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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
ママと古賀さん
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2

 週末、あたしはほんとうに古賀さんの家に遊びに行くことになってしまった。おひるごはんをふるまってくれるらしい。

ママとふたりで、手土産にケーキを買って川べりの遊歩道を歩く。

 べつにほだされたわけじゃない。なかちゃんは部活だし美里は家族でショッピングで遊べない。キンモクセイは、マスターが法事だから臨時休業だって、昨日春奈さんが言ってた。断る理由がない。図書館に行って勉強するって言おうかとも考えたけど、ふだんそんなことしないからあやしまれるし。

 古賀さんは一般的なサラリーマンとちがって、毎週土日が休みってわけじゃない。時間も、朝と昼間、夜、って交代制で、不規則みたい。ママもそう。夜勤もあるし。だから、ふたりのお休みがかさなる今日は貴重な一日なわけで。

 ほんとうはふたりきりがいいんじゃないかな。美術館デートの日、すっごく楽しかったみたいだし。

 あたし、じゃまなんじゃないのかな。

 ひとこともしゃべらず、無言で歩き続ける。まっすぐ前を見ているママの横顔。きょうはコンタクトもはずして黒縁めがねだし、ジーンズにニットにダウンベストのカジュアルなかっこう。髪も、クリップで無造作にひとつに留めてるだけ。オフモードに近い感じ。

 古賀さんに会うからって、気合入れておしゃれしてるママもいやだけど、こんなふうに素に近いすがたをさらすのも気に食わない。ふたりの距離が確実に縮まっていってる気がするから。完全にこころを許してるのかなって、思っちゃうから。

 古賀さんの家は川沿いの県道からひとつ裏の道にはいったところにあった。ちいさい平屋。アパートじゃなくて一軒家だ。せまいけど、ちゃんと庭もある。

 どきどきする。前の奥さんと住んでたとかじゃないよね? だって、ずっと独身でいるのに一軒家?

「持ち家じゃなくて借家なんだって。マイホーム買おうと、夫婦で貯金してたらしいんだけど。離婚しちゃったんだって」

 あたしの疑問を察したのか、いきなりママがひくい声でそんな話をするから、どきっとした。離婚。

「ママって、古賀さんの過去、どれくらい知ってるの」

 おそるおそる、たずねてみる。

「ん。洗いざらいかどうかはわからないけど。知ってるよ。離婚したいきさつとか、もと家族が今どうしてるとか。どんな関係だとか」

 ごくりとつばを飲む。なんか、想像以上にヘビーなのかな。そりゃ古賀さんだって四十超えてるし、複雑な過去のひとつやふたつ、「もと家族」のひとつやふたつ。あってもおかしくはないんだ。うん。

「ママだって話してる。パパが亡くなったことや、どれだけママがパパを好きだったかも」

 ママがゆっくりとほほえんで、呼び鈴を押した。あたしは何も言えない。

 ドアがひらくと、中からいいにおいがあふれ出てきた。魚とか貝とかイカとか。魚介を焼いてるようなにおい。おなかが鳴っちゃって、恥ずかしくて縮こまってしまう。

 古賀さんはわらった。

「ふたりとも、あがって。寒かったでしょ?」

 居間に通される。部屋はモノがすくなくて、すっきりと片付いている。几帳面なひとなのかな。

 大きなこたつの上に、これまた大きな鉄なべ。なべっていうの? 中華鍋を平たくしたような、鉄板に取ってをつけたような。

 古賀さんがふたをとると、ふわあっと湯気がひろがった。パエリヤだ。

「すごい、征一郎さん。本格的じゃない」

「気合入れちゃったよ。パエリヤ専用鍋まで買っちゃったし。何度か試作もしたし」

「やだ。そこまでしてくれなくてもよかったのに」

 ママがわらって古賀さんの腕をたたいた。

「いいとこ見せたかったんだよ」

「ふふ。じゃ、さっそく味見してもいい?」

 どうぞどうぞ、と古賀さんは慣れた手つきでお皿にパエリヤとサラダを取り分ける。ママがグラスにミネラルウォーターを注いでいる。あたしは手持ちぶさたで、ただ、居心地悪く座ってるだけ。

