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川面がひかりをうけてきらきら光っている。水の流れる音がする。会話をじゃましない、おだやかな、ひっそりと流れるBGMみたい。
川岸にはハルジョオンにきんぽうげ。空はうす青くて、鳥の羽根のようなかたちのちぎれ雲が流れている。
ぱしゃん。ぱしゃん。ぱしゃん。ブルーのTシャツとジーンズの男の人が、石切りをしている。広い川面を跳ねる小石。男のひとが石を投げると、Tシャツごしに肩甲骨がうごくのがわかる。張り出した肩、ひろい背中。余分な脂肪がなくて、筋肉のうごきがすぐわかる腕。
「パパ」
あたしはそのひとのそばに駆けていく。なにかにつまづいて、土手をころころと転げる。
パパはおどろいて走りよる。泥だらけのあたしをかかえ起こす。
「だいじょうぶか、いつき」
心配そうな顔。心配そうな……。
目がさめると、一瞬でパパの顔が思い出せなくなった。
「ちょっといつき。起きなよ。もうすぐうちの学校の出番だよ」
美里があたしをひじでこづいた。深い暗赤色の、ベルベットの座席。あたりは暗くて、ほどよく暖房がきいている。
「美里。ここ、どこ?」
「はあー?」
あきれ顔の美里。ブーッ、とブザーが鳴る。「これより、十五分の休憩にはいります」というアナウンス、ひざに置かれたパンフレット。それで思い出した。
合同音楽祭だ。なかちゃんや羽村くんが出るやつ。それで市民ホールに来てたんだった。
この音楽祭は、市内にある小・中・高校の吹奏楽部や金管バンドがあつまって、それぞれ二曲ずつ演奏する、というイベントだ。ようするに発表会みたいなもの。
あたしと美里はもちろんなかちゃんの雄姿を見届けるために来た。で、あたしはよその演奏を聴くうちにいつしか眠りに落ちていたらしい。
外の空気を吸いに、ふたりでロビーに出る。色んな制服の生徒たちがめいめいに金ぴかの楽器をひっさげて、談笑している。家族連れや私服の中高生もたくさんいて、がやがやざわめいている。きっと出演するひとの保護者や友達といったとこだろう。
「あれ?」
人ごみの中に、見慣れたひとのすがたを見つけた。
「樹くん。……と、春奈さん」
春奈さんはグレーのブレザーの女子高生たちに囲まれて笑っている。樹くんはその輪からすこしはずれて、所在なさげに立ちすくんでいる。
樹くんはすぐにあたしに気づいて、笑顔で手をふってきた。自分も知り合いに会えてほっとしている、といったかんじの表情。
「ちょっと。あれ、こないだのナンパ男じゃない。いつき、いつの間に」
美里があたしに耳打ちした。
「ちがうよあれは。ナンパじゃなくて。……うーん。説明するのがむずかしい」
などとごにょごにょ言っていると、樹くんがやってきた。美里はあたしの背後にささっとかくれて樹くんをにらんだ。
「きみも来てたの」
「うん。友達が演奏するから」
そんなやりとりをしていると、春奈さんが女子高生を振り切って、駆け寄ってきた。
「いつきちゃん。こんなとこで会うなんて、意外」
「あたしもびっくりです。あ、でも、春奈さんは音楽やってるひとだから、いかにもですよね。でも……」
でも樹くんとふたりだなんて。まさかとは思うけど。この前マスターとわらって話してた通り、樹くんってそんなキャラじゃないと思うけど、一応。
あたしは小声で、春奈さんに聞いた。
「あの。ふたりは……つきあってるん、ですか」
春奈さんは一瞬きょとんとして、それからげらげらとわらいだした。
「やあだ、いつきちゃん。冗談やめてよ。そんなわけないじゃん」
「あ。……ですよね。だって、樹くん、どう見てもデートって格好じゃないし」
樹くんはグレーのパーカに着ふるした感じ(おしゃれな古着じゃなくてほんとに着倒したかんじ)のジーンズだ。これじゃあたしの部屋着とかわらない。
「なんだよ。失礼だな」
樹くんはちょっと傷ついた風に言った。春奈さんはさらにわらった。
「きょうはマスターも来るはずだったの。でもきゅうにおなかが痛いとか言い出しちゃって。しょうがないからふたりで来たの。……うしろの子はお友達?」
美里があたしのとなりに立って、こくりとうなずいた。そして、ぺこっとおじぎをした。美里って、こう見えて意外と人見知りするのだ。
「ミニスカートだ。すっごいかわいい。いいなあー。若くないとむりな格好だよね。肌とかぴちぴちだもん」
「春奈さん、おばちゃんみたいな言い方。春奈さんだって若いのに!」
「はたち過ぎの大学生なんて、中学生から見たらおばさんでしょ」
明るく言って、春奈さんはわざとおばちゃんぽく手をひらひら動かした。おばちゃんだなんてとんでもない。春奈さんはきれいだ。すらりとした足にぴったり沿う、濃いインディゴブルーのジーンズ。淡いピンクの、Vネックの薄手ニット。鎖骨のくぼみにひと粒パールの華奢なネックレス。シンプルな服が、春奈さんのスタイルのよさを引き立てている。彼女が笑顔になるとぱっと花が咲いたみたいで。みつばちみたいに、つい、引き寄せられてしまうんだ。
うちの学校の演奏は、ひとことで言っていまいちだった。みんな楽譜ばっかり見ていて、ノリが命! みたいなラテン系の曲を演奏しているのに、全然はじけきれてなかった。たとえば、曲の途中で「テキーラ!」と掛け声をあげるところがあったけど、ほとんどのひとが恥ずかしがってぼそっとつぶやいただけ。
ただひとり、なかちゃんを除いては。
そう。なかちゃんはやたらでかい声で、テキーラ! と叫んでいたのだ。あの状況でひとりだけ大声を出せるなんて尊敬する。でも、同時に、羽村くんがなかちゃんのことを「浮いている」と言ってたのもよくわかった。たしかに痛々しかった。だって、ぜんぜん楽しそうじゃなかったから。なかちゃんはずっと怖い顔をしてトランペットを吹いていた。
それとは対照的に、すごく魅力的な学校もあった。吹奏楽では県内でトップの高校らしい。あたしみたいな素人でも、うまい演奏というのはわかるものなんだな、と思う。たしかに中学生と高校生のちがいもあるけど、それ以上に、なにかが全然ちがう。音がひとつにまとまって、ホールのすみっこまで、ぱーんと響いてくる感じ。それでいて決してうるさいわけじゃなくて、強弱のめりはりがきいてて、豊かなんだ。ひかってる。
「春奈さんの母校。春奈さんはここのブラバンのOBなんだって」
樹くんがこっそりささやいた。なぜか、自分のことみたいに誇らしげに。
春奈さんと樹くんはあたしたちの横にならんで座っている。春奈さんは真剣そのものってかんじの目でステージから届く音楽を全身で聴いている。
樹くんは……、そんな春奈さんを、横目でちらちらと見ている。
胸の中がざわざわする。樹くん、春奈さんのことばっかり見てる。
仲間だと思ってたのに。樹くんも、恋なんてするんだ。ふうん。




