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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
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 期末テストは散々だった。まったく勉強にも身がはいらなかったし、というか、テストなんてどうでもよかった。いまだかつてないひどい点数の答案が返ってきたけど、それもどうでもよかった。

 テストが終わるとなかちゃんはふたたび部活に精を出しはじめた。美里とは普通に接してるけど、あれから少し自分のなかにうすい壁ができてしまった。美里はちょっと甘ったれで無神経なとこがあるけど、さっぱりしたいい子なのに。自分の心のせまさにうんざりしてしまう。


 テーブルのうえ、ママの淹れてくれたココアから湯気がたちのぼっている。食後、ママに「話がある」って呼びとめられた。いったんは無視して自分の部屋に行こうとしたけど。でも今夜のママは引き下がってくれなくて。あたしの袖を引いて、「大事な、話がある」って、低く、芯のある声で、もう一度ゆっくりと告げられて。それであたしはしぶしぶママと対面している。

 ママの「大事な話」。

 てっきり、下がってしまった成績についてだと思った。部活をやめろとか、塾に行けとか。そんなことを言われるんじゃないかって。

 だけどちがった。

「ママ、古賀さんと別れることにした」

 あたしは思わず顔をあげた。

「どうして? きらいになったの?」

 ママはゆっくりと首をふる。

「いつきの気持ち、ぜんぜん考えてなかったって反省したの。古賀さんとは、いい友人としてつき合っていくつもり。彼もわかってくれると思う」

「好きなのに?」

 ママは何も答えない。

「あたしのために別れるとか、やめてよ。そんなのぜんぜんうれしくない。あたしママが思ってるほどコドモじゃないんだから」

 自分でもわかってる。あたし、支離滅裂だ。古賀さんとママが別れる。それはたぶん、こころの中で望んでいたこと。ママの「女のひと」の顔がいやだった。古賀さんの前で、あたしの知らない顔をする、そんなママを見たくなかった。

 あたしは、あたしが思ってるより、ずっとコドモだった。そんな自分が、うとましい。

 それに。

「ママたちが別れても、意味ない。だってママはずっと好きなんでしょ?」

 今さらママが古賀さんと別れたって、ぜったいに以前のママには戻らない。あたしだって、なんにも知らなかったころには戻れない。

 ママは何もこたえず、ゆっくりとココアをすすった。あたしも自分のココアを口にふくむ。甘ったるい液体がのどの奥にからみつく。

 好きなのに別れるとか、好きなのにあきらめるとか。いったい、どれくらい苦しいんだろう。あたしにはわからない。好きなひとに好きになってもらえないのと、どっちがつらいの?

 ちょっとだけ、聞いてみたい気もしたけど。やめた。

 

 美里とも気まずくなってしまったあたしは、いよいよ本格的に行く場所もなく、放課後なんとなく河川敷で時間をつぶしていた。ほんとはこんなとこでうじうじしてる場合じゃない。勉強して、せめてもとのレベルまで成績を戻さなきゃ。

 ママと会話がなくなって、成績まで落ちて。だからママが古賀さんと別れるとか言い出すんだ。自分があたしを苦しめてると思っちゃうんだ。それに、受験だってやばいよね。このままじゃ藤高どころかほかの公立だって厳しい。

 羽村くんの行ってる塾、どこだろう。あたしも通ったほうがいいのかも。お金はかかるけど、受験に失敗してすべり止めの私立の高校に行く方がよっぽどお金かかるし。

 藤高、行きたいな。樹くんの通ってる高校。あたしが入学するころには彼はもういないけど。

 ぎゅっとひざを抱える。どうしてこんな気持ちになるの?

 川の流れる音。弱い冬の日差しが水に反射してきらきらしている。小学生のグループが、ランドセルを河川敷にほっぽり出して、すわりこんでゲームをしている。そのうちひとりはゲームを持ってないのか、所在なさげに石きりなんかしている。寒いのに、みんな、どうして家のなかでやんないのかな。

「寒いのに、どうしてまっすぐうちに帰んないの」

 聞きおぼえのある声がして、振り返ると古賀さんがいた。また会った。古賀さんのエコバッグから長ネギが飛び出しているのが見える。

「きょうは、部活は?」

 あたしが吹奏楽部にはいったって、ママから聞いたんだ。

「休みです。顧問の先生が、出張で」

 あたしは悪びれもせず、するりと嘘をつく。

 古賀さんは寒そうにジャンパーのポケットに手を突っ込んで、小刻みにふるえている。なにかに似てるな、そう思ったけどそれが何か思い出せずに、あたしは首に巻いた白いマフラーをぎゅっときつく巻きなおした。晴れているのに空気は乾燥してつめたい。