 ママたち息ぴったり。さっきの会話もラブラブってかんじだし。ママの声も古賀さんの声も、なんか、甘いの。

「おいしいーっ」

 ほらね。ママってば、美里ばりに高い声あげちゃって。

 でもほんとにおいしい。サラダも、野菜がぱりっとしてるし、ドレッシングもお手製っぽい。なんか、くやしい。

「あー、ワイン飲みたくなっちゃった」

 ママったら調子にのっちゃって。

「白ならあるけど?」

 と、古賀さん。

「飲んじゃえば?」

 あたしは言った。ちょっと余裕を見せてみる。

「いつきちゃんがいいなら、飲んでもいいんじゃない? 歩いてきたんでしょう。帰りは僕が送るし」

「でも……。まだ昼間なのに」

「たまにはいいじゃない。普段、仕事を頑張っているごほうびだよ」

 確かにママは普段お休みの日も遊びに行ったりしないし。これぐらいいいのかも。

ママは、じゃあちょっとだけ、なんて言ってほほえんだ。

「いつきちゃんは、ジュースでいい? サイダーとオレンジがあるけど」

「いりません。水でいいです」

 ジュースなんて子どもの飲み物じゃない。パエリヤには合わないよ。

 さすがにママみたいにワインを飲むわけにはいかないけど、あたしだってブラックのコーヒー飲めるんだし。ジュースは、なんか、やだ。

 友だちといるときは、普通に飲むけどさ。


 お酒をちびちび飲み始めたママは、次第におしゃべりになってって、ほっぺも赤く染まって、なんだかふわふわしてる。あらかた食事を終えたころには、ほおづえをついて、古賀さんのことをぽーっと見つめてた。ときどき、意味不明ににやっとわらっちゃったりしてさ。もうあたしへの遠慮なんてみじんもないっていうか、あたしがいること忘れてない? 

 すっごく居心地がわるくて、お手洗いを借りに席をたった。

 やっぱり、来るんじゃなかった。お酒なんかすすめるんじゃなかった。

 先に帰ろうかな? ママだって、お邪魔虫のあたしがいないほうが、ぞんぶんに彼といちゃいちゃできていいんじゃない?

 でも、ママを置いて帰ったとして。もしも朝帰りとかしてこられたら、どうしよう。

 そう思ったとたん、背すじがぞわっとした。

 ゆっくりと手を洗って、居間にもどろうとして。みょうな空気に気づいて、とっさに引き戸の影にかくれた。ママが古賀さんの肩に頭をもたげている。古賀さんは、ママの頭を、やさしく撫でている。心臓がどきどき暴れ出す。やめておけばいいのに、つい、聞き耳をたててしまう。

「まゆりは本当によく頑張っているよ」

「でも、もう、限界かも」

 ぐすん、と鼻をすする音。

「ほんとうにつらくなったら、からだを壊す前に、少し休んでもいいんじゃないかな」

「そんなの無理」

 仕事、の、愚痴なのかな。ママ、あたしの前では一度も、たいへんだとかつらいとか、弱音を吐いたことなんてない。なのに今、ママは古賀さんのまえで、小さいこどもみたいになっちゃってる。限界なのに休むのは無理、とか。じゃあどうするのよ。

「もっと人に甘えて。頼って。……僕、にも」

 古賀さんはママを抱きしめた。それは一瞬だけで、すぐにからだを離して、「片づけてお茶を淹れよう」なんて言って立ち上がる。

 どうしよう。あたし、この空間に入っていけないよ。やっぱり盗み聞きなんてするんじゃなかった。

 古賀さんが重ねた食器を持って部屋を出てきて、あたしは隣の部屋に逃げようとしたけど一足遅くて、ばっちり目があってしまう。古賀さんはきまり悪そうにそらして、それからすぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。

