない。どうしてこんな気持ちになるの。あたしだって、お父さんとママが出会って一緒になって、……そうやって、この世にうまれてきたはずなのに。

 

「……いつきちゃん?」

 ひくい、やわらかな声があたしを呼んで、はっと振りかえる。樹くんだ。

「どうして、ここに」

 樹くんの顔を見たら、胸がいっぱいになって、あたしの声はふるえた。

「……それは。ほら、その。きみ、今夜、春奈さんのコンサート、来るのかなあって。夕方からなんども電話してるのにつながらないし、心配になって迎えにきてみたんだ」

 電話? あたしの電話、うんともすんとも鳴ってない。あわててバッグの中をまさぐる。

「……充電が、切れてる」

 樹くんはやれやれ、とため息をついた。

「家、飛び出してきたの?」

 なんで、わかるの? あたし、そんなにひどい顔してるの?

「きっと心配してるよ」

「関係ないもん、ママなんて」

 いやなことを思い出した。ママと古賀さん。ママはむかしのママじゃなくて、古賀さんの彼女。恋してる、女のひと。

「いやなことがあったら、何でも言ってって言ったよね」

 樹くんはゆっくりと、深く、白い息をはいた。

「俺じゃ、たよりないかな」

 また、涙が出そうになる。あたしはぶんぶんと首をふった。

「自分でもよくわからない。こんがらがってるの。……あたしのママね、彼氏がいるの」

「……うん」

「あたし、どうしても、ママたちがきたなく思えてしまうの。もう昔みたいに、ママが大好きで、友達みたいに何でも話せて、でもこっそり尊敬もしててって感じには、もどれないの」

 そのうえママは。あたしに彼氏ができただなんて勘違いして、上から目線でお説教するんだもん。自分のことは棚にあげて。

 こらえようとしても、なみだがあふれてくる。すんでのところでこぼれ落ちないようにする。少し間があって、樹くんが、うつむいてくちびるをかみしめるあたしの頭に、そっと手をおいた。それから、軽く、ぽんぽんとなでた。

「わかるよ」

 つぶやくように言った。

「我慢してないで、泣きなよ」

 そのとたん、堤防が決壊したみたいに、涙があふれた。泣いた。泣きじゃくった。あたしのあたまの上に載った、樹くんの大きな手。樹くんはやさしい。胸がくるしくなる。

 しまいには、なんで自分が泣いているのか、わからなくなった。

 永遠みたいな時間が過ぎて、あたしはようやく、しゃくりあげながらよろよろと歩きだした。樹くんはだまって車道側(車なんてぜんぜん通っていないけど)を歩いている。ひどく恥ずかしかった。あたしたちの間にはこぶし二個分くらいのすき間があって、あたしはそのすき間を突然意識してしまって、うまく歩けない。

 樹くんはあたしに、自分の携帯を投げてよこした。

「家に連絡ぐらい、しなよ。本当に、心配しているはずだから。クラシックのコンサートで、ちゃんと大人に送ってもらうって言えば許してくれるだろ。ていうか、その通りなんだし」

「樹くんて大人なの」

「きみよりは少しは大人だろ。男子とか言うとまた話がややこしくなるし。あ、大人のほうがあぶないのかな、このご時世」

 樹くんは、うーん、と難しい顔をして考え込んでしまった。おかしくて、ついふき出してしまう。

「なんだよ」

 むすっとむくれる樹くん。

「とにかく連絡しなよ。駄目って言われたら、俺がお母さんに会って交渉してもいいよ。見た目は真面目だから信用されるかも」

「そうする」

 家にかけたら古賀さんが出た。古賀さんはなんにも聞かず、ただ、「気をつけて、楽しんでおいで」とだけ、言った。

 

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