「こういう日は、星がすごくきれいに見える」

 古賀さんはポケットから何かを取り出してあたしに手渡した。

「……きれい」

 それは満天の星空の写真だった。きらきらのビーズをちりばめたみたいな星空、うすい煙のようにひろがる天の川。

「あげる。いつきちゃん、そういうの、好きなんだよね。天体写真の撮り方にも興味あるみたいだし」

「これ、古賀さんが……?」

「うん。今は仕事でいくらでも撮れるけど、昔は普通の会社員だったから、休みの日にはいろんなとこに出かけて、ひと晩中カメラをセットして星の写真撮ってたんだ。前の奥さんには、あきれられてたけど」

 前の奥さん。思いがけないことばに、心臓がひやりとなる。

「なんで、別れたんですか」

 それでも聞いてしまう。傷をえぐってしまうかもしれないのに。

 古賀さんはやわらかくほほえんだ。

「何の相談もせず、いきなり転職を決めてしまったからかなあ。ろくに家事も子育てもしないで、星にばっかりかまけていたからかなあ。若いころは今よりもっと自分勝手で、奥さんのこと、なにも思いやれずにいた。そんなことが積み重なって、愛想をつかされた。子どもにもさびしい思いをさせた」

 どきどきしていた。子ども。古賀さんには、子どもがいる。

 あたし、多分。ほんとうは気づいていたんだ。だけど無意識にいるもうひとりのあたしが、気づいてしまわないように、必死でじゃまをしていたの。

 古賀さんは、樹くんに似ている。

 キンモクセイではじめて樹くんと話したとき。バス停までの道を一緒に歩きながら、樹くんの横顔を見て、なにかがひっかかっていた。

 さっきも。古賀さんが小刻みにふるえている姿を、どこかで見たことがあると思っていた。樹くんに似てるんだ。

 ぴりりと肌をさすようにつめたい風が吹いた。あたしの、いつの間にかもうすぐ肩に届きそうなくらい伸びてしまった髪がなびいて、視界を邪魔する。

「古賀さんの。子ども、って……」

 声がかすれる。たしかめるのが怖い。

「男の子が、ひとりいる。いつきちゃんより年上の」

「その子とは、今は、会ってるの?」

 答えはなかった。ゲームをしていた小学生はいつの間にか帰ってしまって、誰もいなくなった川面に風がふいてさざ波がたった。

 

 古賀さんの息子は、樹くん。あたしはもうほとんど確信していた。ふたりには共通点が多い。星が好きなとこ、背が高いとこ、ぱさぱさした髪質、しずかな話し方。

 もしもあたしの推理が当たってるなら、床屋のほうのお父さんは、義理のお父さんってことになる。

 マスターの友達っていうのはいまのお父さん? それとも古賀さん? クリスマスに天体望遠鏡を買ってくれたのは? たしか、そのせいで両親がけんかしたって。

 樹くんが星が好きなのって、古賀さんの影響?

 いろんな疑問が浮かんでは消える。

 古賀さんのようすだと、樹くんとはもう長いこと会ってないみたいだった。そりゃ、そうかも。樹くんにも樹くんのお母さんにもあたらしい家族がいるわけだし。でも。

 樹くん、ほんとうのお父さんに、会いたくないのかな。

 あたしなら会いたい。でもあたしは会えない。パパは、手の届かないところに行ってしまったから。あたしとママを置いて、突然。ママはたくさん泣いたはずだ。ママが滅多に泣かないのは、そのとき一生分の涙を流しつくしてしまったからなんじゃないかと、小さなころはそんな風に思っていた。

 それでも。それでもまたママはべつのひとを好きになった。古賀さん。

 大人ってよくわからない。ううん、大人だけじゃない、みんな、くっついたり離れたりをくり返して。失って痛い思いをしても、まただれかを好きになって。

 そういうのって、ひょっとして自分ではコントロールできないものなのかもしれない。自分の気持ちなのに、ね。

 家に帰るとママがいた。あたしは思い切って、古賀さんにばったり会ったよ、って告げた。それから、ぜったいに別れないでね、とも。

 あたしはたぶん、ものすごいふくれっつらをしていたと思う。

 ふふ、と小さなわらい声をもらして、鍋をかき混ぜているママの背中が、なんだか小さくみえた。

 別れないで。だけど、ママたちの気持ちがわかるようになるまでには、もうすこし時間がかかりそう。ごめんね。

 あたしのもやもやも、コントロール不能なんだ。


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