「いつきちゃん、コーヒーと紅茶、どっちがいい? 買ってきてくれたケーキ、一緒に食べよう」

「あの。あの、あたし、要りません」

 顔が熱い。なんか、古賀さんの顔、まっすぐに見れない。

「えっと、友達からメールが来て。貸してたノート返してほしいって。だから、あの、今すぐって言われたから」

 どきどきする。このひと、さっき、ママのこと抱きしめてた。

「帰りますっ。ごめんなさいっ。マ、ママのこと、よろしくお願いしますっ」

 ひと息に言って、居間に置きっぱなしだったバッグを慌ててつかんで、古賀さんの家を飛び出した。ママの顔は見ないように、急いで。走って、川沿いの遊歩道に出て、走って、走って。ニットコートとマフラーを忘れてきたことに気づいて、立ち止まる。

 ……いいや。ママがまだいるんだし、持って帰ってくるでしょ。

 つめたい風が吹いて川面を揺らす。ほてった頬を撫でる。

 ママ。仕事、そんなにつらかったんだ。弱音を吐けないのは、しんどくても休めないのは、誰にも甘えられなかったのは。あたしがいるから、なんだよね。

 よく、病院が舞台のドラマを見ながら「ありえない、あの処置」なんて文句を言っていたママ。あたしなんて、手術のシーンになると今でも目をそらしてしまう。こわくないの? って聞いた小さかったあたしに、「こわいにきまってるじゃなーい。ひとの命あずかってんだから」って、茶化すように言った。それからふっとまじめな顔になって、「でも、いつどんな時代にも必要とされる、だいじな仕事だからね」とつぶやいたんだ。

 息をゆっくり吸って、吐いて。肺のなかがつめたい空気で満たされて、全身が、すうっと冷えていく。

 あたしがいなければ。ママは無理しなくてすむし、恋だって。自由に、できるのに。

 いろんな思いが胸のなかでぐるぐるうずを巻いて、出口が見つからずに窒息してしまいそうだった。キンモクセイで熱いコーヒーを飲みたいと思った。だけど今日は開いてない。あそこに行っても、だれもいない。

 ――樹くん。脳裏に、突然、樹くんの顔がうかんだ。「家に帰りづらい事情でもあるのかと思って」って言ってうつむいた樹くんの顔。

 今、何してるのかな。勉強かな。それとも、星の本読んでるのかな。きっとひとりでいるんだろうな。

 バッグから携帯を取り出す。ポストカードに書いてあった樹くんのアドレス、登録してある。

 でも、何てメールすればいいの? あたしと樹くんって、ともだち、だよね。たぶん。ともだちって認めてもらってるから、アドレス教えてくれたんだよね。

 家に着くまで、ひたすらそんなことを考えながら歩いた。気づいたら、古賀さんのこともママのことも、頭のすみっこのほうに追いやられてしまっていた。

 結局。自分ちのソファの上でひたすらごろごろ逡巡して「数学でわからないところがあるから、今度教えて」なんて、そっけない文章をひねりだして打ち込んだ。

それから、思い切って自分の電話番号もつけたす。名前も忘れないようにしないと。誰からのメールかわからなかったら困らせちゃうし。

 息をとめて送信のボタンを押す。ものすどくどきどきした。男の子にメールするの、はじめてだ。なんだかわかんないけど、ものすごく、緊張する。

 そもそもこの携帯は、ママとの緊急連絡用のために持たされたものだ。だから、美里とか、仲のいい友達にしかアドレスを教えていない。前、クラスの子に携帯代がひと月にいくらかかっているか聞いて、くらくらしたことがある。そんなにむだ使いしたら、あたしが高校に行くお金がなくなっちゃう。ママが病院とかけもちでほかの仕事もしなきゃならなくなる。寝る時間がなくなって、たおれちゃう。そのときのあたしはそんな風に思ったんだ。

 ぱらり、ぱらりと、何かが窓にあたる音が聞こえた。出窓のカーテンをあけると、鉛色の重たい空から雨のつぶがつぎつぎと落ちてきて、アパートの庭の植え込みの葉をたたいている。窓をあけると、雨にぬれた土のにおいがする。

 にぶく頭が痛んで、ふたたびあたしはソファに寝転がる。いつの間にか、そのまま寝てしまっていた。

 午後七時ごろ。古賀さんから電話があって起きた。今からママを送るから、って。見ると、何度も着信があったみたい。ママからも、古賀さんからも。

 せっかく早めに退散してあげたっていうのに。結局あたし、お邪魔虫なんだ。

 

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