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キンモクセイに星が降る  作者: せせり
おだやかな午後、ひとりきりの夜
13/31

2

 店を出ると、いつの間にか空があかね色からうすいすみれ色へ変わろうとしていた。樹くんが送ると言ってくれたので、おとなしく、彼のとなりを歩く。

「あ、そうだ」

 いきなり何かを思いついたらしい樹くんは、自分のかばんをごそごそしている。またかばんの中身をひっくり返すんじゃないかと思ってひやひやする。

 樹くんはあたしに、一枚の紙切れを差し出した。

「これ、いる? 文化祭のときの売れ残りだけど。ごめん、くしゃくしゃになってるね」

「……ありがとう。これ、土星?」

 樹くんはうなずいた。はしっこにしわの寄ったポストカード。手のひらでそれをきれいにのばす。

「文化祭二日間で、結局、ポストカードは三枚しか売れなかった」

 しゅんと肩を落とす。あたしはわらった。

「いつきちゃん、最近、店によく来るね」

 樹くんが、ふっ、とまじめな顔になる。

「あたし……じゃまかな?」

「いや」ゆっくりと首を横にふる樹くん。

「もしかして、家に帰りづらいとか、そんな事情があるのかなあって……」

「そんなこと……」

「ごめん。なんか、無神経な聞き方したかも」

 樹くんは自分の髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。

「ずっと気になってたんで、つい。昔、俺にもそういう時期があったから」

「……」

 立ち止まったあたしたちの横を、車が何台もすりぬけていく。そばの教会の敷地にかざられたクリスマスツリーに、ひかえめなあかりがともる。

 あたしは下くちびるをかんで、涙がこぼれないようにこらえていた。こんなとこで不意打ちをくらうなんて、思ってもみなかった。

「ごめん、やっぱ、おせっかいだった。気にしないで」

 樹くんは一生懸命あやまってくれている。あたしは顔をあげた。

「今は?」

「え?」

「昔、そういう時期があったって。今はちがうの? 今はなんであそこにしょっちゅういりびたってるの?」

「えっと。それは」

「わかってるよ」

 あたしはとびっきりの笑顔をつくった。

「春奈さんに会いたいんでしょ」

 樹くんをひじでこづく。背が高いから、あたしのひじは彼のわき腹のところにあたった。

「ちょ、ちがうよ……」

 耳まで真っ赤だ。年上の男の子をおちょくるのって、なかなか悪くない気分。春奈さんきれいだし。好きになるのわかるよ。「アンダンテ」のひとたちみたいなこと、春奈さんにしようと思ってたら殴るけど。樹くんだし。それはないよね。

 アパートの近くの交差点。信号は赤。

「ありがとう。もう、ここまででいいよ」

「駐車場まで行くよ」

 樹くんはわらう。いいのに。過保護、だよ。

 ほほにあたる風がつめたい。

 あたらしいマフラーが欲しいな。背の高い、友達のいない、星と春奈さんに片思いしてる男の子のとなりで、ぼんやりと、そんなことを思っていた。


だれもいない家のドアの鍵をあける。ママからは急に夜勤がはいったってメールをもらっていた。当番のひとが熱を出したからって。

 ママ。ほんとに仕事なんだよね? 

 そんなふうに疑ってしまう自分が、きらい。

 ひとりでごはんをつくって食べて、ソファに寝転がる。ひとりで過ごす夜は長い。前は、ママの妹の静香ちゃんちに預けられてた。泊まりにきてくれることもあった。だけど静香ちゃんも、おととし結婚して県外へ引っ越してしまった。

 はじめてひとりきりですごした夜のことをおぼえている。夜中に目を覚ますとだれもいなくて、この小さなアパートがきゅうに広くなったように感じて。押入れのすきまや畳のへりから暗闇がじわじわ迫ってきて、飲み込まれそうでこわかった。翌朝、ママのパンプスが階段を駆けあがる音を聞いたとき。がちゃりとドアがあいて、いちもくさんにあたしの顔を見にきてくれたとき。ほっとして、あたしはやっとひとりでさびしかったと思うことができた。

 今はちがう。今あたしにまとわりついている、この感じは。あのときのとはちがう

 と、ジーンズのポケットからブルル、と振動が伝わってきてあたしは身を起こした。着信。登録してない番号からだ。

「はい」おそるおそる電話に出る。「どなたですか」

「もしもし」

 小さな機械の向こうから、くぐもった声が聞こえる。

「古賀です」

 古賀さんが、あたしに。いったい、どうして。そういえば古賀さんの番号は前会ったときに教えてもらっていたけど、登録もせずにいたんだった。でもたしか、あたしの番号は教えていなかったはず。

「あの、ママならまだ仕事ですけど……」

「あ、いや。ママじゃなくて、いつきちゃんに」

「……何の用ですか」

あたしはしんから不思議そうに聞いた。けっしてつめたい言い方にならないように。

「用ってほどでもないんだけれど」

 古賀さんはきゅうに自信なさげな声になる。

「今、休憩中なんだ。今夜はよく晴れて、星がすごくきれいに見える。でも、お客さんはだれもいない。おじさんが満天の星空をひとりじめだ。贅沢だろう」

 そう言って、すこし笑った。

 古賀さんのはたらく宇宙館には、最上階に大きな天体望遠鏡がいくつもある観測室がある。そこで職員のひとがデータをとったりお客さんに星の解説をしたりしている。あたしも小学生のとき一度行った。古賀さんがいたかどうかは思い出せない。

「古賀さん。その、どうしてあたしの電話番号」

「ああ。まゆりさんに教えてもらった」

「…………」

「なかば無理やり聞きだしたんだよ、僕が。まゆりさん、夜きみをひとりで留守番させるの、心配でたまらないんだよ」

「でも、それにしたって」

 口ごもる。それで、とくに用事もないのに電話をしてきたんだ。

 いいのに、そんな気遣い。ママだって休憩時間に電話やメールをくれるし。古賀さんに電話をもらっても、なに話していいかわかんないし、戸惑うだけなのに。

 古賀さんは続ける。

「まゆりさんの心配、それだけじゃないから。最近いつきちゃんが変だって。目を合わせて話をしてくれなくなった、って。言ってる」

 ふうん、それが本題ってわけか。結構、直球を投げてくるひとなんだな。

「べつに何でもないです。もうすぐ実力テストなんで、勉強が大変で、疲れてるだけです」

 するすると適当な言い訳が口をついて出てくる。

「ならいいけど」

 そう言って、古賀さんは少し押しだまった。

「……僕のせいかな。僕がまゆりさんをとっちゃったって、そう思ってるんじゃないかって」

「そんなことありません」

 まだ何か言いたそうな古賀さんをさえぎって、あたしは言った。きっぱりと。

「心配しないでください。大丈夫ですから」

 そして電話を切った。心臓がどきどきしていた。

 あたしが、へん? へんなのは、ママのほうじゃない。いくら頼まれたからって、勝手に古賀さんにあたしの電話番号を教えるなんて。古賀さんも古賀さんだ。あやまられたって、どうしようもない。

かえして。時間を巻き戻して、古賀さんに出会う前のママとあたしの日々を、かえしてほしい。